森に迷う
(ここ、どこだろ)
ムイはうろうろと小道を行ったり来たりしていた。きっとこの目の前の道を真っ直ぐ行けば、城へ帰れるだろうとタカをくくっていると、城に着くどころか人気もなく、なぜか森へと誘われるような道に、いつのまにか足を踏み入れていた。
(森に入ると出られなくなるって、マリアが……)
不安で空寒い思いがした。
(何とかの森って……迷った人に幻を見せて誘うって、言っていたっけ)
チチチ、と小鳥の鳴き声や、バサバサっと羽ばたく、鳥の羽音が聞こえてくる。
城のガゼボで聞いている同じ鳥の鳴き声が、今日は違って聞こえた。
(どうしよう、この森は入らない方がいいよね)
森を通って来ていないのだから、通らない方がいいことは、直感的にわかっている。引き返そう、そう思いくるりと振り返ると、そこに一人の男が立っていた。
(だ、だれ?)
黒い帽子を深く被っていて、その表情は定かではない。裾の長いコートをすらりと着こなしていて背が高く、一見、紳士のようにも見える。この季節には似合わない、革の手袋をしているのを見て、ムイはぞくりとして、身体を揺らした。
森を通らないなら、男の横を通らなければならない。
怖くて足が竦んではいるが、何とか小走りくらいならできそうだ。
じりと後ろへと足を引きずると、男がじゃりと音をさせて、近づいた。
(嫌だ、怖い)
その時。
「名を持たぬ者よ」
ぞっとした。
男のような、女のような、そのどちらでも無い声。表情もなく感情もない、限りなく冷徹な響き。
ムイは、そんな声に、寒気を覚えた。想像していたより、何倍も気持ちの悪い声だった。身体を、蛇のような爬虫類が這い回る、そんな感覚に襲われる。
(怖い、怖い)
ムイは森を背にして、後ずさっていった。
「お前の名前が欲しい」
ゆっくりと足を差し出してくる。歩みはスローモーションのように遅く見えるが、その距離は確実に近づいているようで、ムイは心底、怯えていた。
(嫌だ、来ないで)
「お前の名前を差し出せば、俺がなんでもお前の願いをきいてやろう」
「さあ、私に寄越すのだ」
声が重なって聞こえ、はっと顔を上げた。気がつくと、男が二人。細身の背の高い男とは対照的な、小太りで背の低い男だった。その男も、同じようなコートを羽織っている。
二人の男がそれぞれに、ムイの方へと片手を差し出す。
(嫌だ、来ないでっ)
ムイは、後ろを振り返りながら、森へと走った。
「お前の名前だ、名前を寄越せ」
男たちが、追いかけて来る。ムイはとうとう後ろを振り返らずに、森の中へと走った。草木が邪魔をして、時々、ムイの腕に小さな傷を作っていく。
(怖い、リューン様、リューンさまあ)
その名を心で呼ぶと、涙が溢れた。アランやマリアは自分を探してくれているだろうか。いや、マリアたちは夕食の支度に追われていて、自分を探すどころではないかもしれない。
(リューン様は今頃お食事をされているのだろうか。私のことなど、気にも留めてないかもしれない)
後ろを振り返る。男たちはもう居ない。
完全に立ち止まると、深い森の中にぽつんとひとり、ムイは立っている。
(このままこの森で迷ってしまったら、どうしよう。どうしたらいい?)
涙を拭って、周りを見る。
真っ暗闇も手伝って、ムイの恐怖はムイの許容範囲を超えてしまった。
(うう、どうしよう、どうしよう……)
「グルルル」
唸り声がした気がした。
(え、今のは何?)
ムイは耳を澄まし、出来るだけ遠くの音をも拾おうとした。
再度グルルル、と音がした。動物の鳴き声にも聞こえるが、先ほどの男たちの声にも似ているような気がして、ムイは気が狂いそうになり、頭を抱えた。




