第254話 そりゃアイリーンの兄でロルフの息子ですからね。敵も戦争開始前に潰そうとしたくらい優秀ですよ
あれは戦場ではなかった。舞台である。
観客はヴァルトナー、脚本は疑心、そして演者はもちろん帝国をはじめとした連合軍だ。
そのうえで、舞台を囲う城壁こそが幕であり、演者が舞台に立っていると気付いた時には、彼らの幕は既に下りた後だった。
『現代軍略思想と古典』より一部抜粋
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アイリーンが西門で気持ちを落ち着かせていたのと同じ頃、主力を多く配備した東側は、アーヴィンと数少ないアイスウルフ部隊を先頭に、騎馬や重装歩兵、魔道兵と様々な兵種が息を潜めていた。
そんな中でも、恐らく敵も気付いているだろう城壁の上には、これみよがしに多くの魔道士に見立てた歩兵を配置している。実際の魔道士は、門の前で待機させたままで……。
いわば彼らは案山子である。いくら精強な帝国軍といえど、この数の魔道士相手に、真正面からの攻城戦は分が悪い。そう思ってくれるだけでいい。
近づけば彼らが魔道士に扮した兵だと、必ず気付かれる。だがそれでいいのだ。いや、気付かれねばならぬのだ。
わざわざ歩兵を案山子代わりにしたのは、帝国が城壁のハリボテに気付くまでの、時間稼ぎだけではない。
この案山子が、後々効果を発揮するからだ。
今回の籠城戦に見せかけた三門合同突撃作戦は、ロルフの単騎突撃以外をアーヴィンが立案した。アイリーンが作り上げた高速移動砲台と、高速移動兵。そして本来の屈強な歩兵・騎士集団。それらを運用し、相手を一度に叩くというアーヴィンのコンセプトは、〝嫌がらせ〟だ。
一日以上焦らされ、もっといえば何ヶ月も前から特殊部隊を潜入させて、アーヴィンやその母であるイザベラが酷い目に合わされたのだ。騎士の道理などない、そんな戦い方に、アーヴィンとて怒りが沸かぬわけではない。
だから敢えて、この作戦では籠城戦に見せかけた戦いで、嫌がらせをすると決めたのだ。
アーヴィンが大きく深呼吸をした頃、城門上の兵士が、〝南開門〟の合図を見せた。
正門が開いたことで、城壁の向こうの帝国軍にも僅かに動揺が走ったのだろう、静かだった門の向こうが分かりやすく騒がしくなった。それでも東の門は開かない。
アーヴィンが逸る気持ちを抑えた頃、〝西開門〟の合図が城門の上から出された。アイリーンと高速移動部隊が、敵を撹乱しているころだろう。
それでも東の門は開かない。
「敵、僅かに前進。こちらの魔道士を警戒している模様」
南が開いた以上、帝国もモタモタ出来ない。
籠城戦で開始早々扉を開いたということは、敵が打って出たからだ。仮に南が破られでもしたら、城壁と挟み撃ちにされる可能性がある。
このまま城壁と、睨み合いなどしていられない。
帝国は一応確認の伝令を走らせつつ、敵が南から出たならまだこちらは手薄と、進軍を開始したのだ。
それでもかなりゆっくりとした防御態勢での動きは、間違いなく城壁の案山子が効果を発揮している。もっといえば、父祖の代から築き上げた〝戦上手〟というヴァルトナーの名前も状況を後押ししているだろう。
戦が上手い。だからこそ、籠城戦もお手本通りの防衛体制だ、と
その先入観を逆手に取ったアーヴィンも、今はただ我慢の時間だ。
帝国軍はジリジリと近づいてくる。だが、城門の上はただの歩兵だ。魔法で牽制など出来はしない。本来の魔法兵がポツポツと放つ魔法と、弓兵だけの牽制に、どうやら帝国軍も案山子の存在に気がついたようだ。
「魔法はない、ハリボテだ!」
敵が案山子に気付いた。
「敵、陣形をそのまま突っ込んできます!」
的を絞らせないよう、横に大きく広がる陣形。そのまま突っ込んでくるという形は、アーヴィンの読み通りではある……のだが、
(くそ……。思ったより早かったな)
見えぬからこそ、いやこれが彼にとっての初陣だからこそ、どうしても気持ちが先走ってしまう。それを落ち着け、ただ自分の策と妹、そして屈強な部下達を信じる。
(信じろ。出来る……)
実際は敵が動き出してから、十数秒後の出来事。だがアーヴィンにとって、一生分ともいえる程長い我慢の時間は、不意に終わりを告げた。
「……見えました!」
