第155話 知ってるかい? 狸寝入りのつもりがそのまま寝てしまうことがあるのを。
暗部や衛兵が、街中で起きた爆発事件の真相探しに奔走している頃……王都郊外にある小さな森の奥――
森の管理小屋か何かだろうか。とにかく薄暗い部屋の真ん中で、ランディは両手両足に拘束具をつけられ横たわっていた。スヤスヤと穏やかな寝息を立てるランディに、一人の男が「起きろ」とバケツの水をぶち撒けた。
水が床を叩く音が響き、ランディがその冷たさに思わず顔を上げた。
「おねんねは終わりだ」
ランディに不敵な笑みを見せたのは、ランディを攫った連中のリーダーと思しき男だ。あの時のような一般人の装いではなく、それらしい黒尽くめの姿は、間違いなく何らかの組織の人間だと語っている。
まだ冬と呼べる寒さの中、水を浴びせられたランディが、「冷てーな」と顔をしかめてリーダーの男を睨みつけた。
「ランドルフ・ヴィクトールだな」
覗き込む黒尽くめに、ランディは黙ったまま視線を合わせた。前髪を伝ってポタポタと落ちる水滴が、相手の姿をわずかにぼやけさせる。
「テメーら、誰だ?」
湿った唇で言葉を紡ぐランディに、「フッ」と男が呆れた笑みを浮かべた。
「言うと思うか?」
小馬鹿にしたような男の顔に、ランディが悔しそうな表情を浮かべて「チッ」と舌打ちをもらした。
「状況を考えろ、小僧。質問するのは俺達で、お前はただ聞かれた事に答えるだけだ」
男が椅子を引っ張り出し、背もたれがランディに向くように置いた。背もたれに両腕を乗せ、椅子に腰掛けた男が顔を引き締め口を開いた。
「北へ行く本当の理由は何だ?」
ドスを効かせた声に、「は?」とランディが眉を寄せた。
「どうやら状況が分かっていないようだな」
鼻を鳴らし立ち上がった男が、ランディの腹に蹴りを叩き込んだ。思わず漏れたランディの吐息に、「頑丈だな」と男がもう一度鼻を鳴らした。思ってたほどダメージが入らなかった事に、男は面白く無かったのだろう。
それでも絶対的に優位な状況は変わらない、と男はまた椅子に座り直した。
「名ばかりSランクとは言え、【血染めの暴嵐】を倒しただけはあるな」
再び背もたれに腕と身体を預けた黒尽くめの男が「お前の事は色々知っている」とニヤリと笑ってランディに顔を近づけた。
「もう一度だけ聞こう。セドリック・フォン・ブラウベルグが、聖女まで連れて北へ向かった理由はなんだ?」
ドスを効かせた声に、ランディはとりあえず正直に答える事にした。キャサリンが開発した新しい魔道具の、制作協力のお願いに行くのだ、と。別に隠している訳では無いし、話した所で何ら問題はない、オープンな情報だ。
だがそれが気に食わなかったのか、男は顔をしかめて立ち上がった。
もう一度蹴られるのかと思いきや、男はランディに背を向けてその辺りをぐるぐると歩き始めた。
ブツブツと呟き何か思考を纏めているような男に、ランディは「おい、寒いから毛布ぐらい寄越せよ」と眉を寄せながら声を上げた。
ランディの声に「チッ」と眉を寄せた男が、再び椅子へと戻って来る。
「話す気がないのか、それともお前が馬鹿でセドリックが本当の事を話していないだけか」
睨みつける男に、「誰が馬鹿だ」とランディが鼻を鳴らした。
「まあ馬鹿なお前でも、メッセンジャーくらいは出来るだろう」
男がランディに再び顔を近づけた。
「いいか。商売だけなら好きにしたらいい。だがそれ以上の詮索をするようなら、我々はお前たちに容赦をしない」
殺気の籠もった男の視線に、「ふぅん」とランディが口角を上げた。
「それ以上の詮索、ね」
ニヤリと笑ったランディに、「何が言いたい?」と男が眉を寄せた。
「いんや。他意はねーよ。ただ国際問題まっしぐらのこの状況で、あからさまな匂わせ発言をするな、と思ってさ」
肩をすくめるランディに、男が「フッ」と不敵な笑みを返した。
「国際問題か。出来るものならしてみれば良い」
鼻で笑った男が、「お前の証言と我々を結びつける証拠があればな」と高をくくったようにふんぞり返った。勝ち誇ったような男の態度だが、ランディがそれに顔をしかめることはない。ただ男の発言を豪快に笑い飛ばすだけだ。
「何がおかしい?」
まさか笑われるとは思ってもみなかったのだろう。男が眉を寄せてランディの前髪を掴んだ。
「そりゃ笑うだろ。お前ら馬鹿正直すぎだ。技術ばかり磨いて、肚の探り合いを疎かにしてきたか?」
