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とびらの少年~「扉の少女」外伝~  作者: K・t
第六章 少女と女性のなげき
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第二十三話 朱いあか

 宿は表通りからやや離れた奥に、他の店に挟まれるようにありました。

 二階建てで煉瓦レンガ造りのその宿屋は、外から見ただけなら小さな部屋が四つ分といったところでしょうか。


「お客さん捕まえてきたよ~」

「いらっしゃい」


 押し戸を女性が開けて叫びます。向こうからは宿屋の主人らしき中年男性の声が返ってきました。


「っと。捕まえてきた、なんて言ったら悪いわね」


 振り返ってまた覗き込まれそうになる雰囲気にネオルクが気付き、自然と肩がって足が下がります。入れ替わるようにして前に出たのはクェイルでした。


「いえ、宿屋を探していたのは本当なので、助かりました。……あの」

「あ、まだ名乗ってなかったわね。私はディーリア」

「私はクェイル。こちらはネオルク」

「よ、よろしくお願いします」


 そのままカウンターに向かい、部屋の手続きをします。「荷物を運ぶ」という女性――ディーリアの申し出を断って二階の奥の部屋に入り、扉を閉めました。


「……ありがとう」


 宿屋というものはどこもだいたい同じ作りのようです。

 奥に窓があり、左右にベッドが一つずつ置かれています。間に腰丈ほどのタンスがあり、上に乗っているのは洋燈ランプでした。一晩泊まるだけなら十分です。


「僕、自分じゃ人見知りだなんて思ってなかったんだけどな」


 子どもの頃から外に出るのは好きでしたし、大人ともじけず話せました。でも、あれは同じ町に住んでいる人だったからかもしれません。


「旅に出て、人と話すことがあんまり無かったからかな。……怖いんだ」

「あの人が嫌い?」


 暗くなってきた部屋のカーテンを閉めて、明かりを灯したその振り返りざま、クェイルが問いかけてきます。

 こういった言葉が出てくるとは思わなかったので、面食らいました。


 この天使に「好き」や「嫌い」が存在しないのではありません。ただ、誰の手も届かない酷く奥、とても遠くにあるように思えるのです。


「違うよ。そうじゃなくて、目が」

「目?」


 すっと覗き込んできました。深い青色の瞳が凄く近くにあります。その行動にびっくりしてりかけると、腕が伸びてきて頭を掴まれました。

 互いの距離を広げまいと引き寄せられます。


「え? な、何?」

「怖い? 私の目は」


 静かな問いかけでした。この至近距離では唇の動きさえはっきりと目に飛び込んできます。言い直すようにつむがれる言葉が、柔らかく胸に響いてきます。


 瞬間、感じ取りました。これは、恐れの感情だと。ネオルクは慌てて首を横に振りました。


「クェイルの目は優しいから、怖くないよ」


 決して多くを語らないせいで、天使のかすかな感情の揺らぎに敏感になりました。今は、自分を怖れていないかと確認したかっただけなので、他意はありません。


「僕がここまでついてきたってことが、その証拠」

「そう。なら、ディーリアの瞳に恐れを抱いた理由は……あれだ」

「あれ?」

「……彼女の闇を見たから」


 すっと身を引いて、けれども視線だけは外しません。

 どきりとしました。淡々と語る口調に迷いは見られず、事実をありのままに告げているだけです。


「ネオルクには闇を見通す力が付いた。だから、人間の持つ心を垣間見て」

「ま、待ってよ」


 ネオルクは慌ててクェイルの言葉をさえぎりました。天使は一度目をそらし、ゆっくりと閉じます。考えていると恐ろしくなって、うつむきました。


「僕にも……あるんだよね」


 肩を落としてベッドに横たわり、そのまま目を閉じて眠ってしまいたくなります。クェイルが近付いて来て、そんな少年の髪の毛に触れ、頭を撫でました。


「恐れなくてもいい」

「……うん」


 柔らかい感触に、いつしか心が落ち着いて来ます。その手が離れ、優しい声で「夕食を頼んでくる」と言って出て行ったあとも、感触がずっと残っていました。



 翌日、二人が宿をあとにしたのは日がかなり昇ってからでした。

 長旅の疲れが出たのか、ネオルクが気怠けだるさを訴えたからですが、クェイルの「もう一日休んでいこう」という提案は、あえてはねけました。


「もうだいぶ治ったから、早く行こう」


 本心から言えば、まだ休んでいたかったのです。でも、そうすれば二度と起きあがれないような気がしました。


 この疲れは旅のせいじゃない。


 事の重大さに今更気が付いたみたいに、重みはずしりと肩にのしかってきます。


 姉に会いたいのは本当です。この十年間全く知らされなかった肉親の存在に、大きな秘密がまだ隠されているのを感じます。


 決めたんだ。もう、戻らないって。


 こうして一歩一歩進む先に求める者があるなら。そう思ってここまで来ました。次々に生まれてくる不安をなんとか打ち消しながら。

 その一方でじょじょに大きくなってくる、ある考えがあります。


「何をそんなに急いで……」


 人気の多い中央道を進み、ディーリアが教えてくれた約束の宝石屋へ向かう曲がり角を見定めました。


 そこは左右を高い建物に挟まれた狭い路地で、曲がった途端とたん、静けさに驚いたほどです。日光があまり届かず、湿り気を帯びた空気がたまっていました。


「……僕、人間だよね」

「?」


 ぽつり、とらした一言を聴力に優れた天使の耳ははっきりととらえましたが、意味はすぐには理解できません。


「どうして僕には、普通の人にはない力があるのかな」

「それは」

「クェイルがそばにいてくれるのは、僕が普通じゃないからだよね」


 訴えかけてくる瞳を受け止めて、クェイルは言いよどみます。


「理由を教えてくれなくても良い。でも、自分が他の人と同じかどうか不安で」

「……契約者は『神に選ばれし存在』、『神の残り香』……すなわち、神の血を引く者」

「どういうこと?」


 辺りを一通り見回して誰も居ないことを確認すると、声のトーンを落として話し始めました。


 かつて命を落とした女神のことや、その女神が人間に転生したこと。その子孫が契約者であり、更には――女神の完全なる消滅という顛末てんまつを。


 少年はその話に熱心に耳を傾け、全てを聞き終えた後も口をずっと閉ざして考え込んでいました。


 考えに体がついていけていないのでしょう。まだ幻から冷め切らないうつろを残しています。


「じゃあ、お父さんとお母さんは?」

「血は引いているが、力を操るには足りない」


 淡々とした口調で説明され、まるで些細ささいなことに感じられて、彼は胸に痛みを覚えました。


 確かに、クェイルにとっては小さなことかも知れないけど、自分にとっては何より大切なことなのに。


「つまり、人の間に生まれたネオルクは、人だ」

「あ……」


 ふさぎ込んでいた心に風が吹き抜けるように、さぁっと不安が晴れていくのが分かりました。


「たとえ神の血をその身に流していたとしても、事実は変わらない」

「そう、だね。僕はお父さんとお母さんの子だよね」


 ふっと笑います。クェイルも、心なしか微笑んだように見えました。

 そんな時間が過ぎ――突然のざわめきが二人の空気を貫きました。


「な、何っ?」


 この町は入ったときから十分騒がしかったけれど、今回は異質です。静かな路地にまで届くそれは悲鳴でした。


 表通りへ飛び出そうとするネオルクの肩を、クェイルがぐいと引き寄せて耳打ちします。


「炎の気配がする」

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