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わんこ・ぶいえす・にゃんこ みたび

 

ひっじょーに! 居心地の悪い思いをさせられた王都での誘拐事件から一夜明けて、私は主とシャルさんと共にグリューユの森にある我が家に、無事に帰って参りました。


ちょっと怖くて油断出来ないブラウさんが、朝起きたら既に連盟本部からどこぞへお出掛けになられていたので、とてもホッとしましたねぇ。

なんというか、私にとって王都は鬼門のような気が致します。行くたびに、ろくでもない目に遭っているような……気のせいでしょうか?


相も変わらず、空飛ぶ狼さんなシャルに颯爽と跨がった主であるカルロスに、子猫姿にされて抱きかかえられたまま森の家へと帰還を果たしたユーリは、懐かしい空気に深呼吸を繰り返した。ほんの数日留守にしていただけであるというのに、久々に戻ってこられたかのような、不思議な感覚を覚えていた。


空から舞い降りるシャルの着地地点は、いつものように裏庭の井戸の前。軽やかにしもべの背から下り立ったカルロスは、ユーリを腕に抱いたまま長時間の飛行の疲れも見せず、颯爽と歩き出す。


「シャル、荷を片付けたら支度しろ。早速作業に取り掛かるぞ」

「はい」


後ろを一度振り返り、そうしもべに告げた主人はユーリを顔の前に持ち上げ、


「さあて、ユーリ。帰ってきたばかりだが調合に入るぞ。人の姿に戻すから、作業しやすい服に着替えてこい」


どこかわくわくとした響きを滲ませ、彼女を着替えさせるべくカルロスは二階にある自らの部屋へと足を向けたのだった。



元の人間の姿に戻り、カルロスからのお下がりのお洋服の中でも、作業着にしている衣服に着替えたユーリは、調合や調香作業を行う作業部屋へと足を向けた。

ドアを開くと、今日はまだ仕事に取り掛かっていないというのに、その部屋には微かに匂いが残っている。ベースとなる複数の香料の香りが混じり合って、心地良くも無く、さりとて悪臭という程でも無く。なんとも言い難い微妙な匂い。


「来たか、ユーリ。お前の仕事はこれだ」


ドアの開閉された物音と気配に気が付いたのか、振り返ったカルロスは彼女の眼前にメモを記した羊皮紙を突き付けてきた。またしても今回も、ズラリと材料となる香料の一覧が記されている。

両手でそれをありがたく押し頂いたユーリは、作業台の前に腰を下ろしている防毒マスクの同僚へと視線を向けた。


「……そしてシャルさんは、相変わらずその覆面ですか。つかぬ事を伺いますが、ソレ暑くないんですか?」

「いいえ、さほど?

まあ脆弱なユーリさんがこれを被って長時間調合をしていては、茹だって体調を崩すかもしれませんが」


立てた指を一本左右に軽く振りつつ、マスク越しのくぐもった声でふふんとうそぶくシャル。


「そうかもしれませんねぇ。まあそもそも、私には不要なシロモノですが」


防毒マスク越しに、シャルと視線が交差している気がする。イヌとネコの互いの尊厳と威信を懸けた静かなる熱きバトル……要するに2人の意地の張り合いは、おもむろにご主人様が両手をパンパンと叩く事で中断を余儀なくされる。


「お前ら、戯れてねえでさっさと仕事に移る!

シャル、ベース作れ。ユーリは保管庫の香料棚から早く必要な香料を探して来い!」


カルロスへと同時に顔を向けたユーリとシャルは、またしても同じタイミングでお互いに顔を見合わせて、むむっと不満を滲ませるも、無言のままそれぞれの作業に取り掛かったのであった。



