第238話 来ましたよ。彼らの出番が
ランディ達が工房を後にし、転移門の解析を再開させていた頃、遠く離れた王国の北東部――ロートハイム公爵領――は、平和な昼下がりを向かえていた。
領都にある中央広場では、穏やかな日差しの下、老若男女が各々の昼下がりを楽しみ、誰もが明るい笑顔を見せている。不穏なカルト教団どころか、帝国の影すら感じられない。
それもそのはず。ここを治めるロートハイム公爵こそ、現王ジェラルドの弟にして、王国を裏切り帝国へ協力している男である。
港を持つ故、ヴァルトナーよりも帝国に近いと言える領地でもある。
もちろん民衆は公爵の裏切りなど知らない。ただ仮初の平和の下、春風を楽しんでいるにすぎない。ただ……そんな長閑な公園に、不釣り合いな浮かない顔をした青年が一人。
ダリオである。この国の宰相ディル・ワイスマンの息子にして、王太子の取り巻き兼友人の一人だ。
そんな彼がなぜ昼日中の公園、しかも王都から離れた公爵領にいるのかというと、ロートハイム公爵の息子二人の家庭教師という名目だ。
――公爵様の御子息は、まだ五歳と三歳では?
話が来た時にダリオの口から出た言葉である。だが何度見ても、手紙は公爵家の紋章の封蝋が施されていた。学園でも――リズに次いで――優秀な成績のダリオに是非との内容に加え、折角なら父ディルも一緒にバカンスでもと書かれていた。
結果ダリオは――ワイスマン侯爵家への監視の――暗部に見守られ、父であるワイスマン侯爵と共にこの公爵領を訪れたのだ。
それがおよそ二週間程前、春休みが始まってすぐの話。
公爵直々の依頼を受けて来たものの、やはりと言うべきか、家庭教師はダリオでなくても良い内容であった。一日のうち、一時間程幼い子ども達に勉学の基本を教えるだけ。なぜわざわざ呼ばれたのか、二週間たった今でも分からない。
完全に暇を持て余す……かと思われたダリオであったが、唯一幸運な事があった。
公爵領にクリスがいたのだ。元法務卿令息、クリス・ロウが。
あの事件の後、療養の名目で王都から離れたクリスだが、ロートハイム公爵領へと来ていた。何ということはない。他の領地貴族と元法務卿が結託するのを防ぐため、王族に連なる公爵領へと半ば追放気味に送られたわけである。
もちろんそんな事など知らぬダリオは、持て余した暇も手伝って、この二週間ほぼ毎日クリスのもとへと訪れていた。
ではなぜ友人と再会を果たしたダリオが、浮かない顔で空を見上げているのかというと。
――このままだと王国は滅びるよ。
そんな言葉をクリスに言われたからだ。
「はぁ……」
……ダリオのため息が止まらないのも無理はない。そんな事を囁いたクリスは、もちろんダリオを警護――という名目の監視――していた暗部に捕まり、「まだ精神が安定していない」など言われて、療養している屋敷へと引き摺られていったのだ。
その時クリスが喚いていた言葉が頭から離れない。
――本当だ。信じてくれ。
懇願するような友人の顔は、間違いなく正気の瞳であった。だからこそ、彼の言った言葉が気になってしまうのだ。
そんなダリオの後ろのベンチに、一人の男が腰を下ろした。
「クリス・ロウは錯乱している。知っているだろう?」
どうやら後ろの男は暗部のようだ。彼が言っているのは、ダリオがこの領に来てクリスに始めて会った時の事だ。
――【告死の獣】には手を出すな!
すごい剣幕で掴みかかってきたクリスを、ダリオは忘れることなど出来ない。そもそも手を出すなと言われても、【告死の獣】など聖典の中の作り話だ。手を出しようがないと笑うダリオにクリスは「違うんだ」と首を振った。
友の瞳に映る明らかな恐怖に、ダリオは思わず何があったのかを問うた。だが返ってきたのは「話せない」と首を振った力のない言葉だった。
「どうやらまだ精神的に病んでいるらしい」
ため息混じりの暗部の言葉に、「……みたいですね」とダリオは返した。本当に精神を病んでいる男の瞳には見えなかった。だがどうも暗部というか、国はそうしたいらしい。クリスは気が触れたとしておきたいらしい。
それに気がついてしまったダリオだが、気のない返事が友の病状にショックを受けたように見えたのか、後ろの男は「元気を出せ」とだけ言い残してベンチを後にした。
だからダリオもそれ以上は何も言わず、ただボンヤリと空を見上げるだけだ。
ダリオには【告死の獣】が何か、そしてクリスや暗部が何を隠しているかは分からない。ただ一つ言える事は、国に対する不信感が募っているという事だけだ。
普段なら、エドガーやアーサーに相談したいのだが、その二人は今それどころではない。今の二人は、失った婚約者への想いを募らせる事に必死で、何かを聞き入れるという状況ではない。
婚約破棄したエドガーと、婚約破棄されたアーサー。二人共立場こそ違えど、失った婚約者に執着している事は同じである。
そして相談できない、で言えば、宰相である父もそうだ。国の重鎮のはずなのにそもそもクリスがここにいることすら知らなかった。
思えばダリオの婚約破棄前後から、父ディルが元気がないのだ。
釈然としない。皆が何かを隠していて、そして皆がどこかおかしい
唯一救いだったのは、連日通っていた、クリスが少しずつ元気に話してくれていた事だったのだが……結局先程のアレである。
ダリオからしたら、常に嫉妬に狂っているエドガーやアーサーの方が、精神を病んでいると思えてならない。
