第255話 炎と氷
地面を凍らせ、飛び出したアイリーン達に、公爵軍は完全に出鼻を挫かれた。
悪くなってしまった足場も彼らの脅威だが、高速移動砲台の脅威はそれの比ではない。
アイスウルフに引かれるソリは、魔法で作った氷のジャンプ台で、敵陣を飛び越え後方へ。一気に挟み撃ちの形にしたと思えば、準備の整わない公爵軍後方に、魔法をバラ撒いたのだ。
「騎馬隊、あの犬っころを押さえろ!」
敵司令官の檄が飛ぶが、反転した騎馬隊の足元ももれなく凍っている。
急な反転は、馬を転倒させ、そしてその上の騎士にも落馬のダメージを与える。
敵部隊がまごつくなか、適当に魔法をバラ撒いたアイスウルフ部隊のいくつかが、再び生成したジャンプ台を飛び越え、城門の中へ戻っていった。
たった数分の攻防で、一気に形勢が決まっていた。なんせまだ足場は凍ったままだ。しかも若干の勾配つきである。
敵兵は転倒する者、武器を杖に身体を支える者、魔法で足場を溶かす者。とにかく足元ばかりに意識が向く兵士など、アイリーン達の相手にすらならない。
飛来する弓と魔法で。
滑り抜ける兵士の槍で。
一気にその数を減らしてしまった。
初手を取ったアイリーンだが、油断はしない。なんせ混乱しているとはいえ、敵も魔道士を動員しているのだ。
――足場が駄目なら、足場を作り変えるでしょうね。
アイリーンの頭にランディの言葉が響いた時、前方で大きな魔力を感知した。
「全員退避!」
アイリーンが叫び、皆が大きく飛び退いた頃、味方であるはずの公爵兵を巻き込んで、地面から炎が噴き出した。
退避が間に合ったアイリーン達に、然程被害はないものの、巻き込まれた公爵軍は阿鼻叫喚の地獄と化している。
「どうやらこちらが当たりか」
奥歯を鳴らしたアイリーンの瞳が、後方に見える露出の多い女――ルーシィ――を捉えた。確実に戦場向きではない出で立ち。その装いに、アイリーンが「ようやくだ」とその笑みを獰猛なものに変えた。
それは昨日までの熱に浮かされたようなものではない。兄と母にした仕打ちへの仕返し。それを冷静にやり返すという、静かな怒りだ。
そんなアイリーンが、氷のスケート靴のまま器用に駆け出し、飛び上がった。
敵兵を踏みつけたアイリーンが、ルーシィの前に降り立つ。二人共面識などない。それでも一瞬でお互いの存在を理解した。
「初めましてだな、【真理の巡礼者】」
「【氷の舞姫】。思ったよりも乳臭い女ねぇ」
睨み合う両者の耳には、戦場の怒号がやけに遠く聞こえていた。
「ロルフ・フォン・ヴァルトナーが娘、アイリーンだ」
剣を突きつけたアイリーンが、ゆっくりと息を吐き出した。
「名を聞こうか、【真理の巡礼者】」
真っ直ぐ睨みつけるアイリーンに、ルーシィが、「そうねぇ」と頬に手を当て妖艶な笑みを見せた。
「【真理の巡礼者】が最高幹部、四聖。【紅蓮の聖女】ルチア・レッド・グリーヴよぉ」
微笑むルーシィが、「ルーシィって呼んでね」とウインクを見せた。
そんなルーシィから瞳を逸らさないまま、アイリーンが「聖女か」と鼻で笑う。
「私の知る聖女とは、大違いだな」
「あんな小娘と一緒にされると困るわぁ」
嘲笑を浮かべるルーシィだが、アイリーンの表情は変わらない。ただ脳裏に年下の友人と交わした言葉が響いていた。
――母や兄を助けてもらってなんだが、彼女はあれで聖女を名乗って大丈夫か?
