第247話 そのためのヴィクトールです
エリオット玉が大爆発を見せた翌朝……ハイゼンベルグの街は、昨夜の騒ぎを引き摺るように、少しだけ静かな朝を迎えていた。誰もが怯えているのだろう、通りに見える人の姿は、いつもに比べるとまばらだ。
そんな街を、ランディはあの灯台のある崖に腰かけ、ぼんやりと眺めていた。
ゆっくりと昇ってきた太陽に、少しずつ街が色付き始める……
「お疲れ様です」
振り返る事なく口を開いたランディの後ろに、音もなくミランダと【暗潮】が現れた。
「ランドルフ様、事後処理までお手伝いいただき、感謝申し上げます」
現れたミランダと数人の【暗潮】が、ランディへ深々と頭を下げた。いくらリズと親しい仲とはいえ、他家の、しかも嫡男に一晩中手伝って貰ったのだ。九〇度に近い礼は、彼らからしたら精一杯の誠意だろう。
「いえ。少しでも役に立てて良かったです」
ランディは立ち上がり、彼らに手を挙げて応えた。ようやく頭を上げたミランダ達に、ランディは肩をすくめて口を開いた。
「本番は不在ですから」
バツの悪さを隠すため、ランディは頬を掻いて彼女達を横目に通り過ぎる。崖の反対側には、朝日に輝く海が広がっている。
どこまでも続く海は穏やかで綺麗だ。ただ今はその美しさも、嵐の前の静けさにしか見えない。
「もうすぐここにも、戦艦が来るんでしょうね」
呟くランディの目には、炎に染まる港と荒れ狂う海が見えている。尖兵たる【真理の巡礼者】であの覚悟と攻撃だ。これから来るだろう帝国軍の激しさは推して知るべしだろう。
「厳しい戦いになるかと……」
呟きながらランディの隣に来たミランダが、それでも戦わないという選択肢はない、と拳を握りしめ海を見つめた。
昇り始めた太陽のおかげか、ランディ達の背中側で、街が少しずつ活気を見せ始めている。
「親父殿に、ハリスンでも派遣するようお願いしましょうか?」
「ウォーカー卿が来ていただけるなら、百人力ですが……セドリック様の密かなライバル心が心配ですね」
笑顔のミランダが、ヴァルトナーでハリスンとアイリーンとの戦いを見て以来、セドリックの中で何か変化があったらしい事を教えてくれた。
しきりにハリスンを気にして、剣を振るっているのだという。
「あー。あいつはあれで、剣筋は一番綺麗らしいですからね」
「やはりですか」
ミランダがそう言って笑顔を見せた時、ランディの真横で空間が歪み……
「お? 噂をすれば何とやら」
「やっぱりここでしたね」
「やあ、久しぶり」
……リズとセドリックが現れた。
姿を見せた二人に、ミランダと【暗潮】の面々が膝をついた。どうやらこの服装の時は、ミランダも【暗潮】としての振る舞いを徹底しているようだ。
「楽にしてくれ。夜通し大変だったろう」
微笑むセドリックに、「もったいないお言葉」とミランダが立ち上がり、それに倣うように他の【暗潮】も立ち上がった。
「夜中に地響きが聞こえていたんですが、もしかしてランディですか?」
首を傾げるリズに、「俺というか、なんというか」とランディが歯切れの悪い言葉を返した。
「閣下、怒ってなかった?」
「怒ってはないさ」
「ビックリはしてましたけど」
苦笑いのセドリックとリズにランディが「ホッ」と安堵のため息をついた。それを見ていたミランダがまた笑う。同時にセドリックも苦笑いで首を振った。手伝ってもらい、しかも敵の幹部を倒したのに感謝こそすれ、怒るなどありえないと。
「そうですね。お父様も『助かった』と仰っていましたから」
笑顔のリズが、「そうだ」と思い出したように懐から一枚の手紙を差し出した。
「お父様から、アラン様へ、だそうです」
