現実が押し寄せ落下する
沙羅……沙羅……
遠くの方で声が聞こえる……
誰? 私はそう聞いた。声が出てるのか出ていないのかわからない。私は手を伸ばす……その手をしっかりと握ってくる手があった。
「……沙羅? 目が覚めたか?」
私の薄っすらとした意識の中に突然現実的な声が飛び込んできた。咄嗟に私は手を引っ込めた。
私は静かに恐る恐る目を開く。やはり全てがぼやけて見えていて。目の前にある顔が祥だとゆうことを認識できなかった。
体調は幾分良くはなっているように感じた。
私は眼の前にいる存在から顔をそむけるように背を向ける。そんな私の背後で鼻で笑うような祥の声が聞こえた。
「体調はどうだ?」
言葉は心配の意味を含めているのかもしれないが、口調はそれを感じるものではなくて、淡々としていた。
私に薬を飲ませておいて、そんな言葉をよく言えたものだと、心の中で思った。
「……お前には生きていてもらわないと困るんだよ……なんにせよ死ななくて良かった」
祥の言葉にどんな意味が含まれているのかが、今の私のは分からなかった。それに対して聞きたいとゆう気持ちもなかった。
答えは私が望んでいる状態とは正反対のものに決まっているのだから。
「そうそう、お前に一つ聞きたい事がある。お前と一緒にいた女性。お前とはどうゆう関係だ?」
祥の質問に私は痛みに近い鼓動を感じる。祥が言っている女性とは母の事よね? という事は母もどこかに拉致されているという事なのかしら?
祥はあの人が私の母だという事を知らずに拉致したという事だとしたら、母だという事は伏せておいた方がいい。父である松永恭次郎に知られたら大変な事になる。
「貴方には関係の無い事よ」
私は祥に対して強い口調でそう言った。祥はその言葉を鼻先で払うように笑う。
「お前はあの女の正体を知っているか?」
祥はそう聞いてきた。私は母の中国での生活の事など聞いていない。聞こうとも思わない、だって事実を知るのが怖かったから……
「正体?」
私は思わず聞き返した。
「その様子からすると、本当に知らないんだな……あの女はな中国で経済を裏で一手に仕切ってる会長の女でな、その中国野郎が日本に縄張りを広げてきつつあるんだよ。当初は総帥の所にも話が来たらしいが……あちらさんがお上品にも薬や売春、殺人なんてものを扱いたくないらしくてな、下品な俺達のやり方は性に合わないって、身を引いたのさ。そして今、無理矢理俺たちの縄張りに入ってこようとしている……もう一度聞く、お前とあの女はどうゆう関係だ?」
祥の口調はいつになく強くて空気が圧力を帯びて私に押し寄せてくる。私はその圧力に負けまいと固く口を噤んだ。
祥はそんな私の姿を見て、何かを感じたのか、鼻で笑いながら口を開く。
「もしもお前を殺すと脅したら、あの女はどんな反応をするんだろうな」
祥のその言葉に私の心臓は激しく鼓動し始める。そんな脅迫をしたら、母はきっと……
「殺してもいい。と言うわ、きっと」
私は懇親の力で演技をする。一瞬空気の動きが止まったように静かな空間を肌は感じていた。祥が私の言葉に驚いているのか? そんな雰囲気を私の肌が感じ取っていた。
私は続けて言葉を発する。
「あの人は、ただ通りすがりに私を助けてくれただけだもの。そんな中国の大物の女なら、私の命なんかノミの命くらいにしか思わないわよ」
私の言葉で祥を騙せるかどうかはわからない。でも母にもそのくらいに気丈に思って欲しかった。自分の命を大事にして欲しかった。私の母である事を隠していて欲しかった。
祥はほんの少し呆れたように笑い、私の顔を覗き込んでいた。
「お前、目が見えにくいだろう?……悪かったな、不良品の薬を飲ませちまって……」
祥は傷口を突っつくような言い方をして、楽しんでいるようだった。
私の中に不安が押し寄せてくる。そう目が見えなくなるんじゃないかってゆう不安。
私の表情から、私の抱えている不安を悟ったのか、祥はまるで猫が鼠を食べずに手元で転がして遊ぶかのように、言葉を紡いでくる。
「可愛そうにな……目が見えなくなるんてな……だがそれは俺のせいじゃない、お前がそうゆう人生を選んだんだ、後悔してないんだろう?」
祥の言葉に、私の心は断崖絶壁から落とされるような感覚に襲われる。
目が見えなくなる?
その言葉は、私の抱いていた不安を一気に現実へと落としいれ、暗闇へと引き込んでしまいそうだった。
そして途方もない悲しみに襲われる。玲の顔をもう見る事ができなくなる悲しさだった。
「まあ、これからのお前の人生を考えたら、見えない方がいいかもな」
祥は愉快そうな口調で、意味ありげな言葉を紡いで行く。
私は何も言わずに、祥の言葉の先に出てくる現実を待ち構えていた。
「総帥の命令で、お前はうちの顧客の中でもVIP待遇のお客様のオモチャになってもらう。うまく気に入ってもらえたら、金は手に入るし生きてもいられる」
祥は小さな笑い声を混ぜながら、そう話をする。
「おとなしく俺と結婚していれば、こんなめに合わずに済んだものを……総帥の機嫌を損ねてしまったのがそもそものお前の選択の間違え……だな」
祥はそういいながら私の髪の毛にやさしく触れ、梳くように撫でる。私はその手に嫌悪感を感じ、咄嗟に振り払った。空間に私の手が祥の手を叩きつける音が響き渡った。
「前にも言ったわ。あんたと結婚するくらいなら死んだ方がましだって」
私の言葉に祥がどんな表情を浮かべているのか、ぼやけた視界では把握できなかった。
「死ぬより辛い現実がお前を待ってるよ」
祥の冷ややかで私を哀れむような馬鹿にするような、そんな口調で言葉が返ってきた。
オモチャですって? ようは売春をしろとゆう事ね。
松永恭次郎の命令だって? やってくれるじゃない。
目が見えなくなる事への不安、VIP相手だか何だか知らないけど、そんなクソ親父どもの相手をしなきゃいけない事への恐怖、確かにそうゆう事への大きな不安はあったけれど、今はその事よりも強い強い怒りのほうが心の中を覆い、不安を感じさせなくしていた。
本当に何もかもがクソッタレ!
いきなり部屋のドアが開いて、男が入ってくる。
「若、時間です」
その言葉に祥は立ち上がり私から離れていく。そして静かにドアが閉められた。
私はゆっくりと起き上がってみる……体がだるくて重い。
ゆっくりとベッドの下に足をつく。立つだけの体力が自分にあるのか試したかった。ゆっくりと立ち上がる……立ち上がろうとした瞬間、バランスを大きく崩して床に倒れ込む。
視界がぼやけていて平衡感覚がつかめないのと、体力が極端に失われているように、引力に逆らって立ち上がる力が今の私には無かった。
私は床の上に倒れたまま、唇を噛み締めていた。
沙羅の母親の招待が発覚する。
今の沙羅にとっては自分の失明してしまう事実の方が、辛く悲しい現実と圧し掛かっていた。
連れて行かれた女達の運命は?
そして沙羅はこの先どうなってしまうのか?




