第二十五話 誤解とにくしみ
「『特別』?」
「まだ、駄目だ」
ネオルクは不安な気持ちになりました。訊ねようとする彼を制して、クェイルが前に立ちます。
きっと触れてはならない領域なのでしょう。天使と精霊を縛る命令、その発令者は一体誰なのか……。
「睨まなくても良いでしょう?」
からかうようなセリフにも、天使の苛立ちを助長させる効果があったようです。このままではいけない気がしました。
「あ、あのっ」
「……そう。手続きを踏まないと、ね」
手続き、それは精霊との契約です。しかしフィアはくすりと笑って、「まだ、駄目だ」とクェイルの真似をしました。
キョトンとする少年に、クェイルが説明してくれます。
「フィアは精霊の長だ。全ての精霊に認められることで、最後に契約を交わすことが出来る」
「じゃあ」
「私が、あなたを本当の契約者にするのよ。証明をその身に刻んでね」
本当の。言葉が何度も頭の中で反響しました。つまり、今の自分は未熟な半端者というわけです。
まだ天使に守られるだけの存在だと言われている気がして悲しくなりました。
フィアは「それじゃあ」と言い、姿を現したときとは逆に大気を散らして消えました。あとになって、体の震えに気付きます。
「ネオルク?」
「あれ、震えて来ちゃった。自分から火の中に飛び込んだのに、今になって怖さが襲ってきて……情けないよね」
緊張が解け、足の力が抜けて倒れそうになります。そこをクェイルにぐっと抱きとめられました。
そのまま、妙に冷えてしまった体を温めるように、強い力で支えられます。見上げると、天使の方が泣きそうな顔をしていました。
そうだ。誰かのことを助けてるつもりで、クェイルのこと考えてなかった。凄く心配かけちゃったんだ。
「ごめん。もうこんな危険なことしないから」
こうなるとを分かっていたのでしょう。急に強くなれる訳がないということも、あとになって彼自身が苦しむ結果になることも。
分かっていて、それでも止められなかった自分を、クェイルは心の中で何度も責めているみたいでした。
「と、とにかく休もうよ。これだけ大きな町なら他の宿屋も見つかるだろうし」
体が鉛のように重く感じました。思わぬ助力を得たとはいえ、身に余る力を使った疲労は予想以上のものです。すぐにでもベッドに倒れ込みたい気分でした。
クェイルは何も言わずに頷いただけで、目を合わせるのを避け、先に立って歩き始めます。彼も重い足を引きずってその背中を追いました。
町はいまだ喧騒の中にあるものの、多くの人は避難をしています。代わりに救助や消火あたる兵士達の行き交いが激しくなっていました。
時々ネオルク達に気が付く者がいても、ここまで逃げてくれば大丈夫だと判断するのか近寄っては来ません。
そんな中、天使の体からは静かな憤りが滲み出ています。痛い空気がいたたまれず、何度声をかけても、返ってくるのは拒否する態度でした。
これがネオルクの問題なら、許して貰えるまで謝れば済むでしょう。
しかし、怒りの矛先がクェイル自身に向けられたものである以上、外からの働きかけで意志を曲げることは難しそうです。
クェイルが自分を責める事なんてないのに。
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、気持ちは遥か彼方に存在しているような感じがします。
仕方ないのかな。クェイルには時間が必要なのかもしれないし。そういえば、この調子だと目的の店もきっと……。
「待って!」
聞き覚えのある声が背中から鋭く身を貫きました。とっさに振り返ると、予想通りの人物が息を切らして立っています。
「ディーリア! 無事だったんだね!!」
火事の現場に居なかった彼女の元気そうな姿に思わず笑みが零れ、駆け寄ろうとしました。けれど、ディーリアの気持ちはネオルクと同じではありませんでした。
「何を言ってるの。あなた達が火を付けたくせに!」
「えっ? ち、違うよ。僕達はそんなこと」
憎々しげな叫びに慌てて否定したけれど、彼女が受け入れたかどうかは火を見るより明らかです。
「してないっていうの?」
とんだ濡れ衣を着せられた悲しさよりも、彼女の瞳により一層の闇が閃いているのを見て息が詰まりました。
やめて、そんな目で見ないで。
「あなた達が出ていった後すぐにあんなことになって。私はなんとか逃げられたけど、お父さんは……。あなた達以外考えられないじゃない!!」
拳を握りしめ、今にも襲いかかろうかという剣幕です。さすがに一瞬怖じ気づきましたが、すぐに言葉の意味に引っかかりを覚えて気持ちを切り替えました。
ネオルクの前に歩み出て、二人の間に立ったクェイルが冷静に告げます。
「『お父さん』とは、あの店主のことか? なら、今頃は病院に運ばれているはずだ」
「……え? 本当?」
さっきまでの勢いも虚をつかれたように抜け、ネオルクがゆっくりと頷くと、脱力してその場に座り込みました。
「そう、無事……なの、ね」
放心状態だった彼女に二人が掻い摘んで事情を説明し、ようやく己を取り戻した時でした。ごめんなさい、とディーリアは顔を上げて呟きます。
「気が動転して、あの場にいたあなた達を疑ってしまって」
「早くお父さんのところに行ってあげて」
瞳にあの暗さが消えているのを見、ネオルクはほっとしました。あのまま憎しみを浴び続けていたら、場を放棄して逃げ出していたかもしれません。
笑いかけてあげることなんて出来なかったはずです。
「ありがとう」
手を差しのべて立たせると、好意的な気持ちが伝わってきます。そうして誤解が解けて初めて、クェイルが意外なことを言い出しました。
「天使の光を感じる」
『えっ?』
ネオルクもディーリアも、クェイルを見つめて息をのみました。
今は人に話を聞かれる心配はありませんでしたが、いつ避難した者たちが一時的にでも戻ってくるか分かりません。
「病院まで送ろう」
父親と同様に、あの火事の現場から命からがら逃げ延びたという彼女自身も治療を受ける必要があります。
病院は町の南にあり、今回の事件で怪我を負った何人かはここに運び込まれていました。丸く切り取られたドアや窓を持つ、柔らかい雰囲気の一戸建てです。
「病院っていっても、家みたいだね」
ディーリアの説明によると、1階が病院で2階は医者一家の生活スペースだということでした。
声をかけると、優しそうな目をした中年の女の人が招き入れてくれます。白衣を纏っているところからすると、この人が医者でしょうか?
「あら、ディーリアちゃんじゃないの。お父さんなら奥よ」
言いながらも彼女を診察し、「あなたも医者が必要みたいね」と言って腕を引きます。
怪我や火傷の処置が終わると、3人は連れだってベッドに横たわった宿の主人であるディーリアの父親を見舞いました。
「さっきのことだけど」
病院は医者の夫婦と二人の子ども達で運営されており、女の子達はせっせと親を手伝って看護士として立派に働いていました。
ネオルクは自分とさして年齢も変わらない彼女たちがとても大人に見えて、肩身の狭さを感じます。
だいぶ煙を吸ったものの命に別状はない父親を横目に、椅子に力無く腰掛けていたディーリアが口を開きました。
一家は他の患者にかかりきり。今なら話の続きが出来ると思ったようでした。