移動の疲れなどなんのその、で猛然と調合作業に取り組むカルロスを手伝っていたユーリだったが、時間も時間なので一度お風呂と夕食の用意に取り掛かる事となった。

調香作業には、些細な違いを嗅ぎ分ける繊細な感覚が必要であり、闇雲に作業に没頭していれば良いというものでもない。


それぞれにお風呂をゆったりと使い、カルロスがソファーで休憩している間にしもべ達は手早く夕食の支度を済ませる。

中華鍋っぽい例の釜戸の調理器具に、刻んだ野菜などの具材を入れて炒めているシャルの手元へチラリと視線を向けて、ユーリは生卵を割って白身と黄身をきっちりと分けてから入れられたボウルの中身をかき混ぜつつ、首を傾げた。


「そういえばシャルさん。空を飛ぶ最中に魔力を使っているというのは、なんとなくイメージ出来ますが……料理中も、とは何をどうやっていらっしゃるのでしょう?」


同僚の調理の手際はテキパキとして頼もしいが、別段魔法的な現象は起こっていないような気がする。

ユーリの疑問を受けて、シャルは鍋の中のお肉と野菜の炒め物を皿に移しながら口を開く。


「そのままですよ? この釜戸の中の炎を微調整して、火加減をいじりながら調理していますが」


あっけらかんと回答するシャルに、ユーリは釜戸に付いているつまみの部分を思わず凝視した。

シャルはどうやって細かな火加減を調節しているのだろう、と思っていたが、ユーリには真似出来ない種族特性を活用していたらしい。


「……じゃあ、このつまみって何の為に付いてるんです?」

「わたしのイメージを明確にする道具、ですかね。炎魔力に適性が全く無いユーリさんがいじっても、どうともなりませんよ」


ふふん、とまたしても鼻で笑いながら炒め物を乗せたお皿を食堂へと運んでゆく同僚の背中に唇を尖らせつつ、ユーリもまたお手製のマヨネーズ作りに没頭した。

黄身にまずお酢とお塩、それから蜂蜜を少し垂らして混ぜ、ミキサーなど無いので地道に泡立て器で中身をかき混ぜる。

頑張ってかき混ぜて、植物から採れた食用油を何度かに分けて加えていきながらひたすら混ぜる。固まるまで混ぜる。

果たしてうまくいくのだろうか? 故郷で食べた美味しい調味料の再現は、どんどん挑戦していく予定である。



そして迎えた夕食の席にて、ユーリのソワソワした態度とシャルの物言いたげな眼差しに晒され、カルロスは2人の無言の期待に折れたのか、まず真っ先にマヨネーズっぽいモノがかかっているサラダを口にし、


「なんつーかこう……ギトギトにドロッとした油の塊? お前の記憶にある味とは、随分違うな」


じっくりとマヨネーズっぽいモノがかかっている葉物野菜を咀嚼してから、おもむろにそんな感想を漏らした。主人からのなんとも微妙なお言葉に、がっくりと肩を落とすユーリ。


「食用油そのものは、美味しいし良い物なんですが……マヨネーズ作りってこんなに難しかったんですね」


なにしろ、シャルがお夕食を作っている間中、ユーリはひたすらマヨネーズ作りに悪戦苦闘していたのだ。素人がおいそれと真似出来る物でも無いのだろうか。


「まあ、これはこれで美味いんじゃねえか? 俺は初めて食う味だしな。なあシャル?」


カルロスは続いてシャルお手製の夕食に舌鼓を打ちつつ、ユーリの斜向かいに腰掛けているシャルへと同意を求めた。

もっしゃもっしゃとサラダを口いっぱいに頬張っていた同僚は、カルロスから話を振られてもなかなか口を開けず、しばし間を空けてからようやく飲み込んだ。


「……ユーリさんの趣味をとやかく言うつもりはありませんが、まあサラダのドレッシングにするにはまだまだ物足りない味ですね。何より、作るのに時間が掛かりますし」

「シャルさん、ひたすらサラダを食べ続けておきながら、感想はそれですか」

「簡単に作れる物ならば、わたしだって何も言いませんよ」


ようやく発せられたシャルの言葉に思わず不満を漏らしたユーリに、彼はふうやれやれと呆れたような溜め息を吐きつつ、それでもサラダを黙々と口にしている。

やっぱり、シャルさんから相も変わらず最低評価を得ているなあ……などと、ズ~ンと気分を落ち込ませたユーリだったが、


“あー、ユーリ。今のシャルの発言は、意訳すると『簡単に作れるなら、これから毎日だってお願いするぐらい美味しい』だ。

シャルは、不味いと思ったモノは食わん”


