十七. 1868年、甲州
1868年、甲州
「 甲 陽 鎮 撫 隊 」
と、尾形が筆を滑らせ、新しい隊名を示した。同席していた近藤、永倉と原田がおぉ~、と感嘆の声を上げ、書を覗き込む。
流派は謎だが、溜息が吐く程達筆だ。芸術を解さない朴念仁でも美しい字とわかる。武田や伊東に参謀の座を譲っても、書道だけは彼の右に出る者はいなかった。彼は日常で無意識に書いているのだろうが。
「だけど・・・本当に、変えちまうんだな・・・・・・」
原田が淋しげな声で呟いた。彼と永倉の前には西洋の軍服が配給されている。山口も然り。
土方は既に髪を切り、顔に落ちてくる其を煩わしげに手で払っていた。
「―――一時的にだ」
声まで鬱陶しそうである。
「今回は、我等が新選組と知られる訳にはいかんのだ。新選組が江戸にいない事が判れば、その隙に新政府が慶喜公を狙うかも知れんからな。其に、既に脱走した兵が新政府側につく前に排除する必要がある。鎮撫の為には、新選組の名を知られぬ方が都合が良いのだ」
排除と鎮撫は同義である。之に加え、幕府の直轄領である甲府を新政府よりも押え守る事が、新選組に今回与えられた任務であった。局長である近藤と副長・土方は、今回の任務を節目に髪を落した。名も近藤は大久保 剛と、土方は内藤 隼人と変える。勿論、彼等も洋装を身に着ける。
山口の傷の回復を待ち、隊長となって小隊を動かすは此処に居る副長助勤4名。平隊士は他の組織の配下も入れた混成部隊200名。
そういえば、彼はもう山口 二郎ではないのだった。一瀬 伝八が、彼の新しい名前である。
「―――甲陽鎮撫隊には、私も参加しますよ」
―――緩やかに戸が開いて、沖田 総司が戸の縁にずるずると身体を凭れる。総司!永倉と原田が叫ぶ。
沖田と尾形の眼が偶々合った。沖田は其の侭視線を落し、手許の書を見る。
「・・・旗ですか。尾形さんに書かせるばかりじゃなく、土方さんも書けばいいのに。・・・・・・土方さんの字もなかなか味なものですよ」
・・・・・・読み難いですけどね。沖田は息を上げながらも、笑みを浮べて冗談を言っている。大丈夫か、総司・・・ 永倉が表情を曇らせる。
「・・・・・・そんな体調でどう遣って甲州に行くって言うんだ、お前は」
土方が沖田を怨みさえ籠る鋭さで睨みつけた。もう自力では立っている事さえ侭ならないのである。土方の心中は、疾うに心配を超えている。
「・・・・・・今行かなくていつ行くんです?・・・私は」
沖田も土方のつらさを察している。・・・この病は悪化の他に無い。そんな事、土方も沖田も解っているのだ。
「・・・いざという時には駆り出すから、温存しておけって・・・・・・土方さん、言ったじゃありませんか。今がその時期なのでは・・・?」
・・・・・・確かに、どう頑張っても副長助勤が伊東が脱ける前の半数にも満たず、監察が存在しない今は危機的状況だ。そして新選組の叉と無い「いざという時」と謂えるだろう。・・・・・・沖田が生きている間は。
「・・・・・・」
沖田は之から、益々衰弱していくだろう。この青年の旬はもう疾うに過ぎている。果実も人も、旬を過ぎれば後は朽ちゆくだけだ。
詰り、残り少ない沖田の人生で最も旬に近いのは―――「いざという時」に出せる最善の体調は―――死から最も遠い、今しか、無い。土方だって沖田が今強いられている生活は嫌いだ。こんな・・・・・・同志がどんどん死んでいるのに、臥せっているだけの、日々は。
「・・・・・・局長の命令に従え」
土方は答えを投げた。医者であるなら絶対にだめだと答えが揺るがないのだろうが、土方は医者でもなければ局長ですらない。答えは出せなかった。副長という立場の限界よりも、土方個人としての限界が彼を逃げさせた。
「近藤先生・・・・・・」
たった之だけの会話でも沖田は疲弊している。喘ぎが取れないのだ。呼吸をする機能を、沖田の肺は半ば失っていた。
だが近藤は、すぐに
「―――わかった」
躊躇う仕種も見せずに、力強い声で、答えた。永倉は勿論、原田も愕いて近藤の意向を確認した位だ。
