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「ユーリさん、ユーリさんってば」


うにゅぅ~、やあ、眠いの~。


心地良くうたた寝に移行しつつあったユーリは、ゆっさゆっさと揺さぶられてイヤイヤと首を振って再び眠り体勢に入る。

だが、相手は容赦なくユーリのヒゲやら耳をグイッと引っ張ってきた。


いったーっ!?

ちょっ、流石に酷くないですかこれ!?


怒鳴りつけながら、ユーリのヒゲをみにょんと引っ張る指先に肉球連撃を繰り出しつつ、カッと見開いた目で頭上を睨み据える。

そこにはいつもながら何を考えているんだか不明な、コソ泥的な黒いほっかむりで顔面を覆った、照る照る坊主スタイルの同僚が……


「おはようございます、今晩はユーリさん」


……今晩は、おはようございますシャルさん。

私はもう、どこからツッコミ入れるべきなんですか、この寝覚め。


ユーリはぐるりと周囲を見回して、ひとまず状況の把握に努めた。

今宵、頭上を覆うビロードは生憎の曇天にて朧月、星の瞬きは殆ど見えず、常より尚暗い。忍び込むにはうってつけのお天気。

場所は相変わらずの白いバルコニーで、見下ろせば各箇所に篝火が焚かれて、見回り巡回中の兵士が掲げている松明の炎がゆらゆらしている。


ユーリとシャルが居る客間のバルコニーからは少し距離があるが、中庭に面した室内で例の晩餐会が開かれているのだろうか。そこが城の中でも一際明るく、漏れ出た光が中庭を幻想的に照らし出している。


ユーリは改めて、バルコニーに座り込み、子ネコ姿である彼女を膝の上に乗せてネコ耳をみよんみよんと引っ張っているシャルを見上げた。

どうやら相当ネコ耳に興味を抱いているらいが、ユーリの耳を勝手におもちゃにしている同僚の手に、無言のまま頭突きをかまして『やめい』と訴える。


さて、シャルさん。

まずその、珍妙奇天烈なファッションの意義をお尋ねしてもよろしいですか?


ペシペシと、シャルの膝を尻尾で軽く打ちつつ、ユーリは静かに尋ねた。

シャルは鼻の下で結ばれている、黒い手拭いの端っこを持ち上げ、自慢げに口を開く。


「ああ、コレですか?