ランディが男に不敵な笑みを見せる。男の背景が分からなかったが、先程の発言で十中八九立ち位置が確定したのだ。
相手の発言を普通に考えれば【北壁】の関係者だろう。だがこのタイミングでそれを匂わせる発言は、それを装った第三勢力の可能性が高い。
とは言えランディが第三勢力を確定出来なかったのは、匂わせすらブラフで本当に【北壁】の関係者という可能性が排除出来なかったからだ。
そんな折、眼の前の男が失言をしてくれたわけだ。
――国際問題か。出来るものならやってみろ。
自分たちの存在を匂わせておいて、「やってみろ」発言は、十中八九第三勢力でしかない。【北壁】を陥れたいのか、はたまた別の問題があるか。
とりあえずそれが聞けただけで、ランディからしたらワザと攫われた甲斐があったと言うものだ。後は相手に対価を払わすだけ、とランディが笑顔のまま口を開いた。
「誰が国際問題なんかにしてやるかよ。お前らが手を出したのはこの俺、ヴィクトールだ。俺がお前らを叩き潰さんと気がすまねー」
笑顔のランディに、「強がりを……」と男がその顔を初めて歪めた。
「ほら見ろ。顔に書いてあるぞ。〝計画通りにいかなかった〟ってな」
ケラケラと笑うランディは確信した。これは確実に別の勢力が動いている事に。あまりにも杜撰な連中の問答に、「お前ら主人に怒られるぞ」とランディが相変わらずの笑顔を向けた。
見る間に顔を歪めた男が、奥歯を鳴らして口を開いた。
「死にたいようだな」
「止めとけ。お前らじゃ無理だ」
鼻で笑うランディに、男の顔が更に歪む。
「良いだろう。お望み通り殺して、お前の首を持って大騒動にしてやろう」
ランディの前髪を掴んだままの男が、その顔を更に近づけた。
「何か言い残すことはないか?」
「そうだな。とりあえず寒いから毛布をくれよ」
この期に及んで、軽口を叩くランディに「貴様――」と男が奥歯を鳴らした瞬間、
「ぶェックショーン!」
特大のクシャミで、男の顔面に色々ぶち撒けたランディが「ほら、な?」と肩をすくめて笑ってみせた。顔面を唾や鼻水でびしょびしょにした男の顔から表情が消える。
無表情の男がランディの裾で顔を拭き、ゆっくりランディから距離を取った。
「良く分かった。お前が死にたいってことが」
「だからさっきから『寒い』って言ってただろ、馬鹿が」
鼻を鳴らすランディの態度が気に入らなかったのだろう。「そこまで寒いというなら」と呟いた男がパチンと指をならすと、複数の男女が男の背後に現れた。
「我らが編み出した新たな魔法技術。お前を眠らせたあの仕掛けに込めた魔法もだが、これから君に浴びせる魔法も、普通の魔法とは全く違う――」
男が手を挙げると、それに応じるように後ろの男女が掌をランディへと向けた。
「古文書に記されし、累唱と呼ばれる魔法技術。頑丈さに自信はあるようだが……。実験での検体は防御魔法を最大にしても、全身が焼けただれて二度とまともな生活は出来なかった」
再び顔を近づけようとした男だが、先程のクシャミを警戒するように途中で止まった。その代わり醜い笑みをランディに見せて口を開いた。
「魔法を封じる枷をしたお前はどうなるかな?」
男がランディに背を向け、魔法をスタンバイする男女の脇を――「やれ」――と冷たい声を残して通り抜けた瞬間、複数人が躊躇わずにランディへと魔法を放った。
全員が放ったのは、殺意の乗った真っ青な炎の球だ。それらがランディに襲いかかり、衝突の瞬間の爆発で部屋の一部が吹き飛んだ。
もうもうと上がる土煙。
吹き飛んだ屋根の向こうには、黒い木々に覆われた真っ暗な空が映っていた。
暗い空の下、小屋にあった明かりすら吹き飛ばしてしまった魔法のせいで、辺りは真っ暗だ。それでも立ち昇る土煙だけは夜空を更に黒く染めていた。
通常では考えられない威力。
そんな魔法の複数直撃を受けて、無事だったものは今までいない。
そんな彼らの認識は――
「ああ! 制服が!」
――イモムシのようにもぞもぞと動くランディの声で、一気に吹き飛んだ。
「テメーらいい加減にしろよ。俺の制服は特注で高いんだぞ!」
後ろ手を縛られ、足も縛られたままのランディが地面に寝転がったままため息をついた。相変わらずイモムシのような格好のランディに、集団が腰を落として武器を構えた。
「相手は動けん。もう一度だ!」