城壁から降ってきた声に、アーヴィンが顔を上げ、近くに控える数人の男に「頼むぞ」と声をかけた。
彼らが数騎のアイスウルフ部隊へと乗り込むのと同時、アーヴィンは味方魔道士達に目配せをした。
待ち構えていた状況に、アーヴィンが大きく息を吸い込んだ。
帝国に気付かれた案山子。
突っ込んでくる帝国兵。
一見すると悪い状況にしか見えないが、ここからが本番だ。
「アイスウルフ魔法部隊、来ます!」
監視の声と間を空けずして、城門の向こうが一気に騒がしくなった。
「敵襲!」
「後方から?」
「伝令はどうした!」
「王国騎士団は何をしている?」
アイリーンが率いていた高速移動砲台の数騎が、公爵軍を通り抜け、南で一騎打ちに夢中な騎士団を迂回して東の背後に現れた形だ。
おまけに敵の伝令を途中で倒して。
心理的な壁。そのお陰で、まったく連携が取れていないからこその奇襲。
帝国軍の背後に現れた、アイスウルフ部隊は、お手本通りに後方に布陣していた敵魔道士部隊を急襲した。
完全ノーマーク。そこに降り注ぐ魔法。瓦解した後衛に、帝国軍が分かりやすく浮足立った。
だがそれで終わりではない。このアイスウルフ部隊での奇襲の最大の目的は、敵の後衛を潰すためではない。後衛へのダメージなど、いわばオマケだ。
「くそ、どっちが裏切った?」
「王国騎士団ではないか?」
「いや、公爵も信用できん」
口々に飛ぶのは、後方から現れた敵が〝誰か〟という疑念だ。元々心理的な隔たりがあるのだ、ここにきていきなり後から殴られれば、味方らしき人間にも疑いが向く。
「慌てるな! 裏切ったとは限らん。王国が、主力に食い破られたのかもしれん!」
叫んで場を収めた指揮官は恐らく優秀なのだろう。
連携の取れぬ状況。
目の前の城壁に配置された案山子。
後から現れた高速移動部隊。
それらの情報から、南門から出撃した主力が、味方を食い破ってこちらに応援に駆けつけた。そんな予想を立てたのだ。そしてそれもアーヴィンの読み通りだ。
この判断が、完全に天秤を傾けた。
「後方防御! 前衛は今直ぐそのハリボテを突き破れ!」
敵の重装歩兵が反転し、同時に身軽な歩兵と騎馬が、城壁の上は恐るるに足らず、と突っ込んで来た。
だが既に城壁の上の案山子は、本物の魔道士部隊と入れ替わっている。まともな防御もなく、真っ直ぐ突っ込んでくる敵など、ただのデカい的でしかない。
降りそそぐ無数の氷槍が、一瞬で敵の第一陣を氷漬けにした。
「ま、魔道士ではないか!」
意識外からの魔法攻撃に、帝国軍が固まったその時、
「開門!」
アーヴィンの掛け声で、東門が開く。それと同時に、後方で帝国を煽り倒していたアイスウルフ部隊は、地面に氷のジャンプ台を作って横長の帝国軍を飛び越えた。
後方から一気に城壁側へ……通り抜けたアイスウルフ部隊が、開いた城門の中へ滑り込む。
「ご苦労、しばし休憩を取れ」
戻ってきた魔道士を労うアーヴィンが、「放て!」と待機させていたアーヴィン側の、アイスウルフ部隊を放りだし城門を閉じた。
同じように高速で移動し、かつ最初からジャンプ台で軍を飛び越えるアイスウルフ部隊は、通過しながら魔法をばら撒くおまけ付きだ。完全に呆気に取られた帝国軍へ見せつけるように。
相手を飛び越えた部隊は、奇襲部隊が作った氷の道を通って、西へと姿を消していった。
後ろから来たと思えば、通り抜け。
抜けたと思えばまた出てくる。
そして今の攻防で、いやこれ見よがしなジャンプ台に、帝国軍も気がついた。南門もまだ撃破されていないだろうという事に。
それと同時に帝国軍の指揮官は、アーヴィン達ヴァルトナーに嵌められた事にも気がついた。
籠城戦において、門を開けて突っ込んでくる筈がない。
寡兵を更に分けて同時に戦う筈がない。
そんな当たり前の認識は、彼らの眼を曇らせていた。特に兵を分ける筈がない、という考えを、アーヴィンが案山子で一旦後押ししたのも大きかった。
案山子を置く。つまり、別の所に攻撃を集中させている。そんな先入観が、先程の奇襲を無駄に大きな脅威にしたのだ。
教科書とは真逆の行動。城門と立地、さらに帝国の心理的状況を利用した、一回きりのドッキリ作戦は、帝国軍の足並みを大きく乱していた。
それでも一回きりの作戦だ。種が分かれば必要以上に恐れる必要はない。
「急ぎ伝令を走らせろ!」