確かに二人の気持ちが分からないダリオでは無い。ダリオとて日毎に綺麗になっていくセシリアを見て、「もっと優しくするべきだった」と後悔しないわけではないし、洗脳が解け――そう聞いている――自由になったキャサリンは、今まで以上に魅力的だと思えている。
だが友人二人の執着ぶりは、そんなダリオをしても少々常軌を逸してる。別れた女に未練があることは理解する。だが特にエドガーの見せるそれは、未練というより執着に近い。
そんなエドガーにあてられてか、アーサーも異様な執着を見せている。今までのエドガーやアーサーからは考えられない変化は、それこそクリスのおかしな言葉よりも、ダリオにとっては異常だ。
(確かに王国は終わるのかもな)
おかしくなった二人と、これからこの国を支えて行くことを思えば、ダリオはまたため息をついてしまう。
「はぁ……」
大きなため息とほぼ同時に、ダリオの座るベンチの真後ろに誰かが腰を下ろした。一瞬暗部かと思ったダリオだが、先程立ち去ったばかりだ。ならばただ歩き疲れた人が座ったのだろう、とダリオが見上げていた格好から頭を引き戻したその時、
「動くな」
凍えるような声がダリオの真後ろで囁かれた。
思わず振り返ろうとしたダリオだが、走る緊張に身体を強張らせて固まった。
「誰――」
「口を開くな。勘付かれる」
早口で捲し立てた声は、間違いなく男だ。視線一つ動くことを許さぬ男が、「いい天気だな」とわずかに顔を上げて独り言を呟いた。そのまま大きく伸びをした男が、ダリオの耳に聞こえる程度の小声で囁く。
「〝はい〟なら沈黙。〝いいえ〟ならため息ひとつ。分かったな?」
沈黙で答える。ダリオの周囲は暗部が見張っているが、彼らが出てこない以上、この男に気付いていないのは間違いない。この状況で騒げば、暗部が来る前にダリオは確実に殺されるだろう。
ダリオとて、背中合わせの男が只者ではない事くらい分かる。だから今は相手の言う事を聞くくらいしか出来ない。
「ダリオ・ワイスマンだな」
男の言葉に、ダリオは無言を返した。
「もうすぐお前の眼の前を貴婦人が通る。ハンカチを落とすから、それを拾って手渡せ。いいな」
それだけ言うと、男は無言のダリオに満足したのか立ち上がってどこかへと去っていった。
男の気配が遠ざかった頃、ダリオの眼の前を一人の老婦人が通り過ぎた。男の言う通り、ハンカチを落として。
「……レディ、ハンカチを落としましたよ」
男に言われた通り、ダリオはハンカチを拾い、老婦人へと声をかけた。驚いた老婦人が、孫が作ってくれたものだと感謝しながらダリオの手を握り、ハンカチを貰い受け去っていった。
ダリオが手の中に残った紙に気付いたのは、その直後だ。それを去っていく老婦人の背中に問うことはない。つまりそういうことなのだろう。
暗部の目を盗み、何らかの情報を渡す。それがあの男の目的だったらしい。一瞬だけ迷ったダリオだが、その紙を何食わぬ顔で手の中に収めたまま、再びベンチへ腰を下ろした。
怪しまれぬよう、ただ機を待つ。
今も何処かでダリオを見ているだろう暗部の意識から、あの老婦人とハンカチを拾ったダリオが消えるまで。ただひたすら、握りしめない程度に折り曲げた指に、紙の感触を感じつつ。
そうしてたっぷりと時間をかけたダリオは、大きく伸びをして公園を後にした。
向かう先は現在父と共に世話になっている公爵邸だ。平和な街並みを楽しむように、ゆっくりと歩く。自然とポケットに手を突っ込み、紙を回収する事も忘れない。
逸る気持ちを抑え、途中でカフェなどに寄ってもみる。ここまでダリオが冷静なのは、ひとえにクリスのお陰だろう。今まで頭の隅にあった違和感が、ここにきて国への不信感となって顔を出したのだ。
そこに舞い込んだ暗部を警戒する人間からのメッセージ。腐っても中央貴族の嫡男で、学園では優秀だと言われている青年だ。平静を装うくらいわけがない。カフェでゆっくりと喉を潤し、ようやく豪華な屋敷へついたダリオは、迎え入れてくれた使用人達にいつも通りの挨拶を済ませ、そのまま流れるように個室のトイレへと吸い込まれた。
カフェで喉を潤したのすら、このための布石だ。
そうして開いた手紙に書かれていたのは……
エドガーやアーサーが、【真理の巡礼者】と通じているという情報であった。
「……馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てたダリオが、紙を丸めて便器へと放り投げ、水を流した。確かに友人二人の様子がおかしいのは事実だ。だからといって、何処の誰とも知らない人間が寄越した手紙を信じるほど、ダリオは二人を見限ってはいない。
ただ……
「あのハンカチの紋章……あれって、帝国のものだよな。確か父上が、地方からカルト教団と帝国が通じてるって陳情があると――」
……ダリオの呟きは、流れる水の音に掻き消され消えていく。
「それこそ馬鹿馬鹿しい。本当に通じているなら、なぜ正体を――」
――王国は終わる。
不意に響いたのはクリスの声だ。その言葉と、メモの内容、そして帝国の紋章の意味がダリオの中で一つに繋がった。
「……僕に……いや、我が家にも裏切れというのか。王国を」
その言葉を後押しするように、下水を飲み込んだ便器が「ゴー」っと不気味な音を鳴らした。