「おっ、おい!本当にいいのか!?近藤さん!」
「総司、お前――・・・」
「なぁに」
―――流石に不安の色を隠せない昔馴染の食客達に、近藤 勇というこの男はあっけらかんとした口調でこう言い放つのであった。
「無理だったらその時さ。其は総司に限らず、新選組皆が之迄も遣ってきた事だろう?」
・・・・・・。この発言には、彼等もあけらかんとせざるを得なかった。不思議と笑いが込み上げてくる。そうだ。近藤 勇というのはこういう男なのだ。皆、近藤のこういう鷹揚な人柄に惹かれて試衛館に通ったのだ。
「だが総司、若し戦う前に具合が悪くなったら、容赦無く江戸に送り返すからな。剣を振るってこその戦だという事を忘れるな」
・・・試衛館師範の頃の貌に戻ってきている。思い遣りのある厳しさ。沖田が行軍に因って倒れはしないか、近藤とて心配なのに変りはなかった。
「―――はい」
沖田は荒ぐ息を抑えつつ、はっきりと返した。
「尾形君。君は総司の後ろを担当してくれないか。補佐という形でも別に構わないが、監察ほど控えめでなくていい。君は、隊長ではないかも知れんが助勤だから寧ろ共闘する様な感覚でいて欲しい」
「承知しました」
戦場へ出れば、平隊士である以上佐倉も八十八も一兵士として動かざるを得なくなる。謂わば、八十八の仕事が尾形に降ってきた形であるが、尾形はにべも無く併し即座に肯いた。
「・・・・・・」
沖田が尾形を見る。
「出陣は3月1日を予定しているが、その前に情報を幾つか仕入れておきたい―――尾形、情報収集の方は如何だ?」
「大石に先に甲州に発って貰っております。殆どが死した中で唯一生き残った監察。必ずや甲陽鎮撫隊の有利になるよう働いてくれましょう」
・・・・・・。土方は矢張り疑わしげな眼で尾形を見た。大石という男を土方は好まない。組織の外から見れば、土方も大石も鬼畜の類である事に違いは無いのだが、或いはその事に由る同族嫌悪なのか、余り見たくはない顔だ。併し任務はきちんと果すので、深く関知はしなかった。尾形が現在一瀬である山口の帰隊後に監察に復帰してからは、大石に対する細かな指示は主に尾形が行なっていた。自然、距離が近くなり、大石が尾形を唆しているのを土方は一度だけ見た事がある。一見、大石が一方的に尾形に絡み主導権を握る・・・というより弱みを握っている様だが、土方には何故か尾形の方が大石の手綱を握っている様に見えた。根拠は無い。策士の勘というものだ。監察方という職階が事実上消滅しても、大石という特定の個人への指示は実質尾形に一任している。
(コイツ・・・今度は何を企んでやがる)
尾形は土方と目を合わせる。口角が僅かに上がっていた。―――笑っている。併し瞳の奥はやけに冷めていて、土方でさえ空恐ろしくなった。
ここ最近は影を潜めていた不気味な笑みである。
「―――さようなら、鍬次郎さん・・・」
―――土方には、尾形の唇がそう動いた様に見えた。
「お~い、おねむなのはわかるが、まぁだ一個も終ってねぇぞぉ?もういいオトナなんだから、仕事はちゃんとして寝ましょうや」
―――腹を殴られ、失神する直前で顔に水を浴びせられてはっと覚醒する。事態を呑み込めずに顔を上げると、火の点いた蝋燭を顔面に近づけられる。ヒリヒリする。毎度その繰り返し。
「ーーーっ・・・・・」
大石 鍬次郎は、何故自身がこんな処にいるのか、いや抑々(そもそも)此処が何処なのかもわからなかった。只、個人の家ではなくある程度立派で大きな造りの部屋だ。所謂官軍と呼ばれる新政府の施設なのだろうか。
ユラユラと揺れる緋い焔の先に、3つの黒い影が視える。貌は視えずとも、大石はその貌を知っていた。朝も昼も夜も連日連夜責め苛まれていれば、相手の貌を見る機会はあろう。そういう事ではなく、その貌の持主が何者であるのか大石は実によく知り抜いていた。
・・・・・・元・御陵衛士、篠原 泰之進・加納 鷲雄・阿部 十郎―――・・・