怪訝なリズの表情を見るに、リズもその内容を理解してはいないのだろう。だがリズの話を聞くに、昨日の騒動の後、急ぎで認めた事は確からしい。
「……まて。これ親父殿にバレたらマズいんじゃ……」
思い出すのは、何も言わずにブラウベルグまで来たことだ。しかもこの忙しいブラウベルグに。今頃ヴィクトールでは騒ぎになっている可能性が高い、とランディが顔を青くする。
もちろんランディの予想を遥かに超える騒ぎになっているが、ランディが知るのはもう少し先だ。
「ならお父様からアラン様に、『あまり叱らないでくれ』という内容かもしれませんね」
「閣下サンキュー!」
手紙を抱きしめたランディに、全員が顔を見合わせ誰ともなく笑顔を見せた。
「ランドルフ君。早々で悪いけど、僕はもう行くよ」
手を振るセドリックに、ランディも頭を下げた。忙しいだろうに、こうして顔を見せに来てくれたのだ。セドリックなりの筋を通してくれたのだろう。
そんなセドリックが、ミランダに何かを囁いて、リズを抱きしめた。
「お、お兄様……」
「次会う時は全部終わってからだね」
そう言って笑ったセドリックが、今度こそ手を挙げて姿を消した。【暗潮】もビックリの速さで、風に消えるように駆けていったのだ。
「急にハグするんですから」
頬を膨らませるリズに、ランディがセドリックらしいと笑えば、リズ以外の皆が声を揃えて笑った。
「わ、笑い事じゃないですよ」
顔を赤らめるリズだが、仲が良くて良いと、皆が取り合わない。そうして皆がひとしきり笑った頃、ミランダがポツリと呟いた。
「我々はこの日々を守る為に戦わねばなりませんね」
そのつぶやきに【暗潮】がしみじみと頷いた時、潮風が吹き抜けた。足元で揺れる草の感覚も、鼻をくすぐる潮の香りも、そして照らす日の柔らかな暖かさも。どれもこれも、今日もまた変わらぬ日が来たことを教えてくれる。
あんな騒動があっても、変わらぬ穏やかな日が。
だから明日もこの穏やかさを迎える為に、今暫くは戦いに身を投じよう、とミランダがもう一度街を振り返った。
「この街と侯爵家を守ることこそ、我らの務めですから」
力強く言い切ったミランダに、ランディとリズがそれぞれミランダを挟むように並んだ。
「ミランダさんも」
「です」
街を見下ろしたまま呟く二人に、ミランダが「え?」と声を漏らして二人を交互に見比べている。
「ミランダさんも」
「そして【暗潮】の皆さんも」
「全員がこの街の一員で、侯爵家の人間ですからね。何かあったらリズが悲しむんで、絶対に無理しないで下さいよ」
「そうですよ」
街を見つめたまま口を開いたランディとリズに、ミランダが「フフッ」と微笑んだ。
「そうですね。まだまだ楽しい事がありますから」
そう笑ったミランダが、ランディ達から少し離れて振り返った。
「それでは」
ランディを前に右拳を胸元に当てた。それに倣うように数人の部下も右拳を胸元に当て、そして全員が一斉に拳を勢いよく下ろした。
その所作にリズが目を見開き、「【暗潮】の敬礼です」と素早く教えてくれた。
「それって……」
ランディ相手には初めて見せる【暗潮】の敬礼。〝心は卿に、身は影に〟という意味で、本来なら絶対に、侯爵家以外にはその敬礼を見せることはない。
「我が主セドリック・フォン・ブラウベルグからの伝言です。ランドルフ・ヴィクトール卿。貴殿の働きに、侯爵家を代表して、最大限の感謝を申し上げる」
真剣な表情。セドリックからの伝言。そして本来見せることのない敬礼。それが意味する事は、ランディでも分かる。
ここで礼をせねばならない。礼の機会を失する可能性。