首領と思しき男の掛け声に、更に多くの黒尽くめがランディへ向けて魔法を放った。そのどれもが、通常の威力ではないのだが……直撃を受けたランディは「あっつ」と軽い火傷程度のダメージしか見られない。
「まあ、暖かくなったしその点だけは感謝してやるよ」
両手両足に枷を嵌められたまま笑うランディに、男の頬を冷や汗が伝った。
「バケモノか……」
「俺を焼き殺したきゃ、ドラゴンブレスでも持って来い。それも純度一〇〇%、本気の竜が放つ、な」
ニヤリと笑ったランディが、跳ね起きの要領で立ち上がる。まだ拘束されたままだというのに、立ち上がったランディに黒尽くめの男たちがわずかに後ずさった。予想よりも頑丈、いや頑丈すぎる事実に彼らは一歩一歩下がっていく。勝てぬ殺せぬと分かった途端、逃げに転ずるのは、訓練された正しい行動だ。
情報を持ち帰り、新たな策を立てる。そのために必要な戦略的撤退なのだが……
「おいおい。逃げんなって。楽しく遊ぼうぜ」
ランディが両手両足を拘束する枷を、力任せに引き裂いた。
「安物だな」
鼻で笑うランディに、「馬鹿な……魔法を抑制する特注の――」と黒尽くめが息を呑んだ。
「悪いが、魔法は得意じゃねーんだ。もっぱら物理担当でよ」
笑顔のランディ、その真紅の眼が怪しく光った。鋭い眼光に一人の男が背を見せ駆け出し……た瞬間、その頭が吹き飛んだ。
――バシャ
と響く音は、撒き散らされた脳髄と血が辺りに飛び散った音か。一瞬の出来事に、男たちがゴクリと唾を飲み込んだ。
「お、ラッキー。俺のマジックバッグじゃねーか」
嬉々として装備を取り戻したランディが、それを腰に巻き付け男たちを振り返った。
「あらかた欲しい情報は手に入ったしよ……どうせそれ以上は話さねーだろ? あと話したとしても本当かどうかも分かんねーし」
指をポキリと鳴らしたランディに、リーダーの男が「ね、眠らせろ! ルナティアの吐息なら――」声を上げたのと同時、ランディをあの時同様の真っ白な霧が包みこんだ。
が、それらを突き破って現れたランディの拳が、別の一人を弾けさせた。
周囲に飛び散る血と臓物に、男たちの顔が青ざめる。
「悪いな。眠りとか麻痺とか毒とかは、魔の森で散々やられてよ……人より耐性があるらしいんだわ」
ヘラりと笑うランディだが、〝人より耐性がある〟で済むレベルの話ではない。彼らが使用した新型魔法は、通常の眠りを誘う魔法よりも数倍強力なのだ。それこそ【ルナティア】の名を冠する程には。
だが実際ランディには効かない。あの時も相手の策に嵌まったふりをして、狸寝入りを決め込んでいただけだ……ただ狸寝入りのつもりが、連日の試験勉強の疲れで本当に寝てしまったのは内緒だが。
虎の子の魔法がことごとく効かぬランディを前に、男が「最大火力だ」と全員に指示を飛ばした。先程ランディを襲った青い炎よりも更に高温な炎だが、それを掌に顕現させる男女の顔は辛そうだ。
「新技術、諸刃の剣みてーだな」
笑うランディに「馬鹿め。この一撃で終わりだ」男の合図で、一斉に炎がランディに襲いかかった。衝撃が周囲の樹皮を弾けさせ、上がる爆炎が夜空を焦がす……が、炎の中から現れたのは、竜の角から作った大剣を持つランディだ。
着弾する瞬間、全ての炎を一振りで叩き切った。ランディの膂力と、竜の角という最高の素材だからこそ出来た離れ業。
もはや理外の現象に、男たちは完全に戦意を失っている。無理もないほとんどの人間が、魔力枯渇による倦怠感で動くこともままならない状態で、眼の前には竜が人になったかのような化け物だ。
腰を抜かした数人が、その格好のままズルズルと後ずさる。そんな男をランディは、脳天から真っ二つに叩き切った。
「ウチに侵入して、リズの箪笥まで漁っただろう連中が……逃げられると思ってんのか?」
底冷えするランディの視線に、その場の全員が固まった。ヘビに睨まれた蛙。そんな彼らを前に大剣を肩に担いだランディが腰を落とした。
「全員死刑だ」
ランディの言葉と不敵な笑みを最後に、黒尽くめたちの意識はプツリと途切れた。
「どうあっても俺達と北を仲良くさせたくない、みたいだな」
足元に散らばる肉片を見下ろしたランディが呟いた。
「とりあえず、頑張って仲良くなるか」
盛大なため息とともに、大剣をマジックバッグに戻したランディが木々に切り取られた空を見上げた。
「ったく……こちとらコタツを作りてーだけなんだが」
ランディの吐いた白いため息は、寒空に吹く北風にさらわれて消えていった。