甲州勝沼の戦いはもう終っていた。新選組が甲陽鎮撫隊を称した戦いである。戦いは大敗を喫した。詰り、甲府は新政府軍に奪われた。更に言うと、脱走兵を排除するどころか自軍の兵から脱走者が次々と現れ、その取締りさえ出来なかった。薩軍の大砲に付焼刃のミニエー銃調練では歯が立たなかった事と、援軍が期待できなかった事、そして何より、混成部隊であったが為に近藤の人望を充分に活かし切れずに戦意喪失した事が原因であると思われる。
大石 鍬次郎も甲州勝沼に於ける脱走者の一人だ。
刀の無い戦など、彼にとっては何の魅力も無い。沖田や尾形の様に罪悪感を重ねるとか対話を重んじるとかその様な偽善的な事など一切考えちゃいない。只、あの生肉に鉄が滑り込むあの感覚、自在に人体を切断でき、血が流れ切って仕舞えば切り口が美しいところが堪らなく好きなだけだ。ヒトがタダのモノになる、自分がモノに変化させる事を出来る、工夫次第でたった一つの作品が出来る。
其こそが魅力だ。
新選組も詰らない組織になったものだと、大石は度々尾形に漏らした。そうは思いませんか?センセイ―――・・・尾形は蔑む様な眼で大石の誘惑を黙殺していたが、組織編制の改定で陣容の弱体化から目を逸らせない状況となって
『・・・頼まれて欲しい事があるのだが』
・・・泣きついてきた。
『脱走兵が甲州に向かうとは思い難く、寧ろ甲州からの脱走兵が江戸に向かって下りて来る可能性の方が高いと私は考える。其に、新政府軍も現地で徴兵するよりは、江戸或いは京にて体制を整えてから征く方が自然に想える。甲州をお護りするにせよ、先回りして押えるよりも江戸にて食い止める方が遙かに容易い。土方副長は恐らく気づいておられようが、局長副長は御上の命に逆らう訳にはいかぬ。・・・そこで、貴方には甲州を下りたのち、江戸にて探索活動を行なう傍ら、脱走兵を始末して貰いたい。敵の多さから貴方だけでは手に余る故、隊士は私の方から幾らか土方副長に都合して戴く。貴方懇意の隊士をつけて貰える様に努めよう』
・・・・・・尤もらしい依頼である。併し大石 鍬次郎が脱走を考えている事を、尾形は恐らく察していたであろう。大石と共に脱走を目論んでいる三井 丑之助が其と無く配置してあった事で、大石は意思疎通が出来ていると確信した。
『・・・センセイは、俺と懇意の隊士じゃあないんですかい?仲良く遣りましょうよ』
脈があると判断した大石は、もう一押しした。すると尾形はうっすらと哂い
『―――・・・了解った。只、私は甲州で兵の指揮を執らねばならぬ。江戸へ帰還次第、私もそちらの仕事に加わるとしよう』
――――・・・・堕ちた。狂気に満ちたいやらしい笑み。大石が最も好む悪魔の哂い―――尾形も此方の世界の住人になった。そう思った。
併し、之が大石という他者の命を弄ぶ王蟻を地獄に引き摺り込む為に用意された罠と裏切の二重に掘られた穴である事を悟るのは、御陵衛士の残党が彼の妻子の住まう家に乗り込んで来た事に由る。
絆という名の柵は、之だから怖ろしい。犯して出来た家族だが、其でも絆は生れて仕舞っている。「妻子の命を握るのは、いつだって自分だ」と歪んではいるものの、一種の愛情表現だろう。強欲と言えたかも知れない。
かと言って、素直に捕まる事はしなかった。天然理心流の剣を振るい自宅を真紅に染め上げるも、血に歓喜する大石は忍の作った蟻地獄の巣には気づかない。
『鍬次郎さまっ、上っ!』
天井の梁に篠原 泰之進が潜んでいる。大石は剣から槍に持ち替え、天井を突く。大石は即座に槍を捨てて剣を抜くと、降って来た篠原に斬りつけて浅手を負わせた。槍を蹴り、家屋の隅に追い遣るとガタリと音がして床下へ落ち、ゴロゴロと床板を転がった。
妻子の腕を乱暴に引いて阿部の白刃から護ると、今度はすぐ近くで発砲の音がする。咄嗟に妻子を伏せさせるも其こそが罠であった。
ずん
『・・・・・・っ!!』
・・・畳の床から刃が刺し貫かれ、大石は遂に呻き声を上げた。刃は運良くも大石の腹を刺し、女子供には一切怪我を負わせなかった。激しい音を立てて畳が捲れ上がり、ぬっと手が伸びて大石を底に引き摺り込む。奥方が悲鳴を上げた。大石も無論抵抗する。すると、畳の下に潜んでいた人物は畳を這い上がり、大石の首を掴んで床に叩きつける。
ドサッ!
