最終話 伝えたいこと
「ク……ジェイレイ」
「どっちでも良いよ。どっちもわたしだもん」
違和感はどうしてもあったけれど、直していけないほどでもありませんでした。姿形は違っても彼女は紛れもなく「クェイル」だったからです。
ネオルクはそんな安心感の中で、使いの一人であるアルトの指導の元、契約者としての技術を磨いていきました。
風の結界、炎の壁、水の癒し。どれも自らを守る術です。全ては家に帰るためでした。
本来の姿を取り戻したジェイレイには、ネオルクを守る力がありません。
彼女はミモルによって一時的に天使の力を増幅してあの容貌を取っていたようですが、それも役目を果たすまでが期限でした。
『僕にとってのパートナーはクェイルだけだから』
他の誰かを選ぶという選択は、そもそも彼の中には存在しません。提案を前にきっぱりと断りました。
とすれば、自ずと残るはこの道のみになります。誰の力を借りることなく生きていくという道だけに。
ジェイレイと過ごす日々は楽しいものでした。彼女は毎日、月明かりの下でクェイルが語ってくれなかったことを、おぼつかないながらに教えてくれました。
その都度未熟さを思い知らされて、もっと強くならなければという気持ちへ駆り立てられました。
時にはミモルとも話しました。
忙しいスケジュールの中でも用事を早々に済ませてくれ、3人は一緒に寝たり、夜明けまで他愛のないことを喋ったりしました。
話をしていて、ジェイレイがミモルを慕う訳も知りました。ジェイレイにとってミモルは恩人であり、母親のような存在であるようです。
「ジェイレイ、ママのこと大好き。ネオルクも同じくらい大好きだよ」
「うん、うん」
きらきらした純粋な瞳を向けられると、抱きしめて離れたくない思いが沸き起こりました。
月日は瞬く間に過ぎ、一通りの修練を終えたネオルクが地上へ降りる日が訪れます。
玉座の間で向かいあうミモルは正装に身を包み、神と姉としての顔を同時に持っていました。クェイルが買ってくれた二つ目のペンダントを眺めて、ノドが詰まります。
「それ、貸してくれる?」
歩み出てミモルに渡すと、紫色の小さな宝石に軽く息を吹きかけました。
そしてネオルクに手を伸ばしてきつく抱きしめます。驚いていると、温かいものが右目に押し当てられるのを感じました。
「っ、熱い」
覚えのある痛みです。かつてフィアに印を刻まれた時の、あの痛みに似ていました。腕が離れて熱も過ぎ去ると、印をそこへ移したのだと教えてくれます。
「普段は見えないようにしておいたから。それからペンダントには守護を、ね」
印越しに見える姉は笑顔で自分を送り出してくれようとしていました。アルトに頼んで、ネオルクは家路に着くことになっています。
二人とも、泣きも嘆きもしません。
「ママ、いいの? それでいいの!?」
静けさを破ったのはジェイレイです。その場の者達の合間をすり抜けてミモルに訴えました。
「ママが闇を祓おうとしたのは、ネオルクのためだったんでしょ? 何もいわなかったけど、分かったもん」
「ジェイレイ、それってどういうこと?」
見守っていたエルネアがミモルに何かを囁きます。フェロルも笑って先を促す仕草をしました。
強張った笑顔をした姉がぽつり、ぽつりと言葉を落とし始めます。
両親がいることを知って、会いに行った日の話でした。
初めての対面に緊張しきっていたあの日、出会った少年が実の弟であると気付いたあの瞬間。
「私ね、ネオルクを見て……辛かったんだ」
「あ……」
それは、この一ヶ月ほどの間あった、埋めがたい違和感の正体でした。優しくて、寛容すぎた姉の本音です。
自分は会うことさえ出来なかった父や母とずっと暮らしてきた弟が、羨ましくないなどということがあるでしょうか?
「良いお姉さんで居たかったのにな。もう駄目みたい。ごめん」
当然の主張です。それに対して罪の感情を持っているらしい姉に、ネオルクはただ首を横に振ることしか出来ませんでした。
「でもね、同時に嬉しかったんだよ」
姉弟がいたことの嬉しさや、弟の存在が両親の救いになっていることの嬉しさです。だから、これからも二人を支えて欲しいとミモルは言いました。
それは悲しいお願いです。ネオルクは初めて姉の涙を見ました。
「泣かないで。僕も嬉しかったよ」
ハンカチを差し出しかけて、彼は故郷の幼なじみを思いだしました。
◇◇◇
光が体を包みます。ぎりぎりまでジェイレイとは一緒にいました。お互いに必ず再会することを約束して手を離します。
アルトの導きによって長かった道のりは一瞬で通り過ぎ、視界が開けた先には懐かしい家々がぼんやりと浮かんできました。
「それでは。またどこかでお会いしましょう。ネオルク様」
「はい」
来たときと同じように、使いは光の柱へ消えていきます。久しぶりの光景をゆっくり呼び起こすように、ネオルクは一歩を踏み出しました。
村の入口には友達のびっくりした、そして嬉しさに溢れた顔があって、わぁわぁと騒ぎます。
やがて大人達がその輪に加わりましたが、家へ向かうことを告げて集まりを抜け、見付けました。赤い髪の、幼なじみの少女が震える瞳で待っていました。
「ハンカチ、ちゃんと拾ったよ」
「……ネオルクっ!」
再会の喜びを分かち合い、二人は連れだってネオルクの家へ歩いていきます。両親は話を聞きつけて家から飛び出してきました。
「良かった! 帰ってきてくれて……!!」
少し痩せてしまった母親と、やつれた父親。
ずっと心配してくれていたのでしょう。数ヶ月ぶりに会う彼等はすっかり変わってしまっていて、ネオルクの胸を締め付けました。
「もう何処にも行っちゃあ駄目よ!」
二人に抱きしめられて、少年はどれだけ大切に思われていたかを感じます。自分がしなければならないこともはっきりと分かりました。
どれだけ時間がかかるか分かりません。理解を求めても誤解されるでしょう。それでも、しなければならないから。
意を決して、ネオルクは口を開きました。
「あのね、聞いて欲しいことがあるんだ」
《終》
本編はこれにておしまいです。
最後までお付き合い下さってありがとうございました。
次回からは3回ほどに分けて、本編の追補となる番外編を投稿する予定です。
そちらもお読み頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。




