※ 代償2
翌日、南野は約束の時間より前に到着した。
明人がそれを知っているのは、もっと早くについていたからだ。
「早いじゃん」
「考えたいことがあったから」
南野は「ふぅん」と呟きながら隣に腰掛けた。
「昨日は言わなかったが、俺も一人で来たわけじゃないんだ。嫁と二人できた」
「へ!? 結婚してんの!? あ、でももう中身オッサンだからおかしくないのか」
ストレートにオッサンと言われて、明人はこっそり傷ついた。
「そして嫁は招き人だと言われている」
「え、でもそれおかしいだろ。皇太子サマが言ってたけど、招き人は家族がいない人だって」
「こっちに来てから必死で落としたんだよ」
「偶然一緒にきた感じ?」
「まさか。長年片思いしてた相手を俺が追いかけてきたんだよ。って、それはどうでもいい。話を元に戻すぞ」
南野が『世界をこえるストーカー? え、それ怖くね?』と呟いたのは意図的に無視をした。そう言われてもおかしくない言動をしている自覚はあるが、認めたくはなかったからだ。
「高木が帰った方法の応用で、どうにか二人で帰れないかと考えてた」
「あー元の話って先にきて考えてた内容か。ごめん、それどうでもよかった」
「……年長者としてアドバイスするが、素直が美徳になるのは若いうちだけだからな」
はいはい、と若者らしく受け流された明人は、どれだけ体が若くなろうと精神はかわらないのだなと実感した。つまり「最近の若者は」と思ってしまった。
「むしろ工藤と工藤嫁の経緯のほうが気になってる」
「もっと気になる話をしてやろうか」
「えー、何?」
おまえは休み時間に恋愛話に興じる女子高生か、というノリの南野はスルーしておく。
「あの年の、大会の結果とか」
南野の表情から感情がすとんとぬけ落ちた。
「お前のことはすまないが記憶にない。でも俺が高木のいる高校と対戦したのは一度きりだ。だから、お前が最後の試合と言ったのは、あの大会しかないんだ」
どれだけ記憶を辿っても、南野のことは思い出せなかった。だが会話の内容からいつ対戦したのかは絞り込めた。
「……なあ、うち来ない?」
立ち上がりながら南野は問うた。
「うん。その話、すっげー気になる。でも外で聞く勇気ないんだよ。頼む」
「いいよ」
「あー、でもさー、俺のこと覚えてないってマジで? 結構インパクトある活躍したんだけどなぁ」
聞きたい。でも聞くのが怖い。だから遠回しに話をふる。
明人には南野の心境がよく分かった。
「ポジションはどこだったんだ?」
南野の家(集合住宅の一室だから正しくは部屋だが)は広場からさほど離れていない場所にあった。
そこに座ってと示された椅子に腰掛けてから、ざっと室内を見渡す。
「学生の一人暮らし用賃貸って感じだな」
「狭いだろ」
「そうか? 男の一人暮らしなら十分だろ。台所が充実してたって使わなければ宝の持ち腐れだし」
使い勝手のいいキッチンがあれば美弥がきてくれるかもという都合のいい妄想が、そのまま妄想で終わった明人の言葉なだけに説得力はあった。
「確かになー。あとは風呂さえあれば不自由ないんだけど、こっちの世界って魔法具があるから風呂は贅沢扱いなんだよ。当然、このレベルの部屋にはついてない」
「日本人には辛い環境だな」
「まったくだ。俺、いつか彼女と貸切露天風呂入るのが夢だったのに」
「……二十歳だろ? その年で露天風呂は年寄りくさくないか」
「でも憧れるじゃん? 良くね?」
「…………まあ否定はしない」
男二人でしみじみ頷きあったところで会話が一区切りついた。
「で、だ。俺のポジションはゴールキーパー。見たまんまだろ」
南野が提供した飲み物は道中で買ってきたものだった。冷蔵庫に相当する魔法具は高価なので普及していないそうだ。基本はその日必要なものを買うスタンスだと南野は説明した。
「え?」
「思い出さないかー。工藤のシュートもとめたんだけどなぁ」
「……いや、あの高校のキーパーはもっと線の細い……」