『ぐ・・・!うぅ・・・・・・っ!』
仰向けに倒した大石の上に覆い被さり、身動きを封じる。顔を近づけ、・・・俺を見ろ。とその人物は言い、大石は辛うじて目を開いて見たが、大石にとっては意外な、というか殆ど印象に残っていない者の貌が其処にはあった。
『・・・・加・・納・・・・・鷲・・・雄・・・・・・・?』
『―――そうだ。俺だよ、大石 鍬次郎。やあぁっと逢えたなぁ』
大石には加納 鷲雄が自分に執着する理由が見当らなかった。だが御陵衛士に怨まれる理由はわかる。新選組隊士だったからだ。でも何故自分だけ・・・・・・?
『あ・・・・・・貴方がたは・・・・何者なのです・・・・・・?』
奥方が大石の子の目を塞いで訊いた。加納は大石の首に懸けた手を緩める事無く奥方の方を見ると、にへらと哂った。
『僕達ぁ、葬送人ですよ。奥さん』
『おくりびと・・・・・・?』
『そう。貴女の旦那さんはね、悪い事したから、然るべき処に葬送らなきゃならないんです』
・・・・・・不安な奥方と子を前にして、加納は実に上機嫌であった。好色な視線も向けている。
『捕えたか』
『応ともよ』
篠原 泰之進と阿部 十郎が近づいて来る。最終的に天寿を全うした御陵衛士は彼等三人と考えてよさそうだ。彼等は全員とも薩摩軍に出仕している。
『さっさと往くぞ!』
大石は逃れようとしたが、そうはさせて貰えなかった。剣や槍での戦いをさせれば彼はこの三人に決して負けないが、篠原や加納が優秀な監察たり得る事を知らなかった。感覚でしか判断しないこの悪鬼は、策略や自身が妻子を守る絆を想定すらしなかったのである。
―――そして現在の、この拷問の光景に繋がる。
「遣ったと言やぁいいんだよ。そしたら永遠に楽になれるぞぉ?まぁ、言わなくても俺は愉しいから全然構わないんだがな」
加納 鷲雄の目的は大石 鍬次郎を捕える事で完遂されて仕舞っている。後は大石をどう甚振り処刑台に葬送るか―――其しか頭に無い。
「・・・・だから・・・・・遣って・・・ない」
―――っ!!蝋燭の火で腹の創を焙られ、大石は痛みで声を失った。痛苦には慣れていない。彼はいつも葬送る側であった。
「・・・・・・よくもその様な嘘を続けられるものだな―――」
篠原だけが理性を維持している様に見えた。併し篠原の声にも時折怒りが表れている。篠原は理性で、加納は愉悦で、阿部は其の侭怒りで、新選組に対する怨みを包み込んでいた。
「佐野 七五三之介の件・・・・・・其は認める・・・・でも其も俺だけじゃない・・・・・・残りの二つは違う・・・」
「違う筈が無かろう。証言も数多い。其等の証言に最もよく当て嵌まる特徴を持っているのは―――・・・大石 鍬次郎、君なのだ」
・・・・・・っ。大石は強く首を横に振った。両腕を縛める縄が撓う。身体全体が揺らいだ。
大石は今、3つの事件の容疑者として詮議を受けている。
孰れも1867年に起きた事件であり、1つ目が6月14日に会津屋敷で佐野 七五三之助等彼等の同志が殺された事件。2つ目は11月15日に坂本 龍馬及び中岡 慎太郎が殺害された近江屋事件。3つ目が11月18日に伊東 甲子太郎及びその同志が殺された油小路事件だ。佐野・伊東の件は謂う所新選組の内部抗争であるから心当りが無くもないが、坂本の件は完全に寝耳に水だ。何処でどう自分と坂本が結びついたのか皆目見当がつかない。だが其も、一時期原田が疑われた、下手人が伊予人だという証言から浮上してきたのだという。
「・・・・・・」
・・・・・・大石は口を噤んだ。思い当る事が出てきた様だ。あの時は伊予弁の通じる浪人という事で原田に嫌疑が集中したが・・・
「油断してたな大石ぃ。・・・お前、江戸出身って事になってるが、徳川の御三家だの御三卿だののごたごたで伊予に居た時期が長かったらしいじゃねぇか。喋れるんだろ?伊予語」
「――――」
大石の出自背景は少し複雑だ。機会があれば詳しく触れてみたいところだが、簡単に述べると、支系徳川家の家臣の家出身である。
