第二十一話 落ちゆく先とやみ
「……クェイル」
大事そうに掴んで首から外し、目の前で拳を開きます。そこには淡い光を放つ小さな石がはめ込まれたペンダントがありました。
以前立ち寄った街でクェイルに買って貰った物です。生活に必要な物以外で与えられた唯一のプレゼントでした。
きっと、いつ何があってもいいように力を込めていてくれたのでしょう。
石はネオルクの呼びかけに応えて力を発揮し、邪悪なものを退けました。
また、窮地を救ってくれたのはパートナーです。それが嬉しくて、彼の心は少しだけ暖かさを取り戻しました。
「あっ」
しかし、それはほんのしばらくのことで、光は弱まっていきます。
あれほど強かった白い光が、今はもう吹けば消える蝋燭の火のように頼りないものです。
陽炎を秘めた紫は、一筋入ったヒビをきっかけにして割れ目を全体へと広げ、ぱぁんと音を立てて砕けました。
辺り一帯に最後の光を散らすそれは、クェイルとの繋がりが切れた音に聞こえました。その空虚な想いが胸の内からこみ上げ、全身に広がります。
ごめん。クェイルは「動くな」って言ったのに。
これが罪だというなら、大切なパートナーをも陥れる大罪です。目の前が先程とは対を成す黒さに染められ、心が闇の中へ落ち込んでいきます。
約束を破ったのは、裏切ったのは、僕だ。あんなに苦しそうだったのに、一度たりとも「守る」という約束を破ったことのないあのひとを……。
「クェイル……ごめん」
ずっとこうして心で謝り続けていれば、神様もクェイルを許してくれるでしょうか。その時、疲れてぼんやりとした視界に、大きな影が伸びてくるのを感じました。
「ネオルク!しっかり!!」
体を揺さぶられる感覚に、ネオルクがぼんやりと目を覚まします。
急には把握できず、自分を起こそうと必死なクェイルに焦点を合わせるのに時間がかかりました。
「く、クェイル? 大丈夫なの……? ごめん、なさい」
完全に覚醒した彼は慌てた風に起きあがり、天使に掴みかかりました。
「何を言って……」
「だって、僕、あれ?」
安心と不審が混ざったクェイルの顔を見ているうち、ここが海の底にある城だという事実が胸に蘇ってきます。
今のは夢? でも、夢とは違う気がする……。
『それはお前が忘れた過去』
「誰?」
自分達以外の声を聞いて、ネオルクが弾かれたように立ち上がりました。
『目を背けた現実』
扉の中はかなり開けた空間です。クリスタルの柱がいくつも連なり、少ない明かりがお互いに反射し合って増幅されています。
声はずっと奥から聞こえてくるようでした。
「この声はここまで僕を案内してくれた……」
「これが?」
聞き覚えがあるものに反応してこぼした独り言にクェイルが驚きます。頷きかけて、今度はネオルクが振り返りました。
「聞こえるの?」
「はっきりと」
ゆっくりと、声の正体を確かめようと二人は進んでいき、やがて最奥部へと辿り着きます。
最初に目に飛び込んできたのは一際大きなクリスタル。そして、その中の人影でした。
「クェイル、男の人が……!」
ネオルクが駆け寄ります。人が柱に閉じこめられていると思ったのです。けれど、その後ろで天使は冷静に、「あれが闇の精霊・メシアだ」と告げました。
びくっとして少年の足がクリスタルの寸前で止まります。目つきが恐ろしい物を見るようなものに歪んでいきます。
「やみ……?」
頭の後ろで束ねた黒い髪に、外気に触れれば靡きそうにゆったりとした黒い服。暗闇に浮かび上がるその姿は、人でないものを確かに感じさせました。
闇とはネオルクの怖れるものであり、今やクェイルを脅かすものでもありました。そのせいで余計に緊張が走ります。
「邪悪なものとは違う。安心していい」
「闇にも良いものとそうでないものがあるの?」
「そう」
応えたのはクェイルではありませんでした。うっすらとした低い響きに肉声が加わっていますが、間違いなく「導きの声」でした。
振り返れば、柱に埋め込まれた精霊の瞳が細く開いてこちらを見つめています。予想に反して瞳は深い海の色をしていました。
秘められた光がネオルクを真っ直ぐに射ます。負けじと、ネオルクも真っ直ぐに対峙しました。
「俺は闇の守り人・メシア。ネオルク……お前を待っていた」
「僕を呼んだのは、あなた?」
クリスタルの中では身動きが取れないのか、頷きはしませんでした。ただ、瞳だけが肯定を示しています。
「お前は特別だから」
「特別?」
「ミモル様と同じ血を持つ者だろう」
またです。ネオルクは再び精霊の口から姉の名を聞きました。
「どうしてお姉さんを知っているの?」
「……残念だが、それを口にする権利は俺にない」
彼はその答えを想像していたけれど、やはり肩を落とさずにはいられません。まだ見ぬ姉。旅を続ければその分、存在も疑問も心の奥で膨らんできていました。
「じゃ、じゃあ、どんな人なのかは聞いても良い?」
「それは自分で確かめた方が早い」
自分で確かめる……言葉を咀嚼するように何度も口の中で繰り返します。
「では、お前の力を認め、力を渡そう」
「えっ? 待って、まだ」
「何だ」
「し、試練は?」
確かに精霊はここに至る途中で『試練を受けろ』と言ったはずです。それなのに、来て早々力を授けてくれるとは、一体どういうことでしょう。
僅か、メシアの口元に笑いが浮びました。
「さっき、過去を垣間見たろう?」
「あれって、本当に起きたことなの?」
ネオルクには実感のない過去。しかし同時に、どこかで無くした大切なもののようにも思えました。
僕は、何かをどこかに落として来たんだ。
「あれが全てではない。お前はまだ大事なことを失ったままだ」
胸の辺りを押さえると、心にぽっかりと空いた隙間が完全に埋まっていないことがなんとなく分かります。
買って貰った首飾りと一緒に、過去に置き忘れてきてしまったみたいに。
「うん。僕も、そんな気がする」
「闇と向き合う覚悟をしただろう?」
自分と向き合うことを認めたのだろうと。
「……夢みたいだったけど、クェイルと一緒に居たいって思った」
今はいつもの無表情のクェイルに笑いかけました。恐らくネオルクが失ったものも、今はクェイルが背負ってくれているのでしょう。
いつか全てを自分で受け止められる時を迎えたい。クェイルを助けられるくらい、強くなりたいな。
「ネオルクの中には光が宿っている。だから俺の声を聞くことが出来た。闇があるところに光があり、その逆もまたしかり。光は闇に呼応する」
「僕に出来ることは?」
もし、自分に力があるのなら。ここまで何も出来なかった己が歯痒く、誰かの役に立ちたいと思ったのです。
この旅で彼の心に芽生え、急速に大きく育った気持ちが、これでした。
「光を、分けて欲しい」
「うん」
ぱっとネオルクの表情が明るくなります。故郷で暮らしていた頃にはここまで喜びを感じることはありませんでした。
クェイルは少々びっくりしているようでしたが、メシアと目を合わせるとふっと笑みを零します。
闇の精霊が満足げに頷くと、クリスタルの中から腕がすぅっと伸ばされました。
「わっ、そこから出られるの?」
「少しの間なら」
ネオルクの頬に届く少し手前で止めると、少年の体から光が溢れ始めます。
触れずとも、手からひんやりと、けれど不思議と心地よい感覚があり、身の内からは力を引き出されていきました。




