※ 代償5
別室に移動してから、グスティ・ファティ・スウォル、とその人物は名乗った。明人たちがいるこの国の名前はスウォルという。国名を名前に冠する彼は王族の一員だ。一人でふらふらとで歩いていい立場ではないはずだから、騒がれたくないと透を制したのだろう。
「工藤明人だ。こちらではアキトと呼ばれている」
「ではアキトと呼ぼう」
グスティがどういう立場の人間か気付いているにも関わらず、臆した様子のない明人を気に入ったらしい。にこりと笑ってフードをとった。
グスティは整った目鼻立ちはしているが、特に際立った容貌ではない。黒に近い紺色の髪と茶色の瞳は、明人から見ても地味だった。ぱっと見ではマガトのほうがよほど王子様らしい。だが立ち振る舞いや威厳は上に立つもののそれで「皇太子らしくない」とは誰も言わないし、言わせないのが分かった。年齢は二十代半ばだろう。
透から変人と聞いていただけに案外マトモなのだなと明人は安心した。
そんな彼が変人と呼ばれる所以は徹底的に顔を出さないところにあると、後に透から聞くことになる。フードをとったのは余程明人を気に入った証左だが、現時点で明人はそれを知らない。
「試合、見せてもらったよ。すごかった」
「そうか」
「あまり嬉しそうでもないね? もっと誇っていいと思うのだけど」
称賛をさらりと受け流す様子に、グスティは首を傾げた。
「当然の結果だからな」
聞きようによっては傲慢なセリフは、淡々と告げられたため嫌味さはなかった。
「俺のことはどの程度調べてきた?」
「名前と、渡り人であるということだけ。トールからは、詳しいことは本人に聞けと言われてしまったし」
「それだけで、二人で会おうとしたのか? 立場を考えろ。不用心じゃないか」
明人が呆れを隠さずに言うと、グスティはまずいものを口にしたように表情を歪めた。
「まるで私の側近のようなことを言う。第一立場云々を言うのならアキトこそ不敬じゃないか」
「今のところ、俺はこの国の人間じゃないから関係ないだろ。俺からするとあんたは透の知人でしかない」
「……」
「それとも、仰せのとおりにいたしましょうか」
恭しい言葉づかいをすると、グスティは嫌そうに顔をしかめた。
「……トールの友人として互いに接そう」
明人は内心でグスティの評価をあげる。
不敬と言われた態度は反応をみるためにわざととったものだ。地位をふりかざしてくる相手にこちらの事情を話すつもりなどない。そんな相手は信用出来ないからだ。だからといって、己の立場から逃げてもいない。
グスティの立ち振る舞いは立派なものだし、そうでなくてもやろうと思えば敬う素振りは可能だ。伊達に干支一周以上会社勤めをしていない。
ただ、心からの態度でなければグスティはすぐに見破っただろう。皇太子という立場は、望むと望まざるに関わらず様々な人間と相対する。それを長年みてきた相手に本心を悟られない態度が可能かと言われるとさすがに微妙だった。
であれば。態度は取り繕わない方が良い。明人がグスティを見定めているのと同時に彼も明人を評価しているはずだから。
グスティを評価する決め手になったのは、透を友人と言ったことだった。
一緒に大会にでて行動をするなかで、明人は透を年の離れた弟のように感じていた。
「まあいい。軽く自己紹介させてもらうと、俺は透と同じ世界の、少し未来からきた」
高校生がアラフォーになるまでの年数を少しと言っていいのかは微妙だが、歴史的観点からみると、ほんの一瞬だから構わないだろうと結論づける。
「……少し、未来?」
明人が見せた餌に、案の定グスティはくいつく。
「さっき優勝は当然の結果だと言っただろう? それは元の世界で俺も透たちと同じ競技をしていたからだ。経験年数が違うから、多少身体能力が劣っていても負けるほどではない。ましてや透がしっかり守っていたから、俺は得点するだけでよかったし」
気づかない素振りで、明人は話を続けた。じらす事で会話の主導権をとる。
