第245話 人であるという事
ゆっくりと開いた扉を潜って出てきたのは、ランディよりも大きな筋骨隆々の男だった。無造作に伸びた茶髪も、垂れ気味の瞳も、ランディにはどこか見覚えがあるのだが、良く思い出せない。
(俺よりデカいなら覚えてそうだが……)
喉まで出かかる。そんなもどかしさをランディが飲み込んだちょうどその時、眼の前の男が「へぇ」とランディを見て笑った。
「誰かと思えば、【戦鬼】じゃん」
自分を知っている風な言葉に、ランディは男を真っ直ぐ睨みつけた。
「誰だ、テメーは」
ランディの言葉に「ああ、そうか」と頷いてニヤリと笑った。
「この格好では初めましてかな――」
両手を広げた男が薄っすらと闘気を纏った。
「僕はエリオット。【真理の巡礼者】が四聖、【蒼翠の叡智】エリオットだ」
ニヤリと笑ったエリオットに、ランディは「叡智?」と眉を寄せた。
四聖、叡智、エリオット……記憶を手繰り寄せたランディが、ヴァルトナーで遭遇した男を思い出した。
「もしかして、ロルフ閣下にボコボコにされた奴か?」
「アレは戦闘用の肉体じゃなくてね」
肩をすくめるエリオットに、「生きてたんだな」とランディが感心した声をもらした。
「気になるかい?」
「いんや。何となく想像出来るから要らねーよ」
首を振るランディに、エリオットがつまらなそうに眉を寄せた。実際ランディはエリオットが生き延びたカラクリに予想がついている。わざわざ身体がどうとか言ったのだ。魂だけを身体から抜き出す方法があるのだろう、と。
思えばロルフと最初に対峙した時も、人形だったことを思い出したのだ。
「んで、今度のお人形さんは、まともなんだろうな?」
片眉を上げ、嘲笑めいた顔を見せたランディに、エリオットの顔が僅かに歪んだ。
「試してみるかい?」
構えたエリオットの全身から、闘気が迸る。ランディの全身が粟立つ。血が冷たくなるような緊張感は、間違いなく強者と対峙した時のそれだ。
「ちっとは楽しませてくれよ」
笑顔のランディに、エリオットが不満げに鼻を鳴らして口を開いた。
「君は必要なピースらしいけど……正直、今殺しても同じかな――」
エリオットの姿が消えたかと思えば、一瞬でランディの眼の前に現れた。
振り下ろされるエリオットの拳。
迎え討つはランディの左腕。
両者の腕が衝突し、空気を震わせた。
「へぇ。受け止めるか。伊達に大きくないね」
余裕そうなエリオットの瞳には、足を地面にめり込ませたランディの姿が映っている。
ランディを押しつぶさんとするエリオットの右腕。
それを押し返そうとするランディの左腕。
力が拮抗しているかのように、お互いの腕がプルプルと震え……そして弾かれるようにエリオットが間合いを切った。
「今のは小手調べだよ」
首をコキコキと鳴らすエリオットに、「そりゃ良かった」とランディがめり込んだ足を引っこ抜きながら笑った。
「あの程度で全力だったら、弱すぎて泣いちまうところだったぜ」
嘲笑めいた顔を見せたランディに、「強がりを」とエリオットがニヤリと笑い、また構えをとった。
「次は五〇パーセントの力でいこうか」
「値打ちこいてねーで、全力で来い」
棒立ちのまま手招きするランディに、「様式美だよ」とエリオットがまた姿を消した。
先程よりも速度が上がったエリオット。
一瞬で間合いを詰めたエリオットが、ジョルトブロー気味に左ジャブ。
迫る拳に、ランディはヘッドスリップ。
ランディの右耳付近で、空気が爆ぜる音が響いた……かと思えば、エリオットの左ジャブが一瞬で引き戻された。
弾けるように戻ったエリオットの左が、ランディの頭を再び襲う。
ジョルト気味からの二連撃。
だがそれもランディの頭を捉えられない。
再び空振ったジャブだが、エリオットの猛攻は止まらない。
