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いつもありがとうございます。

最初の街についた辺りからの明人視点です。

「なあ、あんた、工藤だろ」

 そう声をかけられた瞬間、明人は珍しくも「は?」と呆けた。

 街中を歩いていて、声がかかる。それ自体は多くはないが珍しくもない。

 ……ただし日本であれば。

 だがここは異世界だ。誰にも名乗った記憶のない名字を呼ばれるなど、ひとかけらも予想していなかったので、咄嗟に反応が出来なかった。

「あれ? 違った?」

 声をかけたのは『今の』明人より少し年上の、日本でいえば大学生ぐらいの青年だ。がっしりとした体躯は実用的な筋肉がついていて好ましい。どこか幼さの残る顔立ちが愛嬌となって、決して美形ではないが好青年として多くの人に愛される人物だと分かる。

 見覚えは、ない。

 ないのだが、懐かしさを覚えるのは顔立ちのせいだろう。この世界は中世ヨーロッパに近いからか、街にいる人の多くがヨーロッパ系の顔立ちをしている。そのなかで日本人に近い容貌の青年をみるとホっとするのだ。

 青年は歩いていた明人をひきとめるため、左腕をつかんでいる。

「……誰だ」

 警戒心だけを優先すれば「人違いだ」といって去るのが得策だ。掴まれているといってもさほど力はこめられていないので簡単に振りほどける。

 だが、何故名字を知っているのかという疑問をとった。

 仮に美弥が一緒であれば安心を最優先としたのだが、青年にとっては幸いなことに今は一人だった。

 美弥は宿で寝込んでおり、傍についているシェイラに部屋を追い出されたところだった。一人ですることもないのでマガトに声をかけてから、街中を散策していたのだ。やはり直接自分の足で確認したほうが納得がいく。

 街の作り方、生活する人の様子など。実感しておきたいことはたくさんあった。裏道に入った場合はともかく、大通りを歩く分にはそう治安も悪くないようだ。食事情も気になったが、今の明人は一文無しだったので確認は出来なかった。屋台からは美味しそうな匂いが漂ってくるのが惜しい。

「ああ、俺の事覚えてないか。ま、しょうがないよなー。俺サッカー部であんたの高校と対戦したんだよ。あんたにとってはたくさんある試合の一つでも、俺にとっては最後の試合だったから忘れられなくて」

 青年はへらりと笑いながらもどこか泣きそうな表情だった。

「……高校、」

 まさかこの世界で聞くとは思わなかった単語だ。

「うん。あんたの高校ってさ、」

 青年が告げた学校名は、確かに明人と美弥が通っていた高校の名前だった。

 サッカー部というのなら明人が覚えていなくても仕方はない。なにせ二十年とまではいかないが、わりと近い年数を経ている。

 明人と青年の実年齢差が大きく離れていることは今は考えないことにした。疑問点ばかりなので一時棚上げだ。

「とりあえず日本人ってことは分かった」

「そこから!?」

「こんなところで、日本人に……それも俺を知ってるやつに会うなんて普通思わないだろ」

 遠まわしに自分が『工藤』であることを認めると、青年は嬉しそうに笑った。

「それもそっか。なあ今って話す時間ある? せっかく『こんなところで』会ったんだから、ちょっと時間くれよ。あ、俺、南野透な」

 名前に聞き覚えはなかった。

 南野と話す時に微妙に違和感を覚えていた明人だったが、その原因に思い至った。

 見かけは十代の明人だが、中身は三十半ばだ。南野はこちらのことを知っているようだが、意識的には初対面の相手にタメ口で話されるのが違和感の原因だ。それがいいとか悪いではなく、慣れないのだ。

