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魔王さまと花嫁さん  作者: 結城暁


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ラノッテ工房長の新生活

 ジャンニーノ・ラノッテは人界最大のルデイア公国の王都に一代で店を構えた凄腕の刺繍職人である。

 一時は度重なる嫌がらせのおかげで、田舎に引っ込もうとまで思い詰めていたが、新しい取引先のおかげで嫌がらせはピタリと泊まり、今や王族からの依頼を受けることすらある。

 割られる事のなくなった窓から街並みをながめる。今朝も王都は晴れであるらしかった。

 そんなジャンニーノの部屋の扉がノックされ、小さく開いた。隙間から覗くのは新しく弟子にとったカチヤだ。


「お師匠様、朝食、用意できまシタ」

「ああ、わかった。すぐに行く」


 ジャンニーノの返事に軽くうなずき、カチヤは階下へ降りて行った。ジャンニーノもそれを追う。

 カチヤは新しい取引先になった魔王城からあずかることになった弟子だ。

 店の存続をかけての大博打を打ち、ヤギ顔の魔界人に弟子をとるよう言われた時はいったいどんな化物が来るのかと、戦々恐々としていたジャンニーノだったが、来たのはほっそりとした、人界人の女性に見える三つ目族のカチヤだった。

 正真正銘の魔界人であるカチヤだが、額にある三つ目の瞳は普段前髪で隠されているし、人界語が拙いことを除けば人界人にしか見えなかった。物腰も柔らかで、よく笑うので客からの受けもすこぶる良かった。


(けど、この二十代にしか見えん外見でも俺より年上だってんだから、たまげるよなあ……)


 今日も美味しい朝食に舌鼓を打ちながら、ジャンニーノは向かいに座るカチヤを盗み見る。

 白磁のように滑らかな肌に、いつみても艶やかに整えられた髪に、切れ長の瞳。細やかな作業を可能にする細くたおやかな指。それに見合った女らしい体つき。


「? なにかありましタカ?」

「い、いやなにも! 今日も上手い飯をありがとう!」

「よかッタ。ありがとうございます」


 ジャンニーノはカチヤの胸元に注いでいた視線をさり気なくそらした。


(なにやってんだ俺! 相手は魔界人だぞ! 確かに美人だが、ああ見えて俺より十三も年上なんだぞ!)


 ジャンニーノがごちゃごちゃと考えている内に朝食を終えたカチヤは、一言断ってから席を立ち片付けを始めた。片付けを終え、身支度も終え、始業前の掃除に取り掛かる。

 てきぱきと働くカチヤを見ながら、ジャンニーノはのんびりとカップを傾けた。

 朝はのんびりと時間をとりたいジャンニーノであったので、始業時間は十時になっている。けれどカチヤはずい分早くから行動を開始して、完璧に家事を済ませては店の掃除を徹底的にしているのだった。

 大変だろうから毎日の掃除は軽めにして、定休日に大掃除をしたらどうか、と提案したのだが、不思議そうに首を傾げたカチヤは「たいへん、ありまセン」と答えるだけだった。

 無理をしていないかと数日はハラハラしながら見守っていたのだが、当の本人はけろりと毎日の仕事をこなしていた。魔界人は人界人より体力があるらしい、と実感したジャンニーノだった。


(俺より食うんだから、そりゃ体力あるよな……)


 持ち上げるのに苦労していた荷物を涼しい顔で持ち上げられた時の事を思い出して、体力作りをしよう、散歩から始めよう、とジャンニーノは決めた。

 自分の分の食器を片付け、カチヤが来る以前よりもきれいになった部屋を通り、朝の体操をしようと裏庭に出る。裏庭の干場には洗濯物が風にたなびいていた。

 ジャンニーノはゆっくりとその場に崩れ落ちる。


(パンツは……俺のパンツは洗濯しないでくれって言ったのに…………!)


 朝に洗おうと思っていた自分の下着までもがばっちりと物干し竿に揺れていた。

 今日から洗濯は早く洗って部屋干しにしよう、とジャンニーノは涙をぬぐった。

 軽い体操を終えて食卓に戻ると、カチヤはすでに一階の部屋を終えたらしい。掃除用具を持って二階に行こうとしていた。


「二階の掃除をするのか?」

「はい。しマス」


 カチヤが聞き取り易いようゆっくりとしゃべる。

 こっくりうなずいたカチヤに片言もいいな……、と思ってしまった自分の考えを振り払う。


「俺も手伝おう。というか、自分の部屋くらいは自分でやる。やらせてくれ」

「……はい、わかりまシタ」


 少し不満げな顔をしたものの、カチヤは素直にうなずいた。それにほっと息をつく。

 前は天井から床まで掃除され、たしかにそれはありがたかったのだが、人様、特に若い女性に見られたくなかったものまできれいに発掘、整頓されてしまったため、カチヤに掃除されるのは抵抗があるのだった。