――いいんじゃないでしょうか。失敗して、立ち上がって、そして今も自分らしさを見失わずに、それでも人を惹き付け始めてる。キャサリン様らしい聖女だと思いますよ。
(あの時は懐が深いと思っていたが……)
今ならリズが言った意味が、よく分かる。アイリーンにとっても、やはり【聖女】は、あのおっちょこちょいの娘だけが名乗れる称号だ。
(耳障りな話し方だけは頂けないが)
それを思い出したアイリーンが、「フッ」と笑った。
「貴様にはその二つ名は重すぎるな」
「あら……一丁前に煽れるのねぇ」
微笑むルーシィに、アイリーンが「事実だ」と笑顔のまま首を振った。
「貴様の名乗りを聞いたのが私で良かったな。仮に彼らに聞かれていたら……貴様、今頃消し炭すら残っていないぞ」
嘲笑を浮かべ返したアイリーンに、「生意気ね」とルーシィの笑顔が歪んだ。
「教えてあげるわぁ」
「こちらのセリフだ」
睨み合っていた二人の周囲に、いや空を覆い尽くすように赤橙色の魔法陣が無数に現れた。
まるで夕焼けだ。灼熱に染まる空から、紅蓮の焔が降り注ぐ。
爆ぜる焔が火柱となって荒れ狂う。
吹き荒れる焔の嵐は、敵味方の区別なく周囲一体を焼き払った。
「あらぁ。溶けてないのねぇ」
いつの間にか距離を取り、ニコリと笑うルーシィに、「この程度ではな」とアイリーンが笑みを返した。
(先程の退避で、自軍への影響は少ないが……)
チラリと周囲を見渡せば、公爵軍であっただろう者達の炭化した死体がいくつも転がっている。
「敵味方の区別も出来ぬか……」
「馬鹿ねぇ。アタシにとっては、あの方以外全て敵よぉ」
妖艶に微笑んだルーシィが、再び杖を構えた。
「さあ、【舞姫】。踊ってくれるかしら?」
再び空に陣が浮かび、火焔の矢が降りそそぐ。
眼前に迫る火焔を前に、アイリーンが両手の剣を翻す。
焔の中を舞う白銀。
アイリーンの手にあるのは、氷のように透き通った美しい剣。
その二本が翻る度、焔が掻き消され、同時に周囲に氷の華が咲く。
火焔と霧氷の演舞。
傍目には美しい演目だが、実際は劫火とそれを斬り裂く深淵の氷だ。
誰もその嵐に近づく事すら出来ず、ただただその美しくも恐ろしい演舞を見守るしか出来ないでいた。
「チッ、思ったよりやるわね」
顔を歪めたルーシィが、大きく距離を取った。
アイリーンが焔の中を舞いながらも、少しずつ距離を詰めてきているのだ。
アイリーンがステップを踏む。
振るわれる氷剣。
剣閃が炎を裂いた――かと思えば、地面が一瞬で凍てついた。
ルーシィまで続く氷の道。
その上を高速で移動するアイリーン。
緩から急。
舞いを変形させたアイリーンの神速の突き。
目を見開いたルーシィの土手っ腹を、アイリーンの剣が貫いた。
「がっ……」
ルーシィが苦悶の声をもらした瞬間、その身体が焔に代わり爆ぜた。
襲い来る熱波に、アイリーンが大きく後退。
僅かに焦げた髪を払い、アイリーンは目の前のルーシィを睨みつけた。
「まるで大道芸人だな」
アイリーンの挑発に、ルーシィが眉を寄せて舌打ちを漏らす。
その腹部に見える薄っすらとした血の跡は、先程の入れ替わりが、万能でないことを教えている。
「小娘が……殺す」
ルーシィが憤怒の表情で、杖を掲げた。
「『立て 赤き塔よ この地を囲い この空を焦がせ――《煉獄柱陣》』」
短い詠唱で、ルーシィを中央にいくつもの炎柱が立ち上った。不気味にゆっくりと回転する炎柱に、ルーシィが「終わりよぉ」と微笑んでみせた。
「『紅蓮は天に在り 焔の理は我に宿る――』」
再び始まるルーシィの詠唱を、アイリーンは阻止せんと駆けた。
一気に距離を詰めたアイリーンの目の前で、ルーシィがその姿を焔に変えて消える。
剣を空振らせたアイリーンが、慌てて振り返れば、ルーシィの姿は先程出来た炎柱の中に。
「『焼き尽くせ 大地を 空を 因果を――』」
追いついたアイリーンが剣を突き立てるが、ルーシィの姿は既に別の炎柱に。そうして現れては、アイリーンを嘲笑うかのように消え、そしてまた現れる。
