第一話
「ハァハァ……せめて電動自転車でしょ」
私、御雲空は古いトラックの排気ガスの如く、文句を垂れ流しながら汗水漬くで自転車を漕いでいる。
外気温は35度を超え、照り返すアスファルトと目の前のバスから煽るように手を振る同級生達が私の体感温度を上げていく。
苦しくて空を見上げると、殺気がクソほど込められた太陽と遠くで北叟笑む入道雲。それから……その先にある何かが、私の心を掴んでいた。
鞄の中で響くスマホの通知音。過ぎ去ったバスに乗っていた私の友人、みよぽんからだ。
『とんまー 空見てないで前見て漕げ』
とんまはこの辺じゃよく使う言葉で、マヌケって意味。
何時からだろう、気が付けば空ばかり見ている。空の向うに……何故か惹かれてしまう。理由なんて無いのに、思うこと一つ。
「ねぇ……誰かいるんでしょ?」
なんて、気色悪い言葉を発して苦笑いしてしまう。
でもさ…………何となく、今日は空が近い気がするんだよね。
****
高校から自宅まで自転車で五十分。駐車場で自転車に鍵を掛けていると、みよぽんから連絡が入った。
『ららぽ行かん? 昼これな』
添付されていたのはMACのクーポン。ポテトのLサイズがMサイズと同じ値段になるやつだ。
明日からは高校に入って初めての夏休み。ご機嫌な私は、こぶしの効いた鼻歌を御近所さんに響かせながら玄関ドアを開けた。
「空ちゃんただいま帰りましたー」
「おかえりなさいっす!」
我が家は日中誰もいない。だから今もこうしてわざとらしく挨拶をした訳でして。
この違和感に気が付くのに数秒掛かったけど、急いで玄関ドアをブチ閉めた。
ほらアレだよ。テンション上がり過ぎてドーパミンが出てさ、変なもの見せられたんだよ。鍵も閉まってたし有り得ないでしょ?
仕切り直そう。楽しい楽しい夏休みが待ってるんだから。
「ただいまー」
「おかえりなさいっす!」
やけに色白な成人男性が歯を見せながら満面の笑みで私を出迎えている。
落ち着け。先ずは損得勘定しないと……
一番優先するのはららぽ行ってポテトのL食べることだよね。つまり目の前のコイツに構ってる暇は無い。うん、見なかったことにしよう。何とかの猫ってやつだ。
「はじめましてっす! オオマサと申す!!」
急に武士味が入ったし。違う違う、ドーパミンにツッコんだだけ。
「時間が無いので単刀直輸入に言うっす!」
直入ね。仕入れちゃ駄目でしょ。
「あれ、反応が無いのがおかしいっすね。この時代に合わせて言語設定したんすけど……こっちかな? やぁやぁ!! 音にこそ聞け、近くば寄って目にも見よ!!」
比較対象がいない程のとんまだ。
無視して素通りすると、不審者は大声を出して狼狽え始めた。
私は廊下にあったママのゴルフバッグから七番アイアンを手に取り、思い切り握った。私の中の優先順位が、不審者目掛けてフルスイングに変わったからだ。
「ヤ、ヤバいっす!! もう半年も経ってる……お、お願いだからついて来て欲しいっす!!!」
「今すぐここから出ていくか私にボコボコにされるか選んで」
「お、お願いっす……こんなことしてる時間無いんす……」
身体を震わせながら土下座する不審者。
見ても聞いても360度、もう一周して720度の変人ではあるが、悪意みたいなものは一切感じられない。取り敢えずハーフスイングで許してやるか。
「ヤバい、追いつかれる……センパイ……なんで自分を選んだんすか…………そ、そうだ!! この空の上に誰かの存在を感じているんじゃないっすか!?」
「な、なんでアンタが知ってんの…………」
「もうすぐこの家の呼び鈴が鳴るっす。出れば……元通りの生活が待っている。でも……あなたを待っている人がいる。この空の上で、あなたが来るのを待っている。来て……くれませんか?」
不審者は揺るがぬ瞳で私を見つめ涙を流している。対して私の心内は揺れている訳で、優先順位が目まぐるしく喧嘩している。
