甘党になっていた
天帝との一件で、わたしはすぐに帰るべきだ、とか、でも魔王さまの傍を離れるのは危険だ、とかいろいろな意見が出た。
けっきょくは、天帝から届いた『ごめんなさい。もうしません』の宣誓書のおかげで、そのまま滞在地で魔王さまとエルフィーたちの帰りを待つ日々だ。
ほんとだったら暇を見つけて、カチヤさんたち留学組の様子を見にいったりできてたはずだったんだけど、また拉致されたら大変! ということで、屋敷からは出ていない。
天帝に借りを作れたのだから、とムリヤリ溜飲を下げてくれたアルバンさんだったけれど、いつもの穏やかな笑みではなく、ギザギザ歯が見える猛獣のような笑いかたで、
「天界との話し合いに行って参ります」
と出かけて行った。
ひっそり天魔大戦の危機が迫っている……。
あのお付き共みたいな人たちがアルバンさんをこれ以上怒らせないといいんだけど……。魔王さまがいるからだいじょぶだよね………?
天帝からはすぐに手紙が届いた。
手紙の中身はたいてい日記のような、その日に起きた出来事だ。
魔王さまと、ときどきエルフィーといっしょに読んで、たまに出てくるお付き共の所業にみんなで目を丸くしている。ほんっとに、よく回ってたな、天界。
『天界とは人界を挟んで距離があるからね。光粒子のおかげで魔界人は活動しにくいから、間諜も忍ばせないし。彼らへの興味も無かったから、情報なんて集めてなかったよ』
何でもないような顔でバルタザールさんが言う。
あれから何かあってもすぐわかるよう、バルタザールさんとの魔鏡通信が義務付けられていた。いざという時には時空魔術を使ってこちらへ来てくれるそうだ。
心強いけれども、だいじょぶかなあ。バルタザールさんてば、手加減とか苦手じゃない?
『天帝は君の事を諦めても、周囲が諦めない限り君の安全は保障されない。昔の記録をざっと漁っただけでも、古代大戦は天帝個人より周囲からの被害のほうが多かったよ』
「昔からあんな感じだったんですね」
鏡の向こうのバルタザールさんがフラスコの中身を混ぜ合わせて、色を変えた。
ちょっと明るい紫色から青になったかと思えば薄っすらとした緑色になっていく。なにを作ってるんだろう。
『人界の研究書では、大戦は魔王がケンカを売ってもそれを買う気の無かった天帝の代わりに周りが買って、収拾がつかなくなったのに嫌気の差した天帝がもろもろ放り出したんじゃないか、って書かれたのがあって面白かったよ』
「それ、おもしろいですか?」
戦場になった人界の住人からすればはた迷惑すぎる。ほんとに昔からああなのか、天界人て。
『火の粉がかからなければ面白いで済むよ。
今回の事も被害者が君でさえなければ、大変だったねえ、済んだろうし』
「ひどい。さすがバルタザールさん」
『はっはっは。何か言ったかい?』
「イイエナニモ」
わたしはマフラーを編んでいた手を止めて、編み棒を毛糸玉に刺して横に置いた。それから小説を手に取る。
なんと月食みの届け物の最新刊が出ていたのだ。
前の巻も気になるところで以下続刊、となっていたのでそわそわしながら待っていたのだけれど、まさかこんなに早く読めるなんて。さすが大都会。
『僕はマルクッチ氏の研究書が気になってるんだけど』
「魔王さまとアルバンさんに聞いてください。二人ともけっこうな量の本を買いこんでましたよ」
『そうなのかい? 僕も買いに行きたいなあ』
ちかちか点滅するフラスコの中身をフラスコごと助手に渡したバルタザールさんは、短く文字を書きつけて、今度は乳鉢で粉を練り始めた。
一滴ずつ、水に見える何かを含ませ、ねりねりねりねり。
小説よりもバルタザールさんの手元が気になってしかたないので、おとなしく本を閉じた。
『印刷機は手に入りそうなのかい』
「やっぱりむずかしいそうです。
いろいろ細かな道具が必要になるそうなんですけど、職人が足りなくて、今は王都にあるものの整備で手いっぱいなのだそうです」
たぶん、これは言い訳で、魔界に行きたがる職人がいなかったんだろうなあ、と思う。しかし、そんなことでめげるバルタザールさんではない。
『そうか。技術留学制度を進めないとな』
またバルタザールさんのうしろから叫び声が上がった。もうこれ以上の仕事はムリです、とか、もう少しゆっくりお願いします、とか。
バルタザールさんはきれいに無視している。こわ。
乳鉢の中身は水を入れる前よりも倍以上に量が増えて、どろりとしてきていた。
それを確認したバルタザールさんは、アルコールランプと三脚と小さなフライパンを取り出した。
ピンセットではさんだ脱脂綿でフライパンをなでると、しゅわしゅわと小さく音がした。脱脂綿になにか染みこませてあったらしい。
『帰りは実家に寄るんだっけ』
「そのつもりだったんですけど、すこし予定がずれます。
今日のうちにアルバンさんから正式に報告があると思いますけど、エルフィーの予定が空きしだい、いっしょにいって魔王さまを待つことになってたのが、営業が順調すぎてエルフィーの予定が詰まっちゃって。予定よりもだいぶ滞在期間が短くなります」
『へえ、そうなのか。それなら農業留学体験の奴らにも言っておかないと』
「それって、もうそんなに話が進んでたんですか?」
『まあね。今回は体験という形で君達がいる間だけだったんだけど』
フライパンの上に乳鉢の中身が投入される。
じゅうじゅうと音をたてるそれに、砂時計をひっくり返してから、バルタザールさんはふたをした。
『全員張り切ってたからなあ。がっかりするだろうなあ』
今度はビーカーに何種類もの粉を入れていく。ガラス棒でひと混ぜしてから、水を入れてさらにまぜまぜ。
途中で砂時計の砂が落ち切ったので、またひっくり返して、フライパンのふたを開けて、中身もひっくり返した。
こ、これは………!
ビーカーの中身を色を変えて、とろみを増していく。
こ、これも………!
『できたできた』
砂の落ち切った砂時計を片付けたご機嫌なようすのバルタザールさんは、アルコールランプにふたをして、三脚を片付けた。
フライパンの下にはもちろん鍋敷きが用意される。
ビーカーの中身をとろりとかけたそれは、どこから見てもりっぱなチョコソースがけホットケーキだった。
おいしそう……。
バルタザールさんがひと口食べたところで、わたしのお腹がお昼ご飯を要求してきた。
「レギーナさあん!」
「はい。今日のデザートはホットケーキにいたしますね」
できるメイドを持って、わたしは幸せだなあ。
ホットケーキをほおばりながら、わたしは幸せをかみしめた。