「『汝が罪を以て 焔の審判を下さん』」
青空を覆う大きな魔法陣が現れた。まるで『紅い目』のような見た目のそれに、周囲の兵達が一斉に慄いた。
「『さあ、舞うがいい 最後の一歩を――』」
アイリーンが火柱を斬りつけた瞬間、ルーシィが無数の火柱の中央に現れた。
「『汝が足取りこそ審きの導火線』」
ニヤリと笑うルーシィを、アイリーンの剣が叩き斬る……が、それも焔に代わり霧散した。
「『来たれ! 終焉の焔よ!』」
天から響く声に、アイリーンが思わず顔を上げた。空の魔法陣が鮮やかに輝く――。
「《緋焔天葬》」
空を突き破って、無数の炎球が降り注いだ。見た目には沢山のファイヤーボールだが、その数が尋常ではない。
しかも、降り注ぐ炎球は全てがアイリーン目掛けて集まってくるのだ。
一つを避けても、別の炎球が迫り、それを斬ってもまた別の物が。
「無駄よぉ。私の《緋焔天葬》は、《煉獄柱陣》の中の者を焼き殺すまで止まらないわぁ」
炎柱の外で笑うルーシィに、アイリーンが「ならば」と《煉獄柱陣》の外に出ようとするのだが、見えない力に阻まれ弾かれた。
「残念。出られるわけないじゃない」
嘲笑めいたルーシィだが、炎球を転がり躱したアイリーンは、ルーシィの額に滲む汗に気がついていた。
地面を焦がし、その後も魔法の連発、からのアイリーンに負わされた傷。そしてこの大技だ。
ルーシィも限界が近いのだろう事を悟ったアイリーンが、両手の剣を構えた。
「我慢比べといこうか」
そうして炎柱の舞台の中で、アイリーンはただひたすらに炎球を斬って躱し始めた。
舞い上がる炎柱の中で、優雅に舞うアイリーン。
その身の動きすべてが、剣技と舞の融合。避ける動作がそのまま斬撃へと転じ、攻防の境界が溶けてゆく。
「……な、何なのよ……」
アイリーンを見つめるルーシィの笑顔が引き攣った。既にルーシィは限界を超え、魔力の欠乏で立っているのもやっとだ。
だというのに、《煉獄柱陣》の中のアイリーンは笑っているのだ。ルーシィには理解できないだろう。無心になれる。ただ避けてただ斬る。それだけに集中する機会などそうはない。
アイリーンの剣先が閃いた。その瞬間、ルーシィの限界がきたように膝をついた。
それと時を同じくして、結界を構成していた炎柱が一つ、また一つと霧散していく。
「そ……そんな――」
震えるルーシィの瞳が、ゆっくりと歩いてくるアイリーンを捉えた。
「終幕、だな」
凍てつく空気を纏うアイリーンが、その切っ先をルーシィへと向けた。
「まだよ……まだ、燃え尽きてない!」
憤怒の表情を浮かべたルーシィが、立ち上がり杖を掲げ……るよりも前に、アイリーンの突きがその胸を貫いた。
「――ゴフッ」
血を吐いたルーシィが、地面に再び膝をつき、そのままうつ伏せに倒れ伏した。
ルージュを引いた唇よりも紅い……そんな血の混じった唇で、ルーシィが微笑んだ。
「……ふふ……この程度で終わると思わないでねぇ」
微笑むルーシィの瞳は、虚ろな中に異様な光をたたえている。
「焔は……まだ、燻ぶってるわぁ。私の敗北ごときで消せる焔じゃない……」
話す度、ルーシィの口から血が溢れる。
「……もっと燃えるわよぉ……地ごと、天ごと、すべて焼き尽くす程に……」
その言葉とともに、ルーシィの身体を炎柱が包み込んだ。今日一番の熱量は、一瞬でルーシィの身体を燃やし尽くした。塵も残らぬ程――。
天を焦がす炎を見ていたアイリーンも、それが収まると同時、膝から崩れ落ちた。
アイリーンも既に限界を迎えていたのだ。
薄れゆく意識の中、遠くから「お嬢様!」と聞き覚えのある声が聞こえてくる。
(ウェインの声が聞こえる……)
内心苦笑いを浮かべたアイリーンの霞む瞳に、映ったのは駆けつけたウェインと、山田の姿だ。
「……ウェイン。お前……が、く、えん――」
そうして意識を手放したアイリーンを、「救護班を!」と兵士の格好をしたウェインが抱え上げて山田の後のソリに載せ、壊滅した公爵軍を横目に城壁へと帰って行った。
日はまだ昇っている途中であった。