ただそれは二番目の話で……私の一番目は、ずっと変わらない。
「会いたい。私もその人に会いたい。会わせてよ」
差し出された手に触れると、呼び鈴が鳴り玄関ドアが開いた。複数の人影が見えたが……瞬きの間に、私達はその場から姿を消した。
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瞬きの後、急に切り替わった視界に目が眩み……どこか広い空間では罵声が響いていた。それはそれは、ここに来た方法なんてどうでもよくなってしまう程に。
「オオマサさん何やってるんですか!! 遅すぎますよ!!!?」
「じょ、条約通りにしただけっすよ……」
「もう七カ月経ってるんですよ!? ユキムラさん死んじゃいますよ!!?」
「も、申し訳ないっす……」
先程の不審者は作業着を来た綺麗な女性にボコボコにされている。エグい位本気で暴行しているので、私の分もお願いしますと心の中で頭を下げた。
ここは……どうやら広い倉庫の様な場所らしい。
怪し気な機械が所狭しと山積みにされ、中央には射出機の様な物に、先が尖った電柱らしき物が乗せられている。まるで大きなミサイルみたいだ。
「 ガラシャといいます。姫様、ようこそお越しくださいました」
先程の女性は私の下へ駆け寄り、深く頭を下げた。反射的に私も頭を下げるが、女性の言葉に首を傾げてしまう。
「姫様って……私?」
「はい! 時間が無いのでこれに乗ってください。あと三十秒で出発します」
「ちょ、ちょっと待ってください……あの、もう少し説明とか無いんですか?」
「…………オオマサさんから聞いてないんですか?」
「私に会いたい人がいるとしか……」
その瞬間、彼女は鬼を超えた形相で不審者を睨みつけ、鋭いアッパーブローを鳩尾に叩き付けた。膝が崩れた所に顎蹴りを入れる周到っぷりは見事だ。
彼女、ガラシャさんは破けたゴミ袋のようになった不審者を電柱に投げ付けた。電柱をよく見ると、くり抜かれた中に椅子が設置されていて、その後部座席に座るよう促された。倉庫の屋根が、ゆっくりと開いていく。
「予定外だけど……私も乗るからちょっと狭くなっちゃう。ごめんなさい」
「痛てて……あれ? なんでガラシャさんが乗ってるんすか?」
「……条約無視したどこかの馬鹿野郎のせいでユキムラさん死んじゃってるかもしれないし、その場合馬鹿野郎を餌にして姫様を楽園に戻します」
「そもそもセンパイがいなくなった瞬間に地球も楽園も終わるっすけどね」
「…………誰のせいだと思ってんだよこのタコッ!!」
ガラシャさんが不審者を思い切り蹴飛ばした瞬間、強い衝撃と共に電柱は空へと打ち上がった。
恐怖心が後から襲いかかってきて微かに震える手を、ガラシャさんは優しく握ってくれた。
素敵なお姉様からは、素敵ないい匂いがする。
「……ごめんなさい。有無も言わさず連れてきちゃって。本当は全部説明して、そのうえであなたは拒むことも出来たんです。それなのに……このバカが出る時間間違えてあなたの家で十分も待ってたんです。どう思います?」
「取り敢えず狭いんで降りてもらいましょうか」
「ち、違うんすよ……設定された通りに飛んできた筈なんすけど……」
「…………まぁいいです、向うで確認しますから。姫様、この人はオオマサ。私と同じ隊に所属している屑です。それから……本来と手順が違うんですけど、今からある人に会ってもらいます。何となく、姫様は感じているんじゃないですか?」
「……それはそうなんですけど、あの……会ってどうすればいいんですか?」
「…………すみません、お話はまた後でしましょう。衝撃に備えてください」
電柱内に備え付けられたモニターに映し出された複数の黒い影。物言いと雰囲気から察するに、よろしくない存在なのだろう。
「コイツら条約違反っすよ!! なんで攻撃してくるんすか!?」
「バカなの!? アンタのせいでしょ!!」
