第252話 ヴァルトナーですからね。相手も色々考えています
ランディ達が日蝕の日程を確認した翌日、王国の各地では戦いが激化し始めていた。
西と南では激しい海戦が繰り広げられ、同時に分散して上陸する帝国を、防衛部隊が退けるという似た攻防を見せていた。
そんな中、最も敵の動きが鈍いのが、ヴァルトナーが守る北の平原であった。
北の平原、ヴァルトナーが守る帝国との国境線付近では、昨夜から数回にわけて、帝国軍の越境攻撃を確認している。
とはいえ、警戒態勢を崩さなかったヴァルトナーを崩すには至っていない。そうして迎えた朝、ようやく帝国軍による大規模な越境攻撃が始まったのだが……
「弱すぎますね」
「仕方がない。我らの足止めが連中の目的だ」
アイリーンとその兄であるアーヴィンが、川向うに後退する帝国軍を眺めていた。開始早々、二時間も経たずに帝国が後退した形である。士気が上がるヴァルトナーだが、その中にあってアーヴィンは冷静に帝国の布陣を眺めていた。
川を挟んで向かい合う両軍は、防衛側のヴァルトナーに圧倒的なアドバンテージがある。渡河の必要がある帝国は、どうしても攻撃にバラツキが出るのだ。それを揃えるのが、優秀な兵と将になるのだが、今向こうに見える帝国軍にその気配はない。
布陣を整える動きも緩慢そのものだ。
もたもたと移動する軍は、川のこちらからでも「大丈夫か?」と言いたくなる拙さである。噂に聞いた帝国軍の精強さとはかけ離れた状況は、味方の士気を上げるのに一役買っている。
あまりにも酷い動きに、どこからともなく失笑がもれる。戦場において笑いを堪えられぬ程、相手が酷いとも言えるが……
「次来たら、壊滅させてやる」
「手柄は俺のものだ」
……あまりにも上がりすぎた士気は、少々兵士たちに浮ついた雰囲気をもたらしていた。
士気が上がるのは確かに良いことだが、まるでわざとヴァルトナーの勢いを煽るような攻め方に、アーヴィンは眉を寄せた。
「少し嫌な戦い方だな」
考え込むアーヴィンに、「そうでしょうか?」とアイリーンが首を傾げた。アイリーンの瞳には、何故か侵略側なのに川向うで防衛向きの陣を展開する帝国が映っている。
「私には腰抜けの戦法にしかみえませんが……」
相変わらず機嫌が悪いアイリーンの原因は、昨日も届いたアーサーからの手紙のせいだ。
『北の状況はどうだ。危険はないか』
といった旨の、アイリーンを心配する手紙なのだが、アイリーンからしたら「放っておいてくれ」と言いたいところだろう。
「さっさと終わらせてしまいたいというのに……」
アイリーンは、川向こうで布陣を整える帝国軍を睨みつけた。完全な防御態勢に、「腰抜けめ」と舌打ちをもらすアイリーンの肩を、アーヴィンが掴んだ。
「アイリーン、落ち着け」
「落ち着いていますよ」
そうは言うが、完全に前のめりだ。それはアイリーンだけでなく、他の兵士や騎士達も。無理もない。丸一日焦らされて、攻めてきたと思えば弱卒である。
音に聞こえた帝国軍相手に、緒戦を完封した事で、特に若い兵や騎士達も地に足がついていない。
「父上――」
勢いづく自軍に、アーヴィンはロルフを振り返った。先程からずっと腕を組み、黙ったままだったロルフが静かに頷く。
「全軍に通達。防御布陣を保ったまま本陣まで後退」
その指示に、アイリーンが「正気ですか?」と思わず振り返った。
「帝国は完全に及び腰だというのに、ここで我らが退いては――」
「目的を見失うな。我らの役目は防衛と……この地に侵入した敵の殲滅だ」
ロルフの言葉に、アイリーンが「ですが」と俯いた。
「くどい。何度も言わせるな。我が後退と言えば後退する」
圧倒的な威圧を受け、小さくなったアイリーンが「……はい」と呟き、部隊へ伝令を飛ばす。
「全軍、防御陣を維持したまま本陣まで後退だ!」
勢いづいていたヴァルトナー軍にとって、その伝令は完全な冷水であった。所々で「なぜ?」と上がる疑問の声は、完全に軍を混乱させかねないものだ。それでも大きな混乱が起きなかったのは、ロルフと年齢の近いベテラン兵士や騎士達が、浮つく若い兵士達の尻を叩いたからだ。
ウェインの父を始めとしたベテラン勢は、浮つく若い騎士達と違い、アーヴィン同様冷静に状況を見極めていたのだ。