炒め物を口に運んでいたカルロスから、こっそりとテレパシーが飛んできた。

ユーリが思わず主人の方へと視線を向けると、カルロスは素知らぬ顔をしてパンを千切って口に運んでいる。


シャルの本心や真意を理解するには、たいていの言葉を額面通りに受け取ってはならないらしい。

主人からの執り成しに気を持ち直したユーリは、話題を変えるべくずっと気になっていた点を尋ねてみる事にした。


「ところで主、先日フィドルカの街に行った時にご依頼をたくさん任されていましたけれども、あとどれくらい残っているんでしょう?」


忙しい時期に家を留守にしていた後ろめたさを覚えつつ確認してくるユーリへ、シャルが川で穫ってきたという、塩をまぶしてこんがり焼いた白身魚の身を解しつつ、カルロスはチラリと眼差しを向け。


「ああ、それならもう全て納品してある」

「そうですか、全部……って、ええっ!?」

「ユーリさんがエステファニアお嬢様のお側に侍っている間、マスターもわたしも大忙しだったのですよ」


あまりにもあっさりと告げられた内容に、驚愕のあまりユーリが素っ頓狂な声を上げると、1人でサラダボウルの中身を半分以上胃袋に収めたシャルが会話に加わる。


「あなたがエステファニアお嬢様のお膝の上でごろごろしていた頃、わたしとマスターは地道に調合を繰り返し。

あなたがパヴォド伯爵閣下の腕に抱き上げられて撫でられていた頃、わたしとマスターは依頼品を仕上げていたのですよ」

「前半はともかく。後半はある意味、接待にも通じる様相を呈していたと思うがな」


嫌味ったらしいシャルの言葉に、カルロスが遠い眼差しを彼方へと向けながら混ぜっ返した。パヴォド伯爵家の方々が王都への移動の最中、ユーリはひたすら伯爵家の方々から構い倒され撫でられていた。そんなしもべの様子をたまに確認していたカルロスはというと、「耐えろユーリ」と、時折テレパシーを送ってきていたりもする。


「あの、主? では、期日が差し迫った依頼がある訳ではないのでしょうか?」

「ああ」


ユーリの疑問に、カルロスは鷹揚に頷いてスープを掬って口に運ぶ。


「それでは、今日調合を急いていたのはいったい?」


ユーリはてっきり、まだ品を納めてはいない、依頼されている仕事を抱えているからこそ、忙しく作業に追われていたのだとばかり思っていたのに。そんな彼女の疑問に、カルロスは静かにスプーンを置いた。

ゆっくりと顔を上げ、主人はユーリへと真っ直ぐに視線を向けてくる。その生真面目な表情と真剣な雰囲気に、ユーリは少しばかりたじろぐ。

なんとなく、彼女もナイフとフォークを置いてイスの上で姿勢を正した。


「そうか……お前にはまだ、言っていなかったな、ユーリ」


カルロスは何事かを言いあぐねるようにしばし逡巡し、


「これから秋まで、依頼は引き受けない。その為に、前倒しで仕事を回してもらったんだからな」

「この夏の間に、何かがあるのですか?」


ゆっくりと話すカルロスに焦れて、思わず先を促してしまう。

ユーリが知っている今年のバーデュロイの夏場は、王都で社交界シーズンが開幕されるという事と、それにエストがデビューを果たすという事実のみ。

この時期は貴族でなくとも活気と人出で満ち溢れるのか、昨日彼女が出歩いた王都の大通りは、混雑して非常に賑わっていた。


「毎年、社交界シーズンの後半では、御前試合と展覧会が開催されるんだ。そこに出す」

「……えっ、シャルさんをですかっ!?」


シーズン中の行事予定について語るカルロスの発言に、ユーリは驚きの声を上げていた。思わず同僚の方を見やると、シャルはカルロスとユーリのやり取りには我関せずで、再びもっしゃもっしゃとサラダを頬張っている。