空飛ぶ電柱に乗り戦闘機とバチバチにやり合うなんて、ビューティフルドリーマーな私でも想像出来なかった。
「このまま突き破るっす……なっ!!? 中和装置が作動しないっすよ!!?」
「さっきの衝撃のせいで……境界点までどれくらいですか?」
「あ、あと十秒っす!!」
「…………姫様、お願いです。ご自身の存在をこの空の向うに示してください!! そうすればきっとユキムラさんが──」
「────!!」
「ど、どうすればいいんですか!!?」
騒がしい警告音が鳴り響く。
前の二人が叫んでいるけどうまく聞き取れなくて……ただ、不思議と穏やかな気持ちになれたのはきっと……あなたに近づいているから。
惹かれ続けた空に手を伸ばすと、激しい閃光と共に冷たい温もりが私の指先と絡まった感覚がした。
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思い焦がれた空の向うは……酷くドス黒く、息が出来ない程の悪臭を放つガスが漂い、震えるほど寒いクソみたいな場所だった。
「寒いし臭いし暗いし……なんで空の上に地面があるのさ………」
まるで戦争の後みたい。
機械みたいな……見たことのない物体が幾つも破壊され散乱している。
もう話がぶっ飛び過ぎてて逆に冷静になれるんだけど、私の隣には黒いロボットがいらっしゃる。ママのワゴン車を縦にした位のサイズ感だ。
ガラシャさんとオオマサは腰が砕けたように地べたへ座り込み放心状態。
私は……磁石みたいに身体がロボットの方へ向かいたがっているから、なんとなくロボットに手を伸ばした。
「…………えっ?」
無機質な空間。
六畳程の広さ、中央に操縦席みたいなものが二つ。人が一人乗っている。
目に映る純白の美麗な後髪に……全てを奪われてしまう。
振り向いたその姿があまりにも美しすぎて、声が出ない。
「………………」
で、何故かこの人も声が出てない。
しかしずっと見てられるくらいバチボコに美しい。なんだコレ……同じ人類か?
肌も髪も兎に角真っ白で……瞳だけが綺麗な蒼色。唇がほんのり淡く色付いていて、なんとも艶かしい。
「………………」
ずっと見つめてくるけど黙ったままで……でも気まずさとか一切湧かないし、私も見つめ続けてしまう。ほんの少しだけ……この人の頬が桃色になったような気がした頃、どこからか騒がしい声が聞こえてきた。
『センパイ!! 無事だったんすね!!』
『ユキムラさん……本当に……ご無事でなによりです』
ガラシャさんとオオマサの声。
気が付くと二人が目の前にポンっと現れた。
「…………ガラシャ、オオマサ、ありがとう」
抑揚の無い小さな声。でも惹かれてしまう。
この人が……ユキムラさん。
直感する。気が付けば見上げ続け、焦がれ続けた人。
「それから………………」
私の方を見たユキムラさんは何故か黙ってしまい……暫く沈黙が続いた後、ガラシャさんが少し笑いながら耳打ちしてくれた。
「姫様、ユキムラさん人見知りっていうか何ていうか……その、姫様には特別そうみたいなので……ユキムラさんの口元に耳を近付けてください」
言われるがまま近付くと……胸が痛くなる程私を包んでくれる素敵な香り。それから、ギリ聞き取れるくらいの甘い甘い声がした。
「…………ソラ」
私の名前を囁いている。
この人、黙ってたんじゃない。ずっと……ずっと私の名前を呼んでたんだ。
可愛すぎて発狂しそうになったけど、一応礼儀として……私も遠慮がちに呼んでみた。
「えっと……ユキムラさん?」
蒼く美しい瞳はより一層輝いて、白い肌のせいか頬がどピンクに染まっている。それからほんの、ほんの少しだけ微笑んで……照れくさそうに頷いていた。
「かわヨッッッ!!!!」
何が起きてるのか理解出来る頭は持ち合わせていないけど……素敵な夏休みが始まることだけは、心の中が教えてくれた。




