第140話 八つ当たりするやつは「八つ当たりでした」なんて言わない。
セドリックに呼び止められたランディは、リズやキャサリン、そしてレオンに声をかけつつ、一人だけ執務室に残った。
「まあ座りたまえ」
微笑んだセドリックが、「コーヒーでいいかい?」と窓際に置かれたポットを手に取った。
「い、いやいや。流石にセドリック様に――」
「遠慮はいらない。僕らの仲だ」
微笑んだセドリックが、手慣れた様子でコーヒーを淹れる。セドリックに丸投げしたあのドリップ式コーヒーだ。
出来上がったそれを二つ、お盆にのせて自ら運んだセドリックが、ランディの前にカップを差し出しつつ自身もソファに腰を下ろした。
コーヒーカップを傾けたセドリックが、小さく微笑んだ。
「最近はめっきりコーヒーに嵌まってね。豆や道具にもこだわってるんだ」
そう笑うセドリックの言う通り、カップを傾けたランディも味の良さに舌を巻いている。まさかドリップ式コーヒーの仕組みを教えただけなのに、嗜好品としてここまで高めていたとは思いもしなかったのだ。
「豆は直前に挽くと、より香りも風味も良いですよ」
「なるほど。参考にしよう」
笑顔のセドリックが、カップをソーサーに戻してランディを真っ直ぐに見た。
「さて……呼び止められた理由が分かるかい?」
「旨いコーヒーが淹れられるようになった……なら良いんですがね」
肩をすくめたランディに、「それもあるね」とセドリックがまた笑い、そして二人の間に沈黙が流れた。
ほんのわずかな沈黙、それをランディの「フー」という大きなため息が破った。
「理由に思い当たりがありすぎて……」
苦笑いのランディ。その目の前で「聞こうか」とでも言いたげな表情のセドリック。二つの視線が交わると、「そうですね……」とランディが頭を掻いた。
実際ランディには思い当たる節が多すぎるのだ。とは言え、このタイミングならば、大きく分けて二つしかないだろう、とランディが渋々ながら口を開いた。
「まあ、まずはキャサリン嬢の事でしょう」
諦めたようなランディに、「そうだね」とセドリックが冷ややかな笑みを見せた。
「全く……。君ならキャサリン嬢を、遠ざけるものだと思っていたのに」
呆れが止まらないセドリックの顔には「護衛だよね?」とでも書いてあるようだ。
「国と水面下で話が進んでいる時に、キャサリン嬢と大手を振って仲良くされては、ブラウベルグとしてはやりくいことこの上ないからね」
ため息の止まらないセドリックに「すみません」とランディが頭を下げた。リズが選んだこととはいえ、ランディもここ最近は積極的にキャサリンを後押ししている。国とのしがらみが残るブラウベルグからしたら、もう少し待ってくれと言いたかった事だろう。
そもそもの原因であるキャサリンとリズの和解は、ブラウベルグの怒りを霞ませてしまうからだ。
もちろん国とキャサリンとの関係はない。国がキャサリンと教会上層部を切り捨てたからだ。そうではあるが被害者と加害者の和解の図は、責めるブラウベルグからしたら向かい風に違いない。
……加害者と仲直り出来てるじゃん。
そんな事は言わないだろうが、言葉の節々でそんな揚げ足を取られかねない。
「とは言え、それを君に吐き出すのも筋違いだけど」
苦笑いのセドリックが、ため息をついてカップを傾けた。これだけの天才でも、こうして人並みに八つ当たりをしてしまう。そんな事実にランディは少しだけホッとしてしまった。
「……なんか笑ってる気が――」
「見間違いでしょう」
首を振るランディに「そうかい?」とセドリックが眉を寄せて、またカップを傾けた。
「キャサリン嬢にも……まあ、あれは自業自得な気もするが」
口調とは裏腹に、セドリックの表情の優れない。やはりあのキャサリンに投げかけた言葉は、彼なりの気遣いだったのだろう。そう思ったランディが、カップを手に……
「……なんで微笑んでるのかな?」
ジト目のセドリックに「いえ……」とランディが頬をかいて口を開いた。
「つくづく、ご兄妹だな……って」
そう言ったランディが、「キャサリン嬢も、現実だと再認識してるといいですね」と少しだけイタズラっぽい微笑みを浮かべた。
「……何のことかな?」
「セドリック様が優しい、という話です」
肩をすくめるランディに、「どこが!」とセドリックが口を尖らせて続ける。
「年下の女の子に八つ当たりしただけだよ」
「ですが、私の勘は〝そうではない〟、と――」
肩をすくめるランディに、「全く。嫌な子だ」とセドリックが乾いた笑いをもらした。
「本当はさ……キャサリン嬢のことなんてどうでもいいんだよ」
ため息混じりにソファに深く座り直したセドリックが、「どうでも……」ともう一度呟いた。
「そういう事にしておきます」
笑顔でカップを傾けるランディに、「信じてないな?」とセドリックがジト目を向けた。
「どうでも良ければ、適当にあしらえば良かったものを」
「それは出来ないよ。なんせ僕は彼女のせいで一度リザを失いかけたんだからね」
ため息混じりに吐き捨てたセドリックだが、視線を逸らす姿にランディは苦笑いを浮かべた。
(素直じゃねーのな)
どうでも良ければ、あの場で怒りだけをぶつけて追い返せば良かった。
どうでも良ければ、適当に笑って相手にしなければよかった。