父は御三卿・一橋家の近習番衆・大石 捨次郎。鍬次郎は而も長男であった。そのやんごとなき家督は弟・造酒蔵に譲ったが、造酒蔵はその後不審な死を遂げている。ここでは之以上掘り下げない。
支系徳川家は御三家と御三卿から成り、将軍家に若しもの事が起きた時に舵取りを行なう役割を持つ将軍家の傍流家系である。黒船来航を切っ掛けとして御家騒動が起き、大石家は長く御三家・紀州徳川家の支藩に出仕していた。徳川家の支藩は西条(伊予)。鍬次郎は、生れも入隊前の住いも江戸であるが間の空白は伊予で過している。
併し、ここ迄くどくど説明したところで遣っていないものは遣っていない。原田の訴えた通り、其だけで犯人扱いされては堪らない。だが
「証言はまだある。殺された中岡 慎太郎氏御本人が言っておわさる事だ。××組の『お........ろう』という名の人物に襲われたと途切れ途切れだったが言いなはわれたと証言を聞きなはれたと谷 干城氏は後れて我々の耳に入れてくれなはれた。
―――そうなれば、新選組の大石 鍬次郎、君しかあるまい?」
・・・。大石は言葉も無かった。中岡の証言など、谷とかいう者が自分の都合のよい様にくっつけたに過ぎないに決っている。こんなでっちあげの証言で、自分は幾重もの罪を被せられるのか。
大石の脳裡にふっ・・・と、或る人物の像が湧き上がった。
――――尾形 俊太郎――――・・・・・・
「・・・・・・ーーーーっ!」
よくよく考えてみれば、佐野殺害、坂本・中岡殺害、伊東殺害。立件されている之等の事件全てに、尾形は何らかの形で関っている。佐野にとどめを刺したのは確かに大石だが、暗殺の任に就いていたのは尾形等当時の監察だ。伊東を実際に手を懸けたのも尾形である。併し尾形は「手柄は、鍬次郎さんに譲る」と云った―――
坂本の件に関しても、土佐や薩摩の関係者が去った後の現場検証や事情聴取に立ち会っていた。新選組や伊予人が疑われているという情報は、あの男が齎したものなのである。
「――――尾形・・・・・・っ」
あぁん? 加納が態とらしく聞き返した。この男は真面に取り合う気など毛の先程も無い。其でも大石は声を振り絞った。
「先生・・・・・・尾形 俊太郎が遣ったんだ。憶えているだろ?俺と同じ位の背丈の―――・・・」
・・・・・・言いかけて、大石は漸く気づく。自分は・・・・・・尾形に嵌められたのだと。
『―――君は、余計な部分を凡て殺ぎ落したもう一人の私の様だ。まるで双児といったところか。
剣士とは斯くあるべきやも知れぬが、生憎私は剣士にはならない』
――――大石は、尾形が地獄から身を逃れる為の生贄として利用されたのだ。
「伊東を殺したのは尾形センセイであって俺じゃない。坂本の件だって、名前で決めるならあのセンセイの方が参考人になり得る。
尾形 俊太郎は、坂本が殺される直前に屯所を空けているんだ」
あっはっは! 大石が言い切るより前に、加納が腹を抱えて哂い始める。大石はこの加納に恐怖を懐き始めていた。
「・・・は~っ。もう一寸ましな嘘吐けないもんかねぇ。あの俊坊っちゃんに、伊東先生を討てる訳がねぇだろうがよぉ」
「尾形 俊太郎が坂本氏の死の直前に屯所を空けていたのは、御陵衛士が巡察を入れるよう奴に言ったからだ。奇しくも坂本氏は亡くならなはったが、その直前に伊東さんが坂本氏と会っていたからな」
他の新選組組頭が巡察に当れば伊東さんは討たれていたかも知れない。・・・・・・結局は討たれたがな。・・・篠原は皮肉混りに続けた。
「で、其が何だ」
今迄一度も口を開かなかった阿部 十郎が、怒りに任せて大石の横面を刀の柄で殴った。耳に当り、平衡が保てなくなる。
俯く顔を上げさせると
「死んだ奴は訴えられねえだろうがよっ!」
「――――!!」
「尾形 俊太郎―――あの男は御陵衛士にとっても裏切者だったが、服部君が仇を取ってくれた。自身の身を犠牲にして」