ゴールキーパーはサッカーにおいて特殊なポジションである。脚を使う競技のなかで唯一手を使うことが許されており、着用するユニフォームも区別されている。つまり覚えやすい。
いくらインパクトの強い試合だったとはいえ、二十年近く昔の話だ。明人が覚えているのはその後の活躍が気になっていた高木と、ポジション柄覚えやすいゴールキーパーぐらいしかいなかった。さすがに名前は覚えていないが、体型が南野とは違うことは断言できた。
「は? 俺より細いんだったら天野ってやつがうちにはいるけど、対戦したのは正ゴールキーパーの俺だぞ」
「そんな名前だったかな?」
「違うって。俺だよ」
「だが……いや、待てよ……?」
明人は深く考え込む。
どうにも拭いきれない違和感があった。
「…………おかしい」
「覚え間違いだろ」
「違う。そうだけどそうじゃない」
ではなんだと、南野は苛立つ。
「訳わかんねーよ。俺が覚えてることを言ってやろうか。一度、そっちの決定機があったんだ。工藤のパスからフォワードが裏に抜けてネットを揺らした。判定はオフサイド。でもあれはオンサイドだった。オフサイドじゃない。判定に助けられたけど、うちはしてやられたんだ」
そういえばそんな事があったかもしれない。
「あとは、工藤のシュートを何本か俺が止めたけど、うち一つはお前、打った瞬間入ったと思っただろ。まあコースもスピードもいいシュートだった。でも俺がとめてすげー驚いてた。キーパー冥利につきる顔に、思わずこっちが笑いそうになったぜ」
ねじれた記憶が不意にまっすぐになる。おぼろげな記憶が鮮明になり、映像がいれかわった。
「……笑いそう、じゃなくて実際笑ってただろ」
「そうかもな?」
明人が呟くと、南野は首を傾げた。
「思い出した。というか、記憶が戻った。なんで俺は違う奴と対戦していたと思いこんでいたんだ……?」
今となっては、何故と首を傾げたくなるぐらいだ。
どこに打っても止められそうな威圧感はこの体から感じていた。
「だからお前の覚え間違いじゃないのか。そっちからしたら随分昔の話なんだろ」
ようやく思い出したか手間のかかる、と南野の表情は告げていた。
「……お前は試合に出ていたんだよな?」
南野の発言はスルーして、明人は問いかける。
「もちろん」
「でも、うちとの試合の後、日本からいなくなった」
「……ああ」
「おかしいんだ。それならニュースになっていてもおかしくない。一切何も話が出ないはずがない」
「……」
「だが何事もなかったように大会は続いたし、そっちの高校は勝ち上がっていった」
どういうことだ、と南野は呟いた。
だが二人とも同じ結論を導き出していた。
「最初からいない扱いにされている? 俺はこっちでお前に会ったから思い出したけど、それまでは名前も顔も一切記憶になかった」
言葉にしたのは明人だった。
その後、二人とも言葉を失った。
南野の話だが、同じことは明人にも美弥にも当てはまるだけに他人事ではない。
「……な、んだよ、それっ」
掠れた声で南野は叫ぶ。
「俺はいたんだぞ。一緒に練習して、戦って、ピッチの外では馬鹿みたいに騒いだり!」
コップを机にたたきつける。中身が入っていたので、机にこぼれたが誰も気にしない。それどころではなかった。
「それが無かった事にだなんて……そんな話、あるかよ! それがあの時怖がった代償なのか。誰がそんなこと望んだんだよ! 俺だって日本でサッカーを続けたかったのに!」
慟哭だった。
荒々しい感情の波をうけて、明人の記憶が揺さぶられた。
「……だが無意識では覚えていたのかもしれない」
「どういうことだ」
「お前の高校は準決勝で敗れた。得点のないままPK戦までもつれた結果だったけど……不思議だったんだ。天野、だったか? あいつは全国レベルでは普通のキーパーだった。だけど途中からは高木すらPK戦を誘うような戦い方をしていた」
攻撃的な戦い方をするチームだっただけに違和感があったのを思い出す。
「おかしいな。天野はPK戦そんなにうまくないぞ」
「お前、PKストップに自信は?」
「あった」
即答だった。