 風通しが良くはなったのだが、独身男によくある部屋の惨状であったため、たぶん引かれた。せめてこれ以上師匠としての威厳を落としたくはなかった。


「それで掃除が終わったら買い物に行こう」

「はい。手伝いマス」

「……へ」

「掃除を手伝いマス」


 魔王城でメイドをしていたというカチヤの意思は固かった。

 この間のような羞恥に再び身を焼かれながらなんとか掃除を終えたジャンニーノは、悶え死ななかった自分の精神力を褒めてやった。カチヤが顔色をちっとも変えなかったのがせめてもの救いだろうか。

 王都の雑踏は今日も賑やかだった。若者がいて老人がいて、子どもがいる。

 日用品を買い込んで、二人で並んで歩くとまるで新婚だな、と考え、慌ててその考えを振り払う。


(何を馬鹿な事を考えているんだ、仕事以外に現を抜かしている場合じゃないだろ!)


「お師匠様?」


 歩みの遅れたジャンニーノをカチヤが不思議そうに見つめていた。

 己の頬が熱を持つが、努めて気にしないようジャンニーノは口角を上げた。


「すまん。何でもない。行くか」

「はい、わかりまシタ」

(俺はカチヤの師匠なんだ。カチヤだって刺繍のためにわざわざ魔界から来てるんだ、しっかりしねえと……)

「やあ。君、重そうな荷物だね! 僕で良ければ持つよ」

(あ゛ァ?!)


 気付けば見るからに軟派そうな男がカチヤに声をかけていた。

 師にならい、長時間の刺繍に耐えるため、体を鍛えてきたジャンニーノであったので、カチヤに何かある前に男を撃退するため足を踏み出した。両手が荷物で塞がっているので蹴り上げるつもりだったのだ。


(カチヤは大切なあずかり弟子だし、あの男はスパイかも知れねえし、弟子を心配するのは師匠として当然だ!)


 かつての師と自分のやりとりを忘却の彼方にぶん投げたジャンニーノが男に一撃を食らわせる前に、カチヤは静かに自分の前髪を上げた。


「ヒィッ!! ま、魔界人?! 急用を思い出したよ、ごめんね!」


 カチヤの三つ目を見た男は足早に去って行く。が、ジャンニーノの怒りが収まることはなかった。


(あの野郎! カチヤの三つ目を見て逃げやがった! ンな事ぐれえで逃げ出すなら最初から近付いてくんじゃねぇや!)


 カチヤは男の態度に何も感じていないようで、まったく表情を変えていない。


(ああいう腰抜けにカチヤはやらん! 来たら追い返してやる、師匠権限だ!!)


 新たな決意を胸に、ジャンニーノがカチヤと帰り道を辿ると近所の子ども達が駆けてきた。どうやら男とカチヤのやりとりを見ていたらしく、カチヤにまとわりつきながらしきりに慰めている。

 カチヤは子どもにたいそうもてる。子どもらしい率直な慰め言葉に和やかな気持ちでやり取りを見ていたジャンニーノだったが、やんちゃ小僧の言葉に固まった。


「ねーちゃんを怖がるような弱虫なんか気にすんなよ! オレがおっきくなったらねーちゃんをお嫁さんにしてやるから元気だせよなっ」

(何を言ってやがるこンのクソガキ!)


 手に持った紙袋にしわが寄った。中身は無事だろうか。

 カチヤは子どもの言葉に微笑む。きれいだった。


「ありがとう、嬉しいデス。気持ちはもらいマス。私がお嫁になるには王妃様(あるじ)の許しが必要なのデス」


 そう言って子どもの頭をなでるカチヤの後ろで、ジャンニーノは発覚した新事実に衝撃を受けていた。


(カチヤに結婚を申し込むには魔王の許可がいるのか……!!)


 魔王の従者であるヤギ顔魔界人(アルバン)ですらあんなに凄みがあったのに、魔王本人はどれほど恐ろしいか想像すらつかない。

 その日以降、魔王城からの依頼には妙に力の入ってしまうジャンニーノだった。


(別に魔王に気に入られたい訳じゃないが! 魔王の好みとかどうでもいいが!)

――などと供述しており……

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