マスターがわざわざ、わたしの為に用意して下さったのですよ。

わたしの髪は目立つだろうから、これで覆うと良い、と」


さ、左様ですか。流石は主……


自分の事を心配して、気を回してくれたと喜んでいるらしき同僚に、ユーリは言葉少なく主人を讃える感想を述べた。

常々、どこか抜けているところがある主従だとは思っていたが、このセンスは如何なものなのだろう。

カルロスがシャルに敢えてこのスタイルを推奨するなどと、あの主人は本当に色んな意味で残念な美形である。


「今日は外でゴロゴロしてくれていて助かりました。

流石に城の奥で眠っていたら、忍び込むにも見つけ出すにも骨が折れますから」


はあ、私はまさか、警備が厳しい城の中にまでシャルさんが本当に忍び込んでくるとは思いもしておりませんでしたが。


「こんなに杜撰な警備の城、わたしなら侵入する事など雑作もありませんよ。

アルバレス様の結界は魔物除けが精一杯で、マスターのように対空防御が備わっていませんからねえ」


ほっかむりと照る照る坊主のまま、ふんぞり返って胸を張るシャル。

この同僚のように、空から入り込んでこようなどとする侵入者がどれだけいるのかは不明だが、確かにそれに備えていないのは不用心だ。

地上の見回りの体制は厳しく隙がないように見えた為、てっきり万全の警備体制なのだと思ったのだが。


それはアティリオさんに、ご実家の結界を全面的に見直すよう助言した方が良いのかもしれませんねぇ。


うんうん、と頷いてシャルの意見に同意を示したユーリだった。

上空や地下からの侵入を想定して警戒しておかないなど、それは杜撰と言い放たれても仕方が無い。


「そうだ、これを……」


シャルはスッと、肩から吊してでもいたのか、照る照る外套の内側から袋を取り出した。

口を開けて手を差し込み、中からそっと小さなブーケを取り出す。

瑞々しく甘い香りをふんわりと放つ花がリボンで纏められていて、とても可愛らしい。

ドキンと、ユーリの心臓が飛び跳ねた。


シャルさん、それ……


まさかこの同僚が、こんな素敵な贈り物を持参してくれるだなんて。

ずっと、シャルから疎んじられていて、迷惑だと思われている事に傷付いていたユーリにとって、こんなに嬉しい事など無い。

シャルはにこっと微笑み、「ええ」と頷く。例え微妙なるシャル流忍び込みスタイルのままで雰囲気が台無しでも、ユーリにとっては夢にまで見た瞬間で……


「マスターからエステファニアお嬢様へのプレゼントです。

お嬢様のお側へ参るのならばきちんと持参していけと、昨夜は家に帰ってからマスターにこってりと絞られまして。わたしもうっかりしていました」


これからは忘れないようにしませんと、などとうんうん頷く同僚の腹に、ユーリは全力ネコパンチをお見舞いした。


「急に何をするんですか、ユーリさん?」


うるさいうるさ~いっ!

私はこれから探索に出るんですっ。忙しいんですっ!

乙女の機微を察しない天狼さんなんて、サッサと帰れーっ!


勘違いを招いた紛らわしい行動をしてみせたシャルに、ユーリの八つ当たりによる罵声とネコパンチの雨が降る。

鬱陶しそうにユーリを片手で持ち上げて彼女に高い高いしてやったシャルは、眉をしかめて立ち上がった。


「何を言っているんですか、ユーリさん。

まだわたしのお仕事は済んでいませんし、あなたに危険な真似をさせる訳にもいきません。

エステファニアお嬢様のお部屋はこちらなんですね?」


そして、バルコニーから室内に侵入しようとするので、ユーリはペシペシと自身を掴んでいるシャルの手をはたく。


残念でした、こちらはパヴォド伯爵閣下とレディ・フィデリア夫妻のお部屋ですー。


「そうですか、では、エステファニアお嬢様のお部屋に案内して下さい」


ユーリのふてくされた台詞にピタリと足を止めたシャルは、再びブーケを袋に仕舞って、そう言い出してきた。

シャルが困ろうが知った事か! と、知らんぷりをして溜飲を下げたい衝動に駆られるユーリであったが、彼女の主からエストへの贈り物輸送を妨害するなど、カルロスのしもべとしてあってはならない姿である。ユーリの個人的な感情と、カルロスの命では、計りにかけて考えようとする事自体が噴飯物の行動であると、きっちりと線引きをしなくてはならない。

私情は私情、仕事は仕事である。


すっごくすっごーく、納得はいきませんけど!

主とエストお嬢様の喜びの為に、シャルさんの手間を省いて差し上げるのですからね!

ちゃんと感謝して下さいよ?


「はいはい。ユーリさんは本当に、気難しい気分屋ですねぇ。

マスターはいったい、あなたのどこを指して素直などと言うのやら」


ムスーッと、不機嫌に『あっち』と、利き前足でエストにあてがわれた寝室を指し示すユーリに、シャルはやれやれと呆れた顔をして背中からバサリと純白の翼を広げ、夜空へと舞い上がった。

『気難しい気分屋』だなんて、それはむしろこちらの台詞だ。


シャルの外套に遠慮なく爪を立ててしがみつくユーリを抱えたまま、彼は人目を避けて外壁を蹴ったりせり出した窓を飛び移り、エストの部屋のバルコニーに降り立った。

開いている訳が無いと踏んでいたが、シャルがガラス張りのドアに手を当ててノブを回すと、いとも簡単に開く。

一歩足を踏み入れて薄明かりの中見渡してみる。ソファやテーブル、置かれた調度品からして、寛いだり来訪者と対面する居間として活用されるお部屋らしい。


「ガラスを割らずに済んで良かったです」


シャルはホッとしたように安堵の息を吐き出し、そんな独り言を漏らす。

ユーリはビシッと、シャルの顔面に利き前足で裏手ツッコミを入れた。


……いや、シャルさん。

そこはガラスを割ってでも入り込む事前提にするの止めましょうよ。

そこまでして部屋に入ってこられたくありませんて、普通。


「痛いです、ユーリさん。

……マスターから、『絶対にエストの手に渡るようにしてこい』と言われたのですが、それならば寝室に置いておくのが最も確実かと……」


シャルはシャルなりに、主人からの命令を真摯に受け止め、知恵を絞って考えているらしい。

そうして導き出される結論がどことなく明後日の方角を向いているのは、彼が人間ではなく天狼だからであろうか。それともシャルという個人の感性の賜物か。


不審な侵入者の形跡が堂々と残された寝室に置かれた置き土産……セリアさんならエストお嬢様に見せる前に、迷わず確実に跡形もなくなるように処分するでしょうねえ。お仕事に命懸けてる感じでしたし。