「というか、こっちで透と知り合ったのは、その競技を通じた縁だったからな」
「少し未来といったな。つまり、アキトは知っているのか」
「高木大介がどうなったかを?」
あまりじらしすぎても相手の怒りをかうだけなので、ほどほどで本題にはいる。
「ああ、ディはそういう名前だったな」
やはり日本の名前は発音しづらいようだ。
「それで、」
「知ってるよ。透にも言ったけど、日本に戻って競技を続けてる」
あっさりと告げる。既に透に話した以上、話さずにいる選択肢はなかった。話すタイミングだけはコントロールしたが。
「無事だったのだな!?」
グスティは喜色を隠そうとしない表情で身を乗り出す。その様子は演技にはとてもみえなかった。
「おそらく。というのは、直接の知り合いではないから、推測しか出来ないからだ。ただ、何事もなかったように競技を続けていたので、無事だったはずだ」
「そうか。良かった」
グスティは深いため息をついて、椅子に体を預ける。
「ただ、俺たちの世界では透はいなかったことになっている。俺もしばらくは透のことを思い出せなかった。記憶に妙な補正がかかっているらしい」
「……」
明人が淡々と告げた内容に、グスティは体をこわばらせる。
「高木が透のことを覚えているかどうかは分からない」
「……そうか」
ぼんやりと、グスティは呟いた。
「私が、ディとトールから奪ったのだな」
「方法を提示したのがお前で、選んだのが高木。受け入れたのが透だ。誰にも責任がないとは言わないが、誰か一人だけの責任でもない。わかっているだろう?」
「……ああ」
「だったら、透が困っているときに助けてやればいいじゃないか。……今みたいに」
グスティは拗ねたように唇をとがらせた。
「先ほど、すべては私の掌の上とかずいぶん悪人なように言われていたよね?」
「事実だろ」
「こんな立場にいると、感情すら利用しちゃうんだよ」
投げやりな表情をみて、グスティが透を友人と呼ぶのは、純粋なこの国の生まれではないからかもしれないと明人は思った。異世界という、世界の枠組みの外からやってきた存在だから、立場の垣根をこえても周囲から大目にみられたのだろう。
明人は彼らが三人でいた時を知らないが、透の物怖じしない明るい性格や、高木の傍若無人な振る舞いがグスティに新鮮だったのは想像が出来た。彼ら二人の元々の性格に加えて、当時高校生という若さゆえに可能だったことだ。今の明人には無理だし、挑戦する気もない。
「目的と手段を混合しなければ問題ないだろ」
「そうだね。それで、アキトの目的は?」
意外なほどストレートにグスティは問うた。
「アキトの目的のために、私は利用価値があるのだろう? いいよ。聞いてあげる」
うっすらと明人は笑む。
これまでのやりとりで、明人はグスティに賭けていいと判断していた。
地位もあり、確認していないが恐らく権力も財力もあるだろう。それらは何かあったときに役立つはずだ。そして渡り人に詳しく、人間としても悪くない。高木の無事を喜ぶ気持ちも、透を友人と言うのも、嘘ではないようだ。賭ける相手としてはこれ以上の人材はいない。
そんなグスティを利用しようとすりよる人間は数多く、簡単に思うとおりになど動いてくれないのは分かっている。だから相手から聞くと言ったのは大きい。
「俺と一緒にこの世界にやってきた者がいる」
「ほう。アキトもトール達と同じで、複数人でやってきた渡り人だったのか」
「正確に言うと、違うな。俺が一緒にやってきたのは招き人だ。そして、その招き人は俺の妻でもある」
招き人は孤独な人間であると言われている。
だから、明人の言葉がありえないのがグスティは分かったのだろう。表情が驚愕に染まる。
「ありえない、とは何度か聞いた。だが現実に俺という実例がある。ありえてしまってるんだ。その俺の望みは、招き人を、招き人でなくすることだ。すなわち招き人独自の力をなくすこと。興味はないか?」
グスティは絶句した。