何かがおかしい。戦場の妙な雰囲気も、そしてその雰囲気の中に留めておきたい敵兵も、と。
故にロルフが発した急な命令にも、異を唱えず淡々と従うことが出来た。
そのお陰で浮ついていた若い兵士達も、不満が出たのは一瞬だ。いつも近くで自分の世話をしてくれるベテランが、冷静に指示に従う姿を見れば彼らの熱も冷めたわけである。
この層の厚さと、横の信頼の強さが、ヴァルトナーの強さと言えるかもしれない。
そうして川向うで呆ける帝国軍を残し、ヴァルトナー軍は本陣を敷いた小高い丘の上まで陣を維持したまま高速撤退を見せた。
日は丁度中天を過ぎた頃だ。
「父上、全軍後退が完了しました」
こちらも落ち着きを取り戻したアイリーンに、ロルフが「落ち着いたか」とようやく笑みを見せた。
「はい。私も、そして若い奴らも……」
苦笑いを見せたアイリーンが、高い位置から遠くに見える川を眺めた。向こうに布陣しているはずの帝国軍の姿は、この位置からでは殆ど見えない。
「【真理の巡礼者】の罠でしょうか」
「さあな。ただ、あの異様な熱気に説明がつかん以上、敵の策略を疑うべきだな」
ため息をついたロルフは、内心アーサーへの文句が止まらない。要らぬタイミングでアイリーンの心を乱し、ああして妙な熱気の最前線に踊りださせたのだ。アイリーンがもう少し落ち着いていれば、あのような醜態は晒さなかっただろうものを、と。
とはいえ後退を示したのは、戦場の雰囲気だけではない。やはり敵の妙な時間稼ぎに、ロルフの勘が働いたのが一番大きい。
「全軍に休息をさせておけ。直ぐに来るぞ……」
ロルフが言う通り、ヴァルトナーが休憩をとってから一時間程した頃……
「東に軍勢あり。旗は……ロートハイム公爵です!」
報告にヴァルトナー本陣がわずかにザワめいた。普通に考えれば援軍だが、ロートハイム軍が真っ直ぐこちらに向かってくるのだ。
「伝令もなく、こちらに合流する理由はなんだろうな」
鼻で笑うロルフに、アーヴィンは「考えたくないですが」とため息をついた。
実際二人が危惧していた通り、真っ直ぐに向かってくるロートハイム公爵軍は、どう見ても攻撃布陣で突っ込んでくるのだ。
「帝国軍、動きます!」
続く報告が、川向うの帝国軍の動きを伝える。
東と北から、真っ直ぐにヴァルトナー本陣へ向かってくる両軍。その様子にアイリーンや若い兵士たちは肝を冷やしていた。あのまま勢いづいて帝国と向かい合っていたら、東から現れた公爵軍に思い切り横っ面を殴られていただろう。
だがこうして本陣まで後退して落ち着き、さらに高所を取った状態だ。
ロートハイムの――完全に王国を裏切る――行動に驚きこそすれ、準備が完全に整ったヴァルトナーに然程衝撃はない。
迎撃体勢を整えたヴァルトナー軍から、弓や魔法が二方向へ降り注ぐ……。
勢いを削がれた公爵軍と帝国軍が、たたらを踏むように停止した。
「父上……奴らまだ何か企んでますね」
振り返ったアイリーンに、ロルフは「ああ」と頷いて両軍を見比べた。帝国の旗と公爵軍の旗。風にたなびくそれらが、不気味にまた布陣を整え始めたその時、帝国の旗が公爵軍のそれに一気に変わった。
「何を……」
アイリーンが眉を寄せた時、公爵軍の中から大きな光が立ち上り、ヴァルトナーへ降り注いだ。
「防御!」
合図とほぼ同時、魔法防御の陣営を整えたヴァルトナーだが、降り注いだ光は彼らにダメージを与えたわけではなかった。
ただヴァルトナーの旗のいくつかが、帝国の物に変わっただけだ。
「何だこれは?」
「何の意味が……」
方々から上がる疑問の声に、ロルフが「小賢しい真似を」と奥歯を鳴らした時、
「報告、南から軍勢あり」
「どこだ?」
思わず振り返ったアーヴィンに、監視の兵が「あれは……」と遠眼鏡を覗く目を凝らした。
「王国騎士団です!」
本来ならば現れたのは援軍と喜ぶべきだが、今の状況は最悪だ。
パッと見ただけで、ヴァルトナー・帝国連合軍を、ロートハイム公爵軍が押さえている。そんな構図に何も知らない王国騎士団が南から現れたのだ。
「アーヴィン。どう思う?」
苦笑いのロルフに、アーヴィンも苦笑いを返した。
「普通なら状況を確認し、伝令を放つでしょうが……」
「あの猪突猛進のランス卿だからな」
ため息混じりのロルフが思い出すのは、良く言えば純粋、悪く言えば単純な王国騎士団団長ブルーノ・ランスという男だ。
