13.アーシャの目に見えるもの
アーシャはこの大陸の言語を話すことはできる。しかし読み書きはとても苦手だった。簡単な数字ぐらいしか読むことができない。
「研究室には多分たくさんの資料があると思います。でもそれは専門用語なんかも多いかと。確か草原の識字率はそう高くはないって読んだ覚えがあります」
「うん、その通りよ。読めない。困ったわ」
せっかくピーインのことが知れると思ったのだがこれである。
(こうなったら、トラブル覚悟でその研究員とやらを捕縛するしかないか。捕まえて吐かせる……時間の勝負だし、大事になりそう。そうなるとまだ時期尚早かも。もっとピーインであるという確信を得てから……でも、セフィスと繋がっている黒い糸のことを考えると時間をかけるのはよくない気がする)
アーシャの思考が物騒な方向に寄ったところでセフィスから声をかけられた。
「あのアーシャさん、僕も研究室に連れてってもらえませんか?」
思いがけない申し出に、アーシャは目を丸く見開いた。
とても有り難くはある。けれど、実行するにはリスクが高い。主に、セフィスの。
「あなたは、研究室に入っちゃダメって言われてたんでしょ? 見つかったら怒られるじゃ済まないかもしれないわよ?」
セフィスには武力がまるでない。知識があるし観察眼もあるけれど、有事の際には逃げることすらできないだろう。王子という身分だって、彼の盾にはなってくれていない。そんな状況で、以前禁止されたことを再びやって捕まったらどうなるか。
アーシャがそう指摘すると、セフィスは悔しそうに唇を噛む。けれど決意した目でこちらを見てきた。
「多分ばれたら怒られるじゃ済まないと僕も思います。それでも僕は知りたいんです。……それに、常々おかしいと思うことがあって。それも研究室に行けばわかるかもしれない」
「私としては文字が読めるあなたが来てくれた方がすごく助かるわ。でも……」
やはり不安がある。アーシャとていつかはこの王宮から逃げ出すつもりだ。その時彼を連れていければいいけれど、そう簡単にはいかないだろう。誰かを守りながら脱走できるほど自分が強くないことをアーシャは良くわかっていた。
だが、セフィスの決意は変わらなかった。
「僕にとってもいい機会なんです。僕だけなら確実に見つかってしまうでしょうけれど、アーシャさんがいればって思ったので。あの、失礼ですがアーシャさんは常人には見えない何かが見えていませんか?」
「えっ!?」
言い当てられて、ドキリと心臓が跳ねた。
内緒にしていたわけではない。彼になら機会があれば打ち明けてもいいと思っていた秘密だ。けれど、たった数時間一緒にいただけなのに言い当てられるとは思ってもいなかった。
「僕は魔法が使えないからこそ、魔法に関する記録や理論は人一倍読みました。幼少期は、使えるようになったら皆認めてくれるんじゃないかって思ったりもして……。結局、使えるようにはなりませんでしたけど。でも、その過程で様々なことを知ることができました。その中で「魔法を放つ際には、予備動作として魔力と魔素を練り合わせる必要がある」ということも知りました」
「え? うん」
唐突に始まったセフィスによる魔法学の講義に、アーシャは戸惑いながらも真剣に聞く。
「そして、その予備動作中に妨害が入ると、練っている途中の魔素と魔力が逆流して本人がダメージを受けるらしいんです」
「なるほど。それであの人達、なんか苦しんでたのね」
それで厨房にやって来た兵士や、先刻セフィスを侮辱した兵士が苦しがっていたのか、と腑に落ちた。だからって、カケラも同情しないけど。
「はい、それで思ったんです。もしかしてアーシャさんはその仕組みを知っていたのでは? って思ったんです」
「えっ!? 全然知らなかったよ。ただ、草原の火吹き蛇に似た動きをしたから、同じようにすれば隙ができると思っただけで……」
「火吹き蛇、ですか。その話、良かったら詳しく聞かせてもらえませんか?」
そこからは質疑応答タイムとなった。
大きな岩改め、ピーインの卵の前に座り込み、セフィスからの質問攻めに遭う。正直、自分にとって当然であることを改めて言葉にする、というのはとても難しかった。
(私の説明、とってもわかりづらいと思う。もどかしいなぁ……草原で生きていくだけの知識はあるって思ってたけど、こんな場面では役に立たないのね)
そんな風に自分を少し恥じているアーシャとは対照的に、セフィスは生き生きと質問を続けてきた。アーシャの乏しい語彙力からの説明でも豊富な知識を擦り合わせて理解し、わかりやすく解説してくれる。こんなにもヒョロヒョロなセフィスだが、今は誰よりも頼もしく思えた。
その結果、アーシャに見えていたのは魔力だ、という判断になった。
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