「違う・・・・・・!尾形 俊太郎は、生きている」
「おーおー遂に頭がおかしくなっちまったか?死人まで生き返り始めたぞ」
衛士達が嗤う。大石は戦慄した。阿部は怨みをぶつけられる相手であれば新選組の誰でもいいと思っている。加納は飽く迄大石に執着し、篠原は尾形の死を信じて次の仇として大石を詰問している。
「本当に生きているんだ・・・!鳥羽・伏見にも、甲州勝沼にだって参加した。尾形は今も、新選組に在隊している!」
「だとよ。如何だい、三っちゃん。コイツの言う通り、俊坊は生きてまだ新選組で御活躍為さっているのかい?」
―――気がつけば、3つの影の後ろに、うすぼんやりと1つの影が水墨画で描かれる遠い山の様に立っていた。影は移動し
「―――いいえ」
と、口を利くと、3つの影の隣に並び、墨の濃淡を完全に同化させる。篠原が松明を渡し、残る1つの影の貌を明瞭と映した。
がくっ、と大石の膝が抜けた。ぎりっ、と縄が手首に喰い込む。―――尾形の謀略は、どこ迄が計画通りなのか
新選組を脱走した時に行動を共にした三井 丑之助が、御陵衛士側に寝返っている。
「・・・・・・我々も愚かではない。彼も君と同じく新選組を脱した身で、隠すところは何も無いが、君とは内容が一致しない様だ」
三井は1865年の入隊以来ずっと平隊士だ。新選組の暗部など知ろう筈も無い。
「尾形 俊太郎は少なくとも新選組には在隊しておりません。いなくなった時、特に説明は無かったが、其が新選組の常套手段だ」
違うんだ・・・・・・ 大石の口から掠れた声が漏れる。
併し、三井も尾形が死んだと信じて疑わない。
油小路事件以来彼は尾形と顔を合わせていない。唯一尾形が姿を現した刻は、可動隊士であった為に別の船に乗っている。
その後も、甲陽鎮撫隊と名称を変えて戦っていた為幹部は皆髪を落し、変名を名乗り、衣服も洋装に変えたある種の変装をしていた。江戸に於ける探索も然りで、其以前に大石以外の隊士は同じ任務に就いた者の名前すら教えられていない。
「其に、伊東元参謀の御遺体を此奴が駕籠から棄てたところを目撃しました。大石が参謀誅殺の指揮を執った」
「だとよ」
・・・加納は、薄く嗤った。之で心置き無く遊べる。之からが本当の地獄だ。そんな貌だった。
以降は、今日に伝えられている歴史に准ずる。
大石は兵部省(現・防衛省)、その後刑部省(現・法務省)に身柄を引き渡され、其処でも厳しい取り調べを受ける。拷問に耐え切れず、最後まで否認していた坂本 龍馬殺害についても一度は「自分が遣った」と認めるも、後に撤回して京都見廻組の仕業であると主張した。佐野殺害に関しては御陵衛士側の一方的な仇討として棄却され、坂本・中岡殺害についても嫌疑が晴れたが、伊東 甲子太郎殺害は有為な人材を暗殺という非合法の遣り方で失わせたという事で有罪が確定した。
明治3年10月10日(1870年11月3日)、大石 鍬次郎は斬首刑に処される。処刑の直前、大石は
『俺は任務に忠実だっただけだ。服罪する謂れなんて無い!』
と、叫んだと云う。が、その声が聞き届けられる事は無かった。彼は最期まで、自分は主犯ではないと訴え続けたらしい。
「・・・・・・」
大石が脱走した日、尾形の姿は浅草今戸の慶養寺にみえた。甲州から戻った後の、新選組の仮屯所だ。
一瀬 伝八の隣に正坐し、背筋を真直ぐ伸ばしている。・・・似ている。禁門の変の時の幹部での話し合いを思い出す様だった。
併し、あの頃から助勤はもう半数以下。
誰がこの尾形 俊太郎が新選組幹部としてここ迄残る事を想像していただろう。併し、之は彼に対する慰安の会ではない。
彼は大石との別離を避けて猶、別の人物との別離に立ち会っていた。
・・・・・・尾形はゆっくりと一度、瞬きをした。
正面には永倉 新八と原田 左之助が神妙な面持ちで坐っている。尾形は真直ぐに彼等を見つめ―――・・・今度は静かに、目を閉じた。