「であれば。単なる推測だが無意識のうちにお前と一緒に戦ってたんじゃないか。お前が守っているのが当然だったから、集中して戦っているうちにゴールマウスに立つのは南野のつもりでいた。南野だからPK戦に勝機を見出せると考えたからの戦い方であれば納得できる」
「……っ」
「もう一つ。高木は高校を卒業してからプロになった。口癖は『俺は活躍しなくてはいけない』だったんだ。自分のためでもファンのためでもない、誰かのために活躍しなくてはと繰り返していた。誰かって、お前だろ。日本に帰る力になったお前のためにもって駆り立てられていたんじゃないか」
ああ……と、南野はため息をついた。今にも泣きそうな表情で。
「じゃあ大介は無事に帰れたんだ」
「そのようだな」
こちらで過ごした時間はなかったかのように、おそらく事故があった前後の時間帯に日本に戻ったのだろう。
試合をしてから二年後の南野と、干支一周以上の年数を経た明人の二人がこうして会っている以上時間軸についてはどうなっていても不思議ではない。
「……あの、何様俺様大介様なアイツが、そんなこと言ってんのか」
そこまで言われる高木は、仲間内ではいったいどのような性格だったのか。しょせんメディアを通してでしか知らない明人には知る由もない。確かにプレースタイルは王様タイプだったが。
「なあ……俺、おかしいのかな」
涙声で南野は呟いた。
「何が?」
「今の話を聞いて、もういいやって思えてた。忘れられたのに。おかしいよな。むしろもう完全に忘れていい、背負わなくていいって言ってやりたい」
無意識下でも覚えていてくれた。
それで充分だと南野は言う。これ以上は自分のために生きてほしいんだと。
どちらにとっても辛かっただろうと言った明人の昨日の言葉がようやく腑に落ちた。
犠牲にした、あるいはされたと思う辛さ。それを忘れられない辛さと、覚えていないのに完全に忘れられもしない辛さ。結局のところ、同じものを二人は共有しているのだ。
「おかしくなんてない。そう思える南野を、俺は尊敬する」
「俺、昨日から工藤に泣かされてばっかりだ」
ひとしきり泣いて落ち着いたのだろう。照れくさそうに南野は言った。
「そこだけ聞くと俺が酷い奴みたいじゃないか」
「感謝してるよ。なんか、ここで生きていこうって踏ん切りがついた。俺が引きずってたら、大介だって自由になれない気がするんだ」
気にかかっていたことが解消されたようだ。
未練、諦念、羨望、嫉妬、そういった負の感情を振り切った清々しい表情だった。
「ホントにありがとう」
深々と頭を下げられて、明人は苦笑した。
割合あっさりと振り切れたのは、南野が元々陽性の性格をしていたからだろう。明人はほんの少し手助けをしただけだ。どのような話であれ、聞く側の意識の持ち方次第では全く意味がないものになるのだから。
「俺にとっても有益な話だったから、お互い様だ。気にするな」
南野の肩を軽く叩いた。
こちらに来たことで日本ではどのような扱いになるのか。そして帰った実績など、興味深いの一言では言い表せないぐらいの情報だ。
「工藤はこれからどうするんだ」
「……嫁と二人で帰る方法を探す。それが無理ならこっちで落ち着いて暮らせるように、かな。正直なところ、あいつと二人で暮らせるなら日本でもここでも、どっちだって構わない」
「……へぇ……」
問われるままに答えると、南野は少し引いた。
日本にいたころ、明人に美弥関連の話をふるのはある程度免疫のある相手ばかりだった。こちらに来てから会ったシェイラとマガトはこれが明人たちの世界では普通だったと思っている節がある。
しかし南野は日本人の感性があり、明人の美弥への執着に免疫がない。
「なんつーか……重症だな」
「よく言われる」
明人の優先順位は単純だ。美弥が一番。ついで両親。親友と呼べる友人たちもいるが、彼らにだって家庭があり唯一無二の存在ではない。
両親へは、こちらにくるきっかけとなった事故の際にありったけの謝罪をしたのである意味吹っ切れてもいた。だから、とにかく美弥だけなのだ。
「そっか……よく言われるのか……」