ユーリの冷たい眼差しに、シャルはむーっと不愉快そうな表情を浮かべつつ、袋から再びブーケを取り出して、手近なテーブルの上に置いた。


「わたしだってちゃんと、マスターからメッセージが吹き込まれた伝達綿毛を預かってきましたよ。

不審者などではありません」


うん、そんなモノが残されてたら、主の協力者からの信頼が失せますからね。

今後も、エストお嬢様の部屋のガラスは割らないようにしましょうね。


ユーリのチクチクとした嫌味に、シャルは不機嫌そうな表情のまま、彼女の頬を指先で軽く押しつつ、再びバルコニーから外へと飛び立った。

あっという間に高く上空へと上昇してしまうシャルの腕の中で、ユーリは強風に煽られぬよう彼の外套に縋り付く。

薄暗い夜の戸張に覆われた古城は、どこかおどろおどろしい雰囲気を醸し出し、静かに暗く沈んでいる。


シャルさん、またこんなところにまで上ってきて……私はまだ家には帰りませんってば。


「はいはい。ユーリさんはエステファニアお嬢様の側で、飼いネコ中ですものね。

ねえ、ユーリさん。ユーリさんにとって、グリューユの森にあるあの家が、帰るべき自分の家だと思い始めたのは、いつからですか?」


シャルから頭をぐりぐりと撫でられながら、不意にそんな問い掛けをされたユーリは、首を傾げた。

召喚されたばかりの頃は、確かにあの家は『主人であるカルロスの自宅』という認識だった筈だ。それが、『ユーリにとっても帰るべき自宅』になったのは、いったいいつからか。


え……さあ、よく覚えていません。

何か、気が付いたらあの家が帰る家になっていました。


「そうですか」


正直に分からんと答えるユーリに、しかしシャルはどことなく機嫌良さそうに頷く。

あの家はカルロスとシャルの『愛の巣』だから、ユーリが出て行って清々している、などという流れでもなさそうだし、いったいシャルが何を喜んでいるのか、どうにもよく分からない。

この同僚の真意を推し量るのは途轍もない労力と、途方もなく長い間積み重ねてきた経験を必要としそうである。


「さて、次はユーリさんのお散歩でしたね」


お散歩違います、情報収集ですー。


ユーリの訂正を「はいはい」と、シャルは軽く受け流して、バサバサと翼を動かしながら高度を下げてゆく。


そういえばシャルさん、ブラウリオさんって人、ご存知ですか?

十中八九アルバレス家の公子だと思うんですけど、なーんか、エストお嬢様に色目を使ってきて気持ち悪いんですよ。

アイツ怪しいです。あの取り澄ました顔は、何か企んでる系の顔です!


「……顔は関係無いと思いますが……

ブラウリオ、ブラウリオ……はて? わたしはアルバレス侯爵家の貴族は、侯爵閣下と継嗣のアルバレス様しか存じ上げませんからねえ」


ふわっと屋根の上に降り立ったシャルは、声を潜めて返事を囁きつつ、ユーリを抱え直して周囲をきょろきょろと見回した。近隣に生き物の気配や匂いが無いかを確認しつつ、晩餐会会場である大広間がある方へと足音を忍ばせて近寄っていく。

誰かに見つかりでもすれば、シャルは速やかに撤退せねばならないが、ユーリはなんとしてももと居たパヴォド伯爵に提供された客室に戻らなくてはならない。万が一こんなところに放置されてはたまったものではないので、ユーリもかなり声量を絞って会話を続ける。


侯爵閣下って、ドゥイリオ様ですよね? あの好々爺っぽいアットホームな方。

継嗣って、侯爵閣下の息子さんですか?


「ああ、正確に言えば次のアルバレス侯爵位を継ぐ継嗣はそちらですよね。

その方は存じませんが、そのご長男ならユーリさんも面識があるじゃありませんか。

ハーフエルフで連盟所属の魔術師の、アルバレス様ですよ。あの方は侯爵閣下の長男の長男になりますから」


……へ、へー。アティリオさんって、跡継ぎ最有力候補だったのですか。

ちょ、ちょっとだけ思索モードに入りますよ?