そんな面持ちで立ち直った帝国軍が、また陣形を整えかけた時、その背後から「アォーーン」とお手本のような遠吠えが響いた。
再びの奇襲を警戒してか、帝国軍が僅かに後退して後方を警戒した。だが……何も来ない。当たり前である。先程の遠吠えも仕込みなのだ。
魔道士部隊に紛れさせたのは、アイスウルフの鳴き真似の上手いただの兵士だ。西に消えたアイスウルフ部隊は、途中で男達だけを下ろしていた。単なる宴会芸も、奇襲と併せて使うことで、敵の意表を突くことが出来る。
そして彼らの役目はもう一つ。伝令の撃破だ。
後方に現れるのは、ソリに乗って走るのは魔道士。そんな新たな先入観を逆手に取った伏兵。
伝令が通らねば、彼らの疑念は時間とともに大きくなる。
そんな事とはつゆ知らず。響いた遠吠えに、「来る」と身構えた帝国軍だが、実際は何も来ない。その僅かな思考の隙間をアーヴィンは逃さない。
「開門!」
その隙をついて、アーヴィンが再び東門を開いた。先程敢えて敵軍を凍らせたのも、これの仕込みだ。
「突撃!」
飛び出したのは先程収容したアイスウルフ部隊だ。
後ろかと思えば前。
敵の前衛を魔法で焼き尽くし、そのまま煽るようにまた城門へと戻って来る。しかも今度は少しゆっくり目に。
おちょくるような攻撃に、前衛の兵士たちがいきり立った。
「このやろう!」
数人の兵士が駆け出そうとした瞬間、再び後方から「アオーン」と遠吠えが響き、帝国軍が身構えた。だがもちろんアイスウルフ部隊が来ることはない。
「ええい、馬鹿にしおって! 重装歩兵、前へ!」
顔を赤くした指揮官が、突撃陣形を取った。力技で魔法を避けつつ城門にへばりつくつもりだろう。
「目にもの見せて――」
「アオーン」
響く遠吠えに、指揮官が手に持っていた采配をへし折った。
「遠吠えは無視だ!」
指揮官に従い、前衛特化の突撃陣形が完成した丁度その時、今度は本当に後方から、アイスウルフ部隊が現れた。
彼らがそれに気付いた時にはもう遅い。
またもや後衛の魔道士部隊に大打撃を与えたアイスウルフ部隊は、今度は立ち去らずに相手の後方に留まり続けている。
「おのれ! 騎馬隊、あの犬っころを黙らせてこい!」
帝国騎馬隊が、突進隊形から反転したその時、
「突撃!」
アーヴィンの掛け声で、反転したばかりの帝国騎馬隊へ向けて、ヴァルトナーの騎馬が突っ込んだ。
先程のアイスウルフ部隊がゆっくりだったのは、何も煽る為だけではない。地面の氷を溶かしたからだ。
遮るもののない一直線。屈強なヴァルトナー騎馬隊が、混乱する帝国の土手っ腹に風穴を開ける突進を食らわした。
軽装歩兵を蹴散らし、敵騎馬を食い破る効果的な突撃に、完全に帝国の陣形は崩れた。
そして騎馬の後に来るのは……万を持したヴァルトナー最強の騎士部隊だ。
重装に身を包みながらも、恐ろしいほどの速度で敵との距離を詰め、その一撃で敵陣を吹き飛ばす。そんな集団が一気果敢に攻め立てれば、いかに精強な帝国といえど、混乱を抑える事など出来ない。
僅かに残った帝国の騎馬は、混乱する歩兵が邪魔で動きを封じられ、突進したヴァルトナーの騎馬が、相手の後方を更に食い破る。
完全に瓦解した帝国軍の中央に、ベストなタイミングで飛び込むのはアーヴィンだ。
父ロルフには劣るものの、彼も【剛槍】の異名を持つ猛者である。槍を片手に敵陣へ突っ込み、その華麗かつ強力な一撃で相手の陣を大きく食い破った。
完全に混乱した中に、一騎当千の猛者が現れれば、最早事態の収束はほぼ不可能だ。そしてその猛者が、一直線に指揮官へ向かえば尚の事。
指揮官を守る兵士をなぎ倒し、アーヴィンが槍を唸らせた。
その一撃が、馬上の指揮官を貫く。
指揮官の左半身が大きく抉れて吹き飛んだ。
吹き出す血。
時が止まったかと思うほど、ゆっくりと指揮官の身体が馬上から崩れ落ちた。
――ドサリ
と一際大きな音が、静かになった戦場に響いた。
「勝鬨だ!」
槍を掲げたアーヴィンの声に、ヴァルトナーの軍勢が呼応するように、声を張り上げた。
瓦解した軍。
討たれた指揮官。
上がる勝鬨。
完全に動きの止まった帝国軍を、アーヴィンは逃さない。
「掃討せよ! 二度とヴァルトナーの地を踏みたいと思わせるな!」
その掛け声により、帝国軍は崩れ去った。這々の体で逃げ出す者、何とか反撃をしようとする者、降伏を願い出る者。
陽はまだ昇っている途中であった。