左を引き戻した勢いで、エリオットが右を繰り出した。
速度重視のコンパクトなストレート。
ランディの鼻先に、エリオットの右拳が迫る。
当たる直前で、ランディがウィービング。
と同時に右のフックをエリオットに叩き込んだ。
ランディの右拳がエリオットの顔面を捉えた。
完全なカウンターだが、鼻っ柱を殴られたエリオットがニヤリと笑う。
「非力だな」
小馬鹿にするようなエリオットが、ランディを掴もうと両腕を交差させた。
エリオットの掴みをランディがバックステップで回避。
「【戦鬼】と言ってもこの程度か」
嘲笑を浮かべてみせたエリオットが、「次は七五パーセントだ」と更に速度を上げてランディに迫った。
先程よりも速い攻撃に、ランディが口を真一文字に結んだまま回避に徹する。
「ほらほらほらぁああ!」
対象的にエリオットは、楽しそうに拳や蹴りを幾度となく繰り出してくる。そのいくつかが、ランディに掠り、僅かに血を滲ませた。
嵐のようなラッシュを回避し続けたランディが、再び大きなバックステップで間合いを切った。
「逃げてばかりじゃ勝てないよ」
下卑た笑みのエリオットに、ランディは無言で構えたままだ。
「冗談も言えないか」
クツクツと笑ったエリオットが、更に口を開いた。
「遊びは終わり。一〇〇パーセントで行くよ――」
完全に消えたかと思うほどの速さ。
そんなエリオットの拳を、ランディが両腕でガード。
衝撃で空気が震え、そしてランディが床を滑っていく。
ザーーーっと響く音に、「まだまだ」とエリオットが追いかけ、怒涛のラッシュを繰り出した。
蹴りや拳が容赦なくランディを襲い、そして――
「つかまえた」
エリオットがランディを掴んで、思いきり地面に叩きつけた。
大きく部屋全体が揺れ、ランディの身体も真上に少し跳ねた。
それをエリオットがスタンピング。
地面にランディを縫い付けるように、何度も、何度も、何度も踏みつけた。
「あはははははは」
笑い声を響かせ、何度もランディを踏みつけたエリオットが「はあ、はあ」と肩で息をする頃、ランディは地面に深くめり込み、瓦礫と土でボロボロに汚れた姿になっていた。
それに満足したようなエリオットが、ランディに背を向けた……その時、地面に開いた穴の中で、ランディがゆっくりと立ち上がった。
ランディの気配に、エリオットが「頑丈だね」と振りざまに拳を繰り出した。
ランディの顔面に迫る拳……は、ランディの左手の中へ――。
「まだ動ける――ん?」
エリオットが気付いた時には遅かった。ギリギリと締め上げられる拳は、見る間に悲鳴を上げ始め……
「やめろ、はなせ!」
エリオットの嘆願を待たず、鈍い音を立ててランディの左手で握りつぶされた。
「貴様――」
「がっかりだぜ……力自慢」
ランディが「ペッ」と僅かに血の混じった唾を吐いた。
「講釈垂れるから、何か面白い技くらいあるかと思えば……ただ単に力任せかよ。喰らい損じゃねーか」
ランディの見せる獰猛な笑みに、エリオットが慌てて距離を取った。完全に死んだ右拳をチラリとみたエリオットが、「火事場の何とやらかい?」と眉をよせ、ランディを睨みつけた。
「馬鹿か。力ってーのは、伝え方と使い方次第なんだよ」
首を鳴らしたランディが、「おせーてやる」とゆっくりと構えをとった。キースが見たらそれこそ「良い構えです」と褒めそうなほど、静かだが圧のある構えだ。
「ガキが。どっちが講釈垂れてだよ」
鬼の形相のエリオットがランディに迫る。
繰り出される超速のジャブ……に、ランディがカウンターの左を合わせた。
エリオットの顔面に、めり込む拳。
それでも、止まらぬ勢いがエリオットを吹き飛ばす。
ゴロゴロと転がったエリオットが、鼻血をまき散らしつつも慌てて立ち上がった。
