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魔王さまと花嫁さん  作者: 結城暁


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穏やかな庭園で

 やわらかな日差しが庭に降り注いでいた。色とりどりの花が風に揺られている。

 この光景だけを見ればここが魔界だと言われても信じられないだろう。


「きれいですね」

「ああ。そうだな」


 黒い蝶がひらひら飛んでいる。小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 バラに似た花が咲いている。ひまわりのような花が咲いている。紫色の小さな花が群れて咲いている。長いつるのと中と中に白い花が咲いている。ほのかに甘く香る黄色い花が咲いている。うっすらと桃色に色付いた花を咲かせている樹木から花びらが風に散っている。あたたかいのにまるで雪が降っているようだ。

 奥まった場所にひときわ目立つ花木にどことなくエンメルガルトさまを思わせるうすい緑色をした白い花が咲いていた。

 その木の周りにはジークくんによくにた綿毛がふわふわゆれて、まるで薄緑の木を守っているように群生していた。ほんとにエンメルガルトさまとジークくんによく似ている。

 久しぶりに日光を浴びることができてよかった。また来れたらいいなあ。


「聞いていたとおりに穏やかなところでしたね。地元の人たちには何を言ってるんだって言われちゃうかもしれませんけど。

 またいっしょに来られたらいいですね」

「ああ。……リオネッサ」

「はい。なんでしょうか、魔王さま」


 さあさあと風が吹き抜けていった。

 魔王さまをどこか打ち沈んでいるように見える。


「ヴァーダイアは良い土地だ」

「ええ、ほんとに。そうですね」

「気候は一年を通して穏やかであり、瘴気も薄く、シュングレーニィよりもはるかに危険が少ない。エンメルガルト殿の膝元であれば何の憂いもなく過ごせるだろう」

「……そうかもしれませんね」


 わたしは魔王さまの服のすそをつかんだ。


「どうだろう、リオネッサ。ヴァーダイア(ここ)で暮らしてみないか?」


 魔王さまを見上げる。

 魔王さまの瞳は今日も澄んだ冬空のようにとてもきれいだった。なんだか天気雨になりそうな空模様をしている。


「魔王さまといっしょに暮らせるならそれもいいですね」


 魔王さまの服のすそから魔王さまの手へ。

 あいかわらずのふわもこ毛皮と、わたしのための肉球にふれる。

 やっぱりわたしってすっごく幸せ者だ。大好きな人のすぐ近くにいられるのだから。

 大好きな人がわたしを大切に思ってくれているだけで胸がいっぱいになるほど嬉しくなっちゃうものだかれど、やっぱりすぐ触れ合える距離にいるのも大事だと思うんだ。不安になったときやさみしいときすぐに手をつなげるように。


「魔王さまのおっしゃるとおりヴァーダイアは良いところです。

 お日さまが見られますし、あたたかいですし、エンメルガルトさまを始め、住人のかたも良い人ばかりでした。

 ぶっそうな爆発や地響きもありませんでしたし、ここで暮らせば身の危険はぐっと減ると思います」

「………」

「でもですね、魔王さま。わたしひとりきりならそれはなんの意味もないんです」


 びっくりした魔王さまなんて珍しいものを見られるなんて、やっぱりわたしは幸せ者だ。びっくりしすぎた魔王さまの冬空が、まるで風に吹かれた冬の湖面のようにゆらめていている。


「もちろん危険が好きというわけはないですよ? 安心安全のほうがいいに決まってます」


 勘違いは怖いからいちおう釘は刺しておく。

 そりゃわたしだってできることなら安全地帯でのんべんだらりと暮らせるならそのほうがいいと思う。

 好きなことができて、三食昼寝付き。これが叶うなら世の楽園と呼べるのではなかろうか。そのうえ好きな人がそばにいるなら極楽浄土にもほどがある。


「わたしは魔王さまといっしょにいたいから魔王さまの花嫁になったんですよ? それなのに離れ離れに暮らすなんて、いくら魔王さまの頼みでもお断りです。魔王さまのそばにいられないなら魔界に来た意味がありません」

「……だが、リオネッサ」

「だがもへちまもありません」


 わたしにしては珍しくきっぱりと言いきった。

 魔王さまはいつになくおろおろと焦っているようだった。初めて見る量の汗だ。


「わたしは、何を言われたって魔王さまのそばにいますから」

「リオネッサ……」


 魔王さまの手のひらがわたしのほほをなでる。


「大量の魔素が人体に悪影響を及ぼす事は君も知っているだろう」

「はい。勉強もしましたし、身を持って学んだのでバッチリです!」

「うむ……」

「魔王さまのくださったペンダントのおかげで魔素の影響は最小限になってますよ?」

「ああ。だがそれも十全ではないと伝えただろう? なのに、なぜ君はヴァーダイアにいることを選んでくれないのだ」


 うなだれた魔王さまの額と少しだけ背伸びをしたわたしの額があわさる。あったかい。

 そんなの、わかってるくせに。


「だから言ってるじゃないですか。わたしは魔王さまのそばにいたいんです。何があったって、どんなときだって。

 でなきゃただの田舎者の下流貴族が(ちょーお)危険な魔界のど真ん中までわざわざ嫁いできたりしませんって。

 魔王さまもそれはわかっていらっしゃるでしょう」

「………」

「それにわたしは死ぬまでそばにいますって、結婚式のときに誓ったじゃないですか。忘れちゃったんですか?」

「忘れるなど有り得ないさ。

 ……だが、それでも、ただでさえ短い人界人の寿命を私の我が儘で使わせたくはないのだ。

 離れてい暮らしていても話はできる。それに通おうと思えば通える距離だ。君に無理をさせてくはない。

 リオネッサ、君も気付いているはずだ。床に臥せる回数が増えてきた事に」

「…………はい」


 健康だけが取り柄だったわたしが、ちょこちょこベッドの住人になるようになったのはおそらく魔素が原因だろうな、とは思っていた。

 定期健診もじわじわと増えてような気がしていたし、バルタザールさんの表情も気のせいていどに難しくなってきていたし。

 魔王さまが大きな腕でもってわたしを抱きしめる。


「私は君を失いたくない」


 わたしは何も言えずに魔王さまを抱きしめ返した。

 軽々しく返事はできない。だって、わたしは必ず魔王さまより先に死んでしまう。


「我がままを言っているのはわたしですよ、魔王さま。魔王さまを悲しませてしまうとわかっていて、あなたの言うことを聞けないんですから」


 わたしを抱きしめる腕の力がわずかばかり強くなった。


「わたしはどうがんばって魔王さまより先に死んでしまいます。だから、生きているうちにたくさん魔王さまとの思い出を作っておきたいんです」


 わたしが死んだあとでも魔王さまがさみしくないように。

 魔王さまの匂いを胸いっぱい吸い込んでから顔を上げた。


「そう言ったらあなたは怒りますか?」

「………いいや」


 魔王さまは瞳を細めて笑った。

 初めてみるような、泣き出してしまいそうな笑みだった。


「私が君に怒りを感じる事など未来永劫来ないだろう」

「うーん、それはそれで少し複雑な気分です」


 くすくす笑いあって、それからわたしたちは少しだけ涙にぬれた口付けをした。

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