意表を突かれたユーリが、微妙に混乱しつつそう断りを入れると、シャルは「はいはい」と答え、彼もまた黙って周囲の様子に気を配りつつ地面へと降り立つ。

さて、周辺の警戒と移動は遠慮なくこの同僚に任せて……そういえば、彼はいったいどこを目指しているのか。


それは取り敢えずさておき。

パヴォド伯爵が何故、娘を嫁がせる相手にアルバレス侯爵家の公子の中でも、真っ先にアティリオを選んだのか納得はいった。よほど家格が不釣り合いでもないのならば、まず打診するのは定まった婚約者がいない独身の長男であろう。それが自然というものだ。

どちらの家から持ち掛けられた婚約話かは分からないが、少なくともあのブラウは跡継ぎではないらしい。

侯爵家の居城で、さも自らがもてなす側として振る舞って当然、という顔をしていたが……


果たして彼は、エストに純粋に興味を抱いているのか?

それとも、『アルバレス侯爵家の継嗣』に付随してくるであろう婚約話の対象であるエストを、『いつか自分のものになる』と認識して色眼鏡で値踏みしていたのか?


アルバレス侯爵家の跡継ぎが誰になろうが、私はどーでも良いんですけどねえ……


「それはわたしも同感ですね。

正直、エステファニアお嬢様の事が無ければ、貴族社会なんて関わりたくはありません。面倒臭いです」


身も蓋もないシャルの一言に、ユーリは控え目に鳴いて同意を示した。

そして、しばらく自分の考えに集中して、認識を怠っていた周囲の状況に疑問を抱く。


ところでシャルさん、ここどこですか?


人気がなく小さな庭になっており、明かりが漏れているので誰かが在室であると思われるどこかの部屋に面した窓の下に潜み、壁にぴったりと張り付いている。

どこの誰の側に来たのか、さっぱり分からない。

シャルがユーリの口元に軽く指を押し当て、『静かに』という無言の指示を出してくるので、大人しく黙り込んで耳を澄ます。


「……んもーっ。ほんっと、グラシアノ様は頼りにならないーっ!

どーしてエストお嬢様の隣席をブラウリオ様に許すのよーっ!」

「落ち着きなさいよ、セリア。

良いじゃないブラウリオ様。会話は饒舌だし、エストお嬢様も楽しんでいらっしゃるようよ?」

「ダメダメダメっ! あれはエストお嬢様のお愛想笑顔よ! わっかんないかなあ!」

「あれがお愛想笑顔……あたし、見分け方分かんないんだけど。

もしかしてあたし、エストお嬢様の侍女失格なの?」

「うんにゃ、セリアが特殊なのよ。第一、本心はエストお嬢様にしか分からないしね」

「違うわ、愛よ! 敬愛心で主君のお心をお察しするの!」


……聞き覚えのある女性達の声が耳に入ってくる。

どうやらこの部屋は、エスト付きのメイドさん達の控え室にあたるらしい。

わざわざセリアの下へやってきただなんて、やはりシャルは彼女に何か特別な思い入れが……


「相変わらず面白い人ですねぇ、セリアさんは。

あの人を観察していると、人間の愉快な一面がたくさん知れて興味深いです」


……言動が面白おかしい観察動物扱い?

シャルさん、僭越ながら申し上げますが。

人間やエルフや念の為ハーフエルフに向かって、『綺麗ですね』『可愛いです』『美しい』『好き』『愛してる』といった類いの発言をシャルさんがするとですね、多大なる誤解を招きますので、今後口になさらない方がよろしいですよ?


にじりにじりと、壁沿いに移動して次のお部屋の窓に近付くシャルに、ユーリは小声で忠告しておいた。

同僚は不思議そうに首を傾げる。やはり本人は自らが天狼であり、異性として見ていない彼女らから意識されるという可能性について、全くさっぱり理解していないらしい。


現にですね、セリアさんはシャルさんの事を『軽薄な輩』として非常に深いお怒りを示していましたから、今度機会があったら『今後は誤解を招く発言は慎みます』と謝っておかないと、友人としての縁も切られちゃいますからね。


「……そういうものなんですか?

女性とは本当に難しい方ばかりですね。大抵の男は、ぶん殴って分からせれば済むのに」


ふう、やれやれと、シャルはさも彼の方が余計な気を遣わされてばかりで、周りの女性は面倒な相手しか居ないと言わんばかりである。

この同僚のマイペースさが、ユーリには時折、無性に羨ましいと感じたりもする。


……シャルさんは誰をぶん殴って拳でどう理解しあったのかが、非常に気になるところです。



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