セドリックも、ミランダ達も、これから来たるべき強大な敵を前に、決死の覚悟で立ち向かうという意思。そして、セドリックがわざわざミランダ達に敬礼までさせたのは、侯爵家に連なるリズを頼むという意思表示だ。
――ふざけるな。
と一蹴することなど出来はしない。ランディは、セドリックとミランダの性格上、死にに行くつもりなどない事など理解している。それでも相手の大きさを考え、彼らは最悪を想定して動いているのだ。
そのくらい、帝国の攻撃がブラウベルグに集中する可能性が高まっている。当初のルシアンやアランの想像を超えて、確実にブラウベルグを落としに来ている。
四聖二人がいい例だ。
だから……それを理解しているからこそ、ランディは「ふざけるな」などと言えない。死地に活路を見出さんとする友に、口先だけの言葉など言えるはずもない。
だから……しばし考えていたランディが、ミランダ達を真っ直ぐに見据え、右の拳を握りしめた。
ランディは、握った拳で左の腰を強く叩いた。その激しい音に、ミランダ達だけでなく、リズも驚いたようにランディを見る。
全員の注目を集めたランディが、今度は右拳で力強く胸を叩いた。
再び音が響く。
【暗潮】の静かな礼とは違うが、これはヴィクトールなりの騎士の礼。
元々は、柄に優しく触れた右手を、剣を抜くような所作で大きく円を描いてから胸に当てる。それが古来より伝わる公国式騎士の儀礼だ。滑らかかつ美しい所作で〝剣と心を主に〟という意味が込められている。
それがヴィクトールで荒々しく変化した形である。握りしめた拳で剣の鍔――ランディは帯剣してないので腰――を叩き、その拳で胸を強く叩く。荒々しく粗野に見えるが、それは彼らの生き様を示しているからだ。
〝我が剣は我が心に従う〟
一切の飾りなどない。ただヴィクトールを体現した生き様の礼。もちろんヴィクトールと付き合いの長いミランダ達は知っている。その礼に込められた〝誓い〟の意味を。
だから、敬意に敬意を返してくれた……そうミランダ達が理解しようとした、その時、ランディが続けて胸をもう一度叩いて、その拳を前に突き出した。
その所作にミランダも【暗潮】も、全員が目を見開いた。
〝我が心はお主にあり〟
つまり、〝お前を守る〟という所作だ。もちろんミランダの事だけではない。【暗潮】も、そしてハイゼンベルグも、もちろん伝言を残したセドリックと侯爵家も。
それら全てを守る。そういう誓いだ。
この場でヴィクトールの嫡男がそれを示す事が、何を意味しているのかを、ミランダ達も理解した。
ミランダ達が見せた、今生の別れを予感させる最大限の敬意に、ランディは〝ヴィクトールがいる〟と最大限の敬意で返したのだ。その事実にミランダが「あなたという方は」と笑顔を見せた。
「侯爵家をお願いされましたからね」
真剣な表情のランディが、侯爵領全てが侯爵家だと口角を上げた。
「……主に伝えておきます」
微笑んだミランダが、僅かに頭を下げてその場を後にした。
まるで風に消えてしまったかのように、音もなく立ち去ったミランダ達は、既に街へ降り、方々に散っていってしまった。
「さて。俺達もそろそろ小島に戻るかな」
「そう、ですね……」
淋しげに街を見つめたリズが、「行きましょう。エリーの身体が待ってます」と目を伏せて街から視線を逸らした。
「んじゃ、行くぞ――」
頷いたランディが、リズを抱えて港へ向けて飛び降りた。転移で帰るにしても、持ってきた小舟をいつまでも停泊させておくわけにもいかない。
そうして夜通し続いたランディと【暗潮】による【真理の巡礼者】狩りは、一定の成果と、来たるべき戦いの激しさを予感させつつ終わりを見せたのであった。