帝国の旗と混同するヴァルトナーの旗。そしてつい最近まで流れていた、『ヴァルトナーと帝国は繋がっている』という、根も葉もない噂。その二つから予想される、ブルーノ・ランスの行動は……
「ロルフ・フォン・ヴァルトナーぁあああああ!」
戦場を震わせる怒声に、ロルフとアーヴィンが苦い顔を見合わせた。
「帝国と通じ、王国に牙を剥いたかぁああああああ!」
単騎駆けで突っ込んでくるブルーノの姿に、ロルフが脇に立て掛けていた戦斧を掴んだ。
「一合の後、援護を。それから街へ向けて後退だ」
それだけ言い残すと、ロルフが本陣から飛び出した。
「父上!」
「お待ちを!」
止める二人を無視したロルフが、突っ込んできたブルーノの一撃を戦斧で受け止めた。
大剣と戦斧。その二つがぶつかった衝撃で、二人を中心に足元の草花が波紋状に大きくなびいた。
「血迷ったか。ロルフ・フォン・ヴァルトナー!」
「それはこちらのセリフだな、ランス卿!」
ブルーノを押し返したロルフ。その真後ろから矢と魔法が霰の如く降り注ぐ。
飛来する無数の攻撃に、ブルーノがたまらず大きく後へ飛び退いた。
着弾した魔法が爆発し、ブルーノが更に退く。
そこへまた魔法と矢。
そうして大きく後退したブルーノを置き去りに、ロルフは一路反転。
全速力で駆け出し、命令通り反転していた軍勢に追いついた。
「父上、殿は私が――」
胸に手を当てるアイリーンに、「必要ない」とロルフがチラリとブルーノを振り返った。
「頭が三つもある連中だ。相手をする必要もない」
事実ロルフの言う通り、騎士団と合流したブルーノが動く気配はない。
帝国、公爵の両軍にも同時に遠距離で牽制したお陰か、防御陣形から攻撃に移るまでに若干のラグがある。
その一瞬の隙を突いて、ヴァルトナーは一糸乱れぬ動きで一目散に領都を目指して速度を上げた。
兎に角傍目には這々の体で逃げ出すようなヴァルトナー軍を前に、三つの軍の出足はそこから更にバラけた。
ブルーノに従い進軍を停止した騎士団。
慎重に陣形を維持したまま追撃を始める帝国軍。
そして、功を焦り突出して追撃を仕掛けた公爵軍。
速度を優先させた公爵軍の先方が、ヴァルトナーの背後に迫る。
それでも殿は要らない、というロルフの言葉を信じ、全員が後退のみに徹してひたすら領都を目指す。
「一番槍――」
公爵軍の騎馬が、ついにヴァルトナーを捉えようかというその瞬間、横に伸びた公爵軍を食い破るように、横合いからアイスウルフ部隊が襲いかかった。
「ヤマダ!」
思わず声を上げたアイリーンに、「ヤマダ?」とロルフが首を傾げるが、それに誰も答えてくれない。伸びた戦線ごと、アイスウルフ部隊に噛みちぎられ、一瞬で瓦解した騎馬部隊を前に、公爵軍の進軍が停止した。
その間にヴァルトナー全軍は、堅牢な城壁を誇るブランクルフトへ避難する事に成功した。
「さて――」
全軍を見渡すロルフに、兵達の顔が引き締まった。急な撤退であったが、今のところ士気に低下は見えない。
「全員、ゆっくり休んでおけよ」
ありえないような指示ですら、今は誰も異を唱えることはない。公爵軍の奇襲を読み、そして三方からの同時攻撃を撤退という形で無効にしたのだ。この期に及んで、ロルフの戦勘の凄さに疑いを持つものなどいないのだ。
「本番は明朝だ」
その言葉もまた、ヴァルトナーの兵士達にすんなりと受け入れられるのであった。
☆☆☆
ロルフと武器を交えたブルーノは、先程の光景を思い出していた。土煙が収まった頃には、ヴァルトナーの軍勢は陣も維持せず高速で遠くに見える領都ブランクルフトへと引き上げ始めていた。
帝国とヴァルトナーの旗をはためかせて。
「逃さんぞ。ロルフ・フォン・ヴァルトナー」
奥歯を鳴らすブルーノの下に、伝令を持った男が現れた。
「公爵軍指揮官より伝令です」
「二つの軍勢の足並みが、揃わなかった言い訳でも、聞かせてくれるのか?」
ため息混じりのブルーノに、「是非直接お会いしたいと」と伝令の男が公爵軍の陣営を指した。
「分かった。ひとまず合流するとしよう」
ブルーノを含む王国騎士団は、こうして公爵・帝国の思惑通り、ヴァルトナーを叩くための手駒として利用されることとなった。
日蝕まであと一日……




