追補1 ソノ告白・前編
本編では書ききれなかった部分を描きます。
今回は天で過ごした時の二人の日常です。
ゆっくりと目を覚ますと、カーテンの奥から朝の柔らかな陽の光が降ってきます。
それにくすぐられるように目を開けば、すぐ横には赤い髪の小さな女の子――ジェイレイが安らかな寝息を立てて眠っている姿が目に入りました。
ここ数日の間、毎日繰り返されている光景です。
「ほら、朝だよ」
ネオルクが笑ってと声をかけると、彼女も小さな呻きを上げて身じろぎをしました。
「ん……ネオルク、おはよ」
「おはよう」
一緒に伸びをしてからベッドを抜け出し、服を着替えながらジェイレイに「こっちを向いて着替えたら駄目だってば」と怒り、部屋の外へ出ていきます。
そこに広がるのは白い神殿の淡い輪郭と、その周りを彩るくっきりとした若い緑です。
まだ早い時間ですが、天使達はすでに起きて活動を開始しており、長くのびた廊下を行き来していました。
「今日も頑張ろうね」
髪をポニーテールにまとめながら、ジェイレイが笑います。それを手伝って、ネオルクも「うん」と返事をしました。
姉を追って辿り着いた楽園は、彼に現実を知らしめるところでした。
自分が人間とはある点で異なった存在だと言うこと。
姉が「神」として生きている事実。
家族が揃うことはないという悲しみ。
ここと、自分が帰るべき場所との大きな隔たり。
そして、パートナーの真実。
ずっとここまで一緒に旅をしてきたクェイルは、この小さな女の子が姉の力を借りて取っていた姿だったのです。
背が高くて頭が良くて、頼りがいのあるクェイルと彼女が初めは頭の中でうまく繋がりませんでした。突然すぎて、受け入れがたかったのです。
それでも、こうして寝起きを共にすると感じます。
旅をしていた頃と同じ空気を。確かにジェイレイが自分の唯一無二のパートナーである実感を。
「あ、うん。ネオルクのお姉ちゃんは、わたしのママなの」
彼女が元の姿に戻ってから最初に知ったことは、クェイルのミモルに対する眼差しの理由でした。あの、時折見せる柔らかい表情の訳です。
詳しいことは語ってくれなかったけれど、ジェイレイは以前に姉に助けられたことがあり、それ以来、育てて貰っているようです。
「ママは、大切なひとだから。ネオルクのことも、初めはママのために頑張ろうと思ったんだ」
「そうなの?」
クェイルが自分の前に現れるきっかけ。それを話して貰っていることに気が付いて、彼はどきりとしました。
無表情だったかつてのパートナーは、多くを語ってはくれませんでした。「何故」や「どうして」を、何度も彼は呑み込まなくてはならなかったのです。
けれど今は違います。舌足らずながらも、積極的にお喋りをしてくれるジェイレイなら、それまで埋められなかった部分を埋められる気がしました。
公会堂の端で朝食のパンをかじるネオルクの向かいに座った彼女が、楽しそうにその様子を眺めます。
「ジェイレイも食べられたら良かったのにね」
「食べられるよ」
「えっ、本当? だって」
天使は物を食べません。代わりに主から生命力を分けて貰って生きている。クェイルはそう言っていました。
ジェイレイが他の天使と違うことを感じる時が、これまでにも度々ありました。まだ彼女には自分の知らない秘密があるのでしょう。
でも、まだ聞く勇気は持てていません。踏み込めば、彼女や周りを傷つけてしまう気がしました。
だから、この時も「そう」とだけ言って、会話を切ってしまい、話を元の筋へと戻します。
「最初、ネオルクはわたしに気付いてくれるかなって心配だったんだよ?」
「あの夢のこと?」
暗い中を一人で走る夢。彼を呼ぶ声。
今思えば、あれはクェイルというより、ジェイレイの声に似ている気がしました。
「遊んでるネオルクをここから見てたの。でもママが言った通り、ネオルクは応えてくれたから嬉しかった」
「お姉ちゃんが?」
まだ何も知らなかったネオルクを上から眺めながら、彼女は不安を抱えていたのかも知れ。
「『想いは届く』って、ママは言ってくれた」
ジェイレイの想い。それは旅でクェイルが教えてくれたことの全てなのでしょう。ネオルクは受け止め切れたかな、と思い返していました。
彼女は期待と不安の入り交じった瞳を向けてきます。
「初めて会った時、分かったの。この人がパートナーだって。ネオルクは?」
「クェイルと会った時はびっくりしたよ。いきなり天使が目の前に現れて、“行こう”って言うんだもん」
でも、抱える気持ちは同じです。だからこそ、ここまで旅を共にしてきたのです。
「ネオルクって、ママに良く似てる。時々びっくりするよ」
朝の支度を終えて、外の開けた草原へ場所を移動します。アルトから指定された訓練場です。ここで、力を使い方や身の守り方を教わるのです。
まだ少し早いために使いの姿はありません。芝生に座って、二人は話の続きを求めるように口を開きました。
「そういえば、言ってたね」
故郷を旅立ってしばらくした頃、泊まった宿でクェイルが言っていた台詞です。鏡越しの天使の容貌を、今でもはっきりと覚えています。
「姉弟なんだね」
「そうだよ? ……ねぇ、聞いてもいい?」
「?」
何を今更と言いかけてから、ふとあることを思い出しました。今なら、と思ったのです。
「クェイルって、男の人? 女の人?」
それは触れるべきではないこととして、彼は認識していました。訊ねた時のあの微笑は、強い効力を持っていました。
聞いた途端、ジェイレイはくすくすと笑います。
「わたしは女の子だよ~。ネオルク、見て分からないの?」
顔が上気してきます。面白そうに覗いてくるのは子どものジェイレイでも、どこかでクェイルに覗き込まれているような錯覚を覚えました。
「あ~、えっと、そうじゃなくて。じゃ、じゃあクェイルは女の人、なのかな?」
だとしたら……。旅を振り返って、ネオルクは更に顔が赤くなってきます。
「う~ん、違うかも。クェイルはクェイルだよ?」
男性でも女性でもない存在ということでしょうか? 本人もうまく説明できないようで、二人とも首を傾げます。
聞ける時に思い切って聞いておけば良かったと、ネオルクは少し後悔しました。