「どうした? まだ五割も出してねーぞ?」
笑みを見せるランディに、エリオットが乱暴に鼻血を拭う。
「言ってろよ!」
今度はエリオットがランディにタックル。
腰に回した両腕に、「とった」とエリオットが笑うのだが、ランディの腰は重く、全く動かない。
先程よりも力を込めるが、ピクリとも動かないランディに、エリオットの顔が引き攣った。
「な、なんで――」
「馬鹿か。この程度基本中の基本だ」
投げに対する腰の落とし方。それすら知らぬ相手に、一から説明する程ランディは優しくない。逆に腰が浮いたエリオットの身体を掴んで、真上に放り投げた。
放られたエリオットだが空中で受け身を取り、着地と同時にランディへと迫る。
間合いを詰めたエリオットの高速ラッシュ。
右、左、蹴りまで交えたそれらも、ランディの身体を掠る事すらない。
「くそ、くそ!」
一変した状況は、エリオットには意味が分からないだろう。どれだけ速くとも、反応出来るなら慣れる物だ。速球ばかりきたら、バッターも慣れるように。
「くそがぁあああ!」
怒りから、エリオットが力む。
僅かに大ぶりになった一撃を、ランディは見逃さない。
一瞬の隙をついた、ランディの光速右ジャブ。
――パァン
と弾けるような音は、ダメージよりも牽制に近い。だからエリオットも「効かない!」と僅かに仰け反った頭で笑う……のだが。
「言ってろ」
ランディが両拳を唸らせた。
音すら置き去りにされたランディのラッシュに、エリオットの身体が見る間に浮き上がる。
「――スゥ」
息を大きく吸い込んだランディが、腰を落とすと同時に左拳を叩きつけた。
空間全体が振動する衝撃に、エリオットの巨体が吹き飛び地面を転がった。
何度も地面をバウンドしたエリオットが、「ゴホッ、ゴホ」と咳き込みならが立ち上がった。
「く、くそ。僕のこの身体は……」
エリオットの言葉を払いのけるように、ランディが手を振り、「ホント、がっかりだぜ」と盛大なため息をついた。
「せっかく激戦地っぽいブラウベルグまで来たのに、出てきたのが四天王最弱とはな」
ため息混じりのランディに、エリオットが「最弱、だと?」とその顔を歪めた。
「そりゃ最弱だろ。一番最初に出てきて、速攻でボコボコにされた。大方弱すぎて、ヴァルトナーの相手は無理って首になったんだろ?」
「違う! 作戦のメインがブラウベルグになった――」
そこまで口走ったエリオットが、慌てて口を噤んだ。
「ほら見ろ。役に立たねーどころか重要な事もペラペラと」
呆れた顔を見せたランディに、「貴様」とエリオットの顔が歪んでいく。
「そんなお前に良いことを教えてやるよ。前にボコされた時、他の三人が何て言ったかを」
嘲笑を浮かべたランディに、エリオットが無言のまま顔を更に歪めた。
「『エリオットがやられたか。だがやつは四天王最弱』だろうよ」
悪い顔でケラケラと笑うランディに、完全に顔を赤くしたエリオットが「貴様ぁあああ!」と再び突っ込んだ。
音を置き去りにしたエリオットの突進。
力を振り絞った渾身の一撃は、今日一番の速さだ。
巨体と速度を活かしたショルダータックル。
それを迎え討つのはランディの右腕。
肉と肉がぶつかる激しい音が、空間を再び揺らす。
舞い上がったホコリの中から姿を見せたのは、タックルを受け止めるランディの姿だ。
「……嘘だろ」
驚くエリオットだが、ランディの方は若干嬉しそうだ。なんせ、数歩分ランディの足が後ろへ滑っているのだ。つまり全力のランディを押したという事になる。
「挑発に簡単に乗る時点でダメダメだが……まあ、ガッツを見せたからな」
笑ったランディが、呆けるエリオットを軽く押した。
「俺も全力で応えてやる」
全てがゆっくりと動いているかのように、エリオットが僅かに後退した。