あんなに凄んで、〝物語〟だ何だを引き合いに出してまで、回りくどく問いかけなどしなければ良かった。
ランディが言っているのは、先程セドリックがキャサリンに見せたあの態度だ。殺気まで込めたあの尋問。あれはある意味でセドリックなりの優しさとも言える。
キャサリンに釘を刺すという形での優しさだ。
セドリックの言う通り、キャサリンはゲームの世界だと、自分こそが主人公で何をしても良いという勘違いから人の道を踏み外した。その結果リズが貶められ、侯爵家の人々も酷く傷ついた。
だが一番の当事者であるリズが、あまり気にしていないせいで、既に彼女のやらかしが大した事ではない……という空気すら出来つつある。
それにセドリックが釘を刺したのだ。勘違いをするな。リズがお前を許したとしても、俺達はそんなつもりはないぞ、と。
セドリックやキャサリンが言う通り、この世界は物語ではなく、現実だ。
自分の目の前にいる人にも、親が、兄弟が、恋人が、大切な人がいる。そして彼らは、誰かの所有物ではなく、一個人としての意識を持っている。
アイツが許したから、自分も許す。
アイツに許されたから、全て無かったことに出来る。
などという事がまかり通るわけがない。至極当然、当たり前のことだ。そんな当たり前の事を、セドリックはあの怒りで示したわけである。キャサリンがしたことは、リズだけでなくその周りを傷つけた。それを正しく認識させるためともいえる。
「君が思うような、思惑なんてないよ」
ランディの思考を読んだように、セドリックがジトッとした視線を投げつけた。
「何のことでしょう?」
とぼけるランディに、「顔に書いてあるんだけど」とセドリックのジト目が止まらない。
「まさか。セドリック様が、悪役を演じてキャサリン嬢に現実を突きつけ、更に本当の意味での謝罪を引き出したなんて、思ってませんよ」
おどけるランディに、「……何のことかな?」とセドリックの頬がヒクついた。
セドリックがキャサリンに、殺気まで向けた理由。現実だと認識させる事もだが、自分のやった事の大きさを知る事で、初めてキャサリンは本当の意味で謝罪を口に出来る。
己の行為の結果を知らずに、軽々しく謝罪を口にして欲しくなかったのだ。
現実の痛みを、怒りを、恨みを知らずして、軽々しく〝許された気〟にさせたくなかったのだ。
何に対しての謝罪か……それはあの時のキャサリンにしか分からない。それでも、セドリックがわざわざ悪役を買って出た行為は、彼女の心に届いているとランディは信じている。
謝罪の意味、謝罪の向こうにいる相手とその先にいる何人もの関係者。己が仕出かした事のしっぺ返し。その痛みこそ、キャサリンがこれからもこの世界で生きる上で必要な事だ。
それを知ったうえで頭を下げたキャサリンと、それを許したセドリック。茶番と言えるかもしれないが、本当の意味で両家における一歩といえる瞬間だった。
だからランディは、先程のセドリックの態度を彼なりの優しさだと思っている。キャサリンをあの場に、引きずり出す為の殺気と言葉だと。
「……なんで微笑んでるかな?」
「いえいえ。ご兄妹だな……と」
肩をすくめたランディに、「君は本当にやりにくいよ」とセドリックが口を尖らせてソファに深く身を沈めた。
「とは言え、私のほうも軽率でした。ブラウベルグと国との事を、もう少し考えるべきでした」
その一点に関しては、ランディとしても少々至らなかったと頭を下げた。そんなランディに、セドリックが「良いんだよ」と笑顔で首を振る。
「本当は国への要求もどうでもいいんだ。どうせ国が飲めるような要求なんて出してないし」
天井を見上げたまま笑うセドリックに、ランディは〝なぜ〟などと言わない。ただ「そうですか」と頷くだけだ。
「父上も……本当は全然気にしていないんだよ。あの日、議場でリザが陛下相手に怒った時以降。『小娘を利用するなど、私の道理に反する』ってね」
天井から戻ってきたセドリックが、自嘲気味た笑みを浮かべた。
「だからさ……やっぱり今回のは僕の八つ当たりだよ。僕一人だけ、いつまでも置いてけぼりな事に対する、ね」
ニヤリと笑ったセドリックが、「優しさなんかじゃないよ」とあくまでも悪役を貫こうとするのだが……
「では、リズにそう話しておきます……。あれはセドリック様の癇癪――」
「ストップ。それはちょっと……」
顔をしかめるセドリックに、「でも八つ当たりでしょう?」とランディがニヤリと笑った。セドリックが心底嫌そうな顔を見せた事で、ランディは満足して笑顔でカップを傾けた。
なんだかんだでお人好しなのは、兄妹そろって同じようだ、と。
「大丈夫ですよ。リズならちゃんとセドリック様の真意に気がついてますから」
「それはそれで恥ずかしいものがあるな」
ブツブツ呟くセドリックに、ランディは何とも面倒な兄貴だとは思うが、少しだけ分からなくもない自分がいる事に気付いた。
ランディも兄なのだ。クラリスやセシルには、みっともない格好は見せられない。
「また笑ってる……」
不満顔のセドリックだが、「まあ良いよ」とコーヒーを飲み干して、ランディに視線を向けた。
「そろそろ本題に移ろうか」
再び見せる真剣な表情のセドリックは、先程までの愛すべき兄貴の顔ではなく、天才と持て囃されるもう一つの顔をしていた。




