第二十八話 影とのたたかい
頽れそうになる肢体を震える足で支えています。
「私は……、それでも何かしないと。あのひとのために何かしたって証拠を得ないと駄目になってしまう。毎日毎日嫌な夢ばかり見て、気が狂いそうなの」
「ディーリア」
「あの時、何も出来なかった。沢山の、刃物の光に晒されているあのひとを見上げて泣いていただけ」
「いつだ?」
弱々しいディーリアを人目から護るために、クェイルが道の脇の暗がりへと連れていきます。二人で座らせた彼女の壁を作って、静かに問いかけました。
「ちょうど、12歳になったばかりだった。みんな笑ってた。私の誕生日を、あのひとも嬉しそうに祝ってくれて」
予想通りといった顔をしたのはクェイルで、その口から信じられない言葉が落ちました。
「悪魔、だ」
びくり、と体を震わせた二人の目がその口元へ吸い寄せられていきます。しかし、問いかけは突然の爆発音によって遮られました。
ドォォン! 耳をつんざく衝撃の直後、激しい横風が吹き荒れ、あとはただ耳鳴りが止みません。
突然の出来事についていけないネオルクをクェイルが引き寄せ、同様にディーリアをも懐に招き寄せました。
「な、何今の!?」
耳の奥で規則的に鳴り続ける音を、上回る大声で問いかけます。爆風の余波でパラパラと粉塵が舞い上がり、ようやく落ち着き始めた町に再び混乱を与えようとしています。
「近い。どうやら次の攻撃が始まったらしい」
「まさか、私を狙って!?」
クェイルの言葉から察するものは一つです。青ざめた表情でディーリアが悲鳴に近い声を上げました。
「嫌だ、死にたくない! だからやられる前にって思ったのにっ」
耳鳴り以上に耳を塞ぎたくなる言葉を次々に吐きます。今の彼女の心を占めるのは恐怖心と歯止めが利かなくなった狂気だけです。
「静かに。そんな行動ばかり取っていたら助かるものも助からない」
「……助かる、もの?」
耐えかねてクェイルが彼女の口を強制的に塞ぎました。激昂に涙が滲んだ顔のまま、もごもごと呟きます。
「敵の見当は付いた。我々には人間を護る使命もある」
「助けてくれるっていうの、私を? パートナーでもないのに?」
「パートナーは中心であって、世界はそこから外へと通じている。でしょう」
パートナーを失った彼女が信じる者は、もう父親以外に無くなりました。
好意を持つことがあっても、一歩踏み出そうとはしないのは傷つくのが嫌だからであり、心の奥で育った不信を捨てきれないからです。
「ディーリア、僕達を信じてよ。復讐の協力なんて無理だけど、守ることなら出来るよ。……まだ、弱い力しかないけどね」
小さな手を差し出して笑いかけると、指先に冷えた感触が触れてきました。
――助けて。
心の叫びが聞こえてきます。縋りたかったのでしょう。自分を守ってくれる存在が欲しかったのでしょう。
多くを出来なくても、これ以上冷えてしまうよりはずっといい。誰かの体温が伝わった分だけでも、暖まるのならそれで。
耳鳴りがおさまるのを待たずに3人は走り出しました。選択肢は二つです、「向かう」か「逃げる」かの。
「出来ることなら、みんなを助けたいよ」
「無理だ」
即答されて言葉を失います。爆発に巻き込まれた人、自分達の争いに関係のない人が傷ついているのを知っていて、何も出来ないのは辛いものでした。
「今はここを離れるのが先決だ」
クェイルの先導は迅速で確実です。人気が無く、危険も少ないであろうポイントを突いて誘導してくれます。
事実、街を走る間ほとんど誰にも会わず、安全でした。
「ディーリア、急いでっ」
体力が底を尽きかけているらしい彼女は遅れがちで、二人の間に挟む形で進んでいくことにしました。やがて民家を抜け、一行は海側へ出ます。
天気が悪くなってきたのか、薄暗い港の向こうでは水平線がぼやけていました。
「はぁ、はぁ。ここで、いいの?」
肩で息をし、上体を傾けます。こんなに走ったのは久しぶりです。
「あの爆発に火事、街から逃げてもその手をふりほどくのは難しい。となれば周りに被害が出ない場所で直接手を下した方が利口だ」
「そんな、復讐はしないって! わっ」
カッとなって掴みかかろうとする少年を軽く振り払い、反対に腕を引き寄せました。
天使の力にかかっては、子どもなど相手にはなりません。ほんの少し握られているだけなのに、腕はぴくりとも動かせませんでした。
「勘違いするな。これは復讐なんかじゃない。……邪を祓う」
ぐわっ! 背中が凍りつく気配を感じて、咄嗟にクェイルにしがみ付きます。
「黒いの」だ。
瞳の奥へ光が煌めく感覚。瞬間、忘れかけていた記憶が蘇ります。幾度となく自分達を襲った何か。生き物とも呼べない代物。
これは、闇です。
「あれなの、ディーリアを襲ったのって!?」
潮風とは別のものが髪を吹き上げました。
港の倉庫の裏から見え隠れしている影は人のものでしたが、彼等の纏う力は決して人の身に宿る種類のものではありません。ディーリアも震えています。
「あれって何なの!?」
「化け物だよ。あんなの、生きてるなんて思えない」
「違う。奴等は今までの闇とは違う。もっと気配を探ってみれば分かるはずだ。光を忘れるな」
セインとメシアの言葉は、吹き消えそうな蝋燭に新たな光を灯しました。恐る恐る首をそちらへ向け、用心深く感じ取ってみます。
「……! 本当だ。うまく言えないけど、これは、別のもの」
襲い来る寒気や覆い被さろうとする圧迫感。けれども何かが違います。今、自分達を脅かしている気配は、比べれば信じられない程、脆弱です。
「きゃあっ」
細く高い悲鳴が上がりました。ディーリアを目指して影が一斉に襲いかかってきたのです。重低音を背負いながら、足音も立てずに迫ってきます。
亡者とでも表現すべき者達が、黒く長い腕を伸ばしてきました。
フゥッ。クェイルが指先に息を吹き込むと、掌が薄く光ります。
近付いた影の一つの懐に素早く入り込み、腕を鋭く振り下ろせば、光は闇を切り裂くナイフのように鮮やかに相手を撃ちました。
斬られた敵は存在を滅ぼされ、弾けて消えてしまいます。
「我々の敵じゃない」
「これが、祓い?」
天使の全身に光が満ちていくのを感じました。普段は内に封じ込めた本来の力を解放し、漲らせています。見ていて、肌がピリピリしそうでした。
「ネオルク」
「う、うん」
心を研ぎ澄ませます。クェイルが守ってくれる安心感の中で、水や風を召喚するのとは違った負荷を胸の内に抱えます。
心の奥で光の円を描き、静かに呼び掛け――引き寄せました。
「セイン!」
契約した者の名前を叫ぶと、内から溢れる光が輝く女性の姿を取って現れます。全てを包み込むような優しい笑顔を讃えながら。
その身から発する聖なる力に、亡者達が引くのが分かりました。
「ディーリアも力を貸して!」
戦力は多いに越したことはありません。彼女の力を借りられれば、よりスムーズに敵を打ち払えるはずです。
行ける、そう思って振り返ると、しかし彼女の視線は闇に絡め取られたままでした。