開くのは指先程の間合い。
だがそれでランディには十分だ。
緩から急――膝を抜いたランディの両足が、地面を力強く捉えたのと同時、
ランディの右拳が、エリオットの肩を弾き飛ばした。
遅れてくる轟音が、今日一番の衝撃でフロアを揺らし、エリオットも大きく吹き飛んだ。
壁に突き刺さったエリオットのせいで、更にフロアが揺れる。
パラパラと落ちてくる瓦礫の中を、ランディがゆっくりとエリオットへと近づく。
瓦礫を押しのけ、何とか立ち上がるエリオットだが、右肩から下が吹き飛び、その顔は恐怖に染まっている。
「嘘だろ……何なんだよお前」
半歩後ずさったエリオットが、瓦礫につまづき尻もちをついた。
「何なんだよ、って。ランドルフ・ヴィクトール。【ランディ探検隊】の隊長だ」
笑顔を見せるランディに「たんけんたい?」とエリオットが一瞬呆けた顔を見せた。
「ば、馬鹿にするな! これは……僕の最高傑作の身体なんだぞ」
尻もちをついたまま震えるエリオットが、力も速さも、人間の限界を超えているはずだとブツブツ呟いている。
「まあ。確かに力も速さも悪くはなかったが……ただのゴリ押しじゃあな」
ため息をついたランディに「は?」とエリオットが間の抜けた声を返した。
「人の限界を超えたとて、戦い方が獣と同じじゃあ、獣以下ってことだ」
ランディの言葉にエリオットが首を傾げた瞬間、その頭が吹き飛んだ。無くした頭を探すように、エリオットの身体がゆっくりと地面に倒れた。
「爪も牙もねーから、技ってのがあるんだろ」
ランディの言葉はエリオットに届いていない。だがそれは自分へ言い聞かせる意味での言葉でもある。爪も牙も持たず生まれてきた。だからこそ、人は技を身につけ、それを研ぎ澄ませて獣を超えてきた。
恵まれた肉体、それにかまけていては、自分もいずれエリオットと同じ轍を踏みかねない。特にここ最近は、力技でねじ伏せる事が多かっただけに。
故に自戒を込めた意味でも、ランディは今回の短い戦いは実りあるものだと思っている。
レベルアップして強靭になった肉体ではなく、身体に染み込ませた技こそ、最大の武器なのだと。
そんな事を思い、満足したランディの眼の前で、エリオットの身体から小さな玉が転がり落ちた。
「ンだこれ?」
玉を拾い上げたランディが、眉を寄せじっと玉を見つめる。
どう見ても普通の玉にしか見えないが、ランディは何となくエリオットの気配を、その玉に感じているのだ。
「そーいや、身体がどうとか、最高傑作がどうとか言ってたな」
思い出すのはエリオットの言葉だ。眼の前の玉と、エリオットの言葉から、ランディはこれがエリオットの魂的なものでは、と当たりをつけた。正確には魂の容器なのだが、似たようなものである。
「どーしたもんかな」
これが魂だとすると、叩き割った方がいいのだろうが、もしかしたら【暗潮】が情報を聞き出すために利用するかもしれない。そう思えば、勝手に砕くのはためらわれる、とランディが頭を抱えていたその時、上からよく知る気配がかなりの速度で向かってきた。
「とりあえず分からねーことは、聞くか」
近づいてくる気配にランディが振り返れば、「これは……」と顔を引きつらせたミランダが数人の部下とともに現れた。
「ミランダさん、ちょうど良かった――」
「ランドルフ様、街で小さな地震騒ぎが起きているのですが、ご存知ありませんか?」
「……さあ?」
思い切り視線を逸らしたランディに、「ご存知あるんですね」とミランダのジト目が突き刺さった。
「――いやあ、勢い余って」
「勢いで地震を起こされては困ります」
ちょっと張り切りすぎた。そう思ったがもう遅い。逃れられぬミランダのジト目に、ランディが「リズには内緒で」と呟いた言葉が、薄暗く広い空間に響いて消えた。