「……アホかお前は? シャルを展覧会に出品してどうする。ナマモノは速攻で却下されるわ」


主人の心底から呆れ返った視線に、ユーリは何かを間違えたらしいと、慌てて思考を切り換えた。一瞬、シャルが御前試合とやらに出場するのかと思ったのだが、違うらしい。


「展覧会に、主が何を出すって……香水ですか、やっぱり?」


御前試合ではないのならば展覧会の方なのだろうと、気を取り直して確認してみると、カルロスは力強く首肯する。


主人の言によると、国内の芸術性を高める目的で毎年開催される展覧会は、社交界シーズンの目玉でもあるらしい。

有力貴族達がこぞって、支援している芸術家達のこれぞという作品を出展させ、上位に入賞すれば後援者である貴族は芸術に造詣が深いという、一種のステータスになるとか。

要するに、金と時間が余っている有閑生活を送っている人々の、代理競争のようなものだ。


カルロスが国王主催の展覧会に作品を出展出来るのも、ひとえにパヴォド伯爵の看板のお陰である。

それはつまり下手な品を提出すれば、即刻カルロスの首が飛びかねない、という事でもあるが。


「折りしも今年は、王太后陛下の50歳を祝う記念式典が開かれる。陛下はお母上の誕生日を盛大に祝おうと、今年の展覧会には一際力を入れていらっしゃるからな。

俺の作った香水が王太后陛下のお眼鏡に適えば、王室御用達も夢じゃねえ。

この夏の為に、何年も前から準備してきたんだ」


ユーリは以前、不安に駆られてカルロスに問うてみた事がある。『戦場で戦果を上げる事で、論功行賞としてエストを求めるつもりなのか』と。

それに主人は、きっぱりと否と答えた。『戦でのし上がる事をアテになどしていない』のだと。


貴族の姫君であるエストとは身分がまるで違う、平民であるカルロスが彼女を得る為には、一番確実な手段は貴族の身分を得る事。このバーデュロイでは爵位を贖う事が出来るのか否かは知らないが、実力のある人間が成り上がる事が当然だと思われている風潮がある。

だからこそ、手っ取り早いのは戦争。

けれどカルロスは、自分とエストの好む物を洗練させる事で、恋しい人へと近付こうとしている。


「じゃあ、主が今、作ろうとしているのは……」

「エストのデビュタント用の香水と、展覧会への出展用だな。

入れ物はもう、デザインを考えて発注かけてあるし、香りのイメージも固まってる。後は完成させるだけだ。

……もう、あまり時間も残ってねえしな」


ふと、ユーリの脳裏にアルバレス侯爵の居城にて、晩餐会に出るべくドレスを身に纏っていたエストの姿が脳裏を過ぎった。


――これ、まだ着けてくれてるんだな。


――あのピアスは、彼女の明確な意思表示だ。


そうだ。私はあの晩、主にエストお嬢様のドレスアップした姿を見せた。

髪を結い上げて露わになった耳には、ピアスを外しているお嬢様のお姿を。


彼女は社交界に出る。

同世代の貴族の若者達にとって、ある意味集団お見合いといった面も持つ、華やかな戦場へ。


「簡単な話ですよ、マスター。

とっておきの香水を作って王太后陛下の目に留まり、陛下からお褒めの言葉を頂いた場でパヴォド伯爵閣下にエステファニアお嬢様を貰い受けたいと願い出る。完璧です」


口の中いっぱいに頬張っていた、マヨネーズっぽいモノ付き野菜をもごもごと飲み込んだシャルが、あっけらかんと纏めた。


「お前にかかれば、物事が何でも簡単にいくように思えてくるな、シャル」

「いわゆる、人徳というものです」


力の抜けた台詞を呟くカルロスに、シャルはしれっと即答してみせた。



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