 だが仕方ないと気持ちを切り替える。何せ今の明人の外見は、南野と同じか少し年下でしかないのだから。

「それは構わないが、今の俺は一文無しだから金のかからないところで頼む」

「了解」

 南野は笑顔で頷いた。




「いつこっちに来たんだ?」

 南野が案内をしたのは、広場の一角の木陰にあるベンチだった。「これは奢り」といって屋台で買った飲み物を手渡されたので礼をいってありがたく受け取る。

「少し前。まだ一カ月も経ってないな」

「へぇ。俺はもう二年ここで過ごしてるよ。今どうしてるんだ? 誰かの保護を受けて……るんだよな?」

「……まあ一応」

 素直に保護と受け取れないのは、明人のせいだけではないだろう。

「訳あり? じゃあさ、俺の話聞いてくれよ」

 言葉を濁す明人を南野は追及しなかった。

「俺っていうか俺たちさ、試合が終わった後宿舎に戻るバスが事故ったんだ」

「え? ちょっと待った。たち、って複数形? それに試合って」

「まあ最後まで聞けよ。でさ、バス二台で移動してたんだけど、事故ったのは俺が乗ってた……メンバー入りする奴らが乗っていたほうのバスで。でも全員がこっちに来たんじゃなくて、俺とあともう一人、高木大介ってやつなんだけど、大介と俺だけがきたんだ。渡り人って単語は聞いてる? うん、それ」

「高木大介って……」

 こちらの名前には聞き覚えがあった。

 明人の高校が一度だけ全国大会に出場した際、大量失点をして負けた対戦相手のエースだった選手だ。国体は高校単位ではなく県選抜メンバーでチームが組まれるので明人は二年時と三年時に選ばれたことはあるが、チームで全国に進んだのは一度だけなので覚えている。そして、高校を卒業してからの高木大介はJリーガーとなってそれなりに活躍もしていた。日本代表でもない選手だが、一度対戦したことがある縁から、結果は気になる選手だった。

 つまり、明人が日本にいた時に、高木も日本にいたのだ。南野の話と食い違いがある。

「あれ? 大介のことは覚えてんの? まあいいや。後で聞かせてよ。俺たちは運がいいのか悪いのか、この国の王宮に出ちゃってさぁ。まあ大騒ぎよ。でもここの人は渡り人に免疫あるから、なんとかお咎めなしですんだ。それどころか皇太子サマが俺たちに興味をもって、オトモダチ状態になってさ」

「いやそれ無理があるだろ」

「俺たちもそう思った。でも大きな声ではいえないけれど、皇太子サマは変人だったから」

「……」

「変人だけど悪い奴じゃなかったし、打算だけど権力者と親しくなれば融通もきかせてもらえるだろってことで世話になって。この世界のことを色々教えてもらって、俺たちはサッカーを教えて。ただ、打算があったのはお互い様だったんだよ」

 南野の声のトーンが陰をおびた。

「ある日、実験台にならないかって言われた」

 その実験が惨いものだったのかと思えばそうではないと返された。

「渡り人って、死にそうな時にその衝撃を逃がすために、違う世界にとんでいっちゃうことなんだって。世界を箱で、人はピンポン玉で考えると分かりやすいかな。箱のなかにピンポン玉を投げ入れたらどうなる?」

「あちこちにぶつかっては跳ね返るのを繰り返すだろうな。蓋があいていたらそこから飛び出る」

「あ、蓋は空いてない状態。ちゃんと閉じられてるから本来は他の箱からピンポン球はとんでこないんだけど、何かのはずみで入っちゃったんだよ。だから、最初は跳ね返って、いずれその力も落ち着く。で、あいつは跳ね返る力を、この世界に反発する力だと言った。うっかり事故でやってきたものの、馴染んでないから反発するんだと。どれぐらいで反発力がなくなるかは人によるけれど、三か月ぐらいはもつらしいな」

 裏を返せば三カ月で人は新しい世界に馴染むと言うことだ。心はともかく、体は。

「実験っていうのは、一人の反発力をもう一人に渡して方向性を持たせたら、元の世界に戻れるんじゃないかってやつで。具体的な方法は聞いてもよく分からないから聞くなよ。俺たちに分かったのは、一人がここに残れば、もう一人は帰れるかもしれないってことだった。ただし反発力があるうちだから結論を出すまでの時間に制限はある。その時にはこっちにきて二ヶ月は過ぎていたから考える時間はほとんどなかった」

「そんな方法、信憑性ないだろ」

「ああ、ない。これっぽっちも、ない。皇太子サマ本人も『ただの仮設だ。帰したつもりで死んでいる可能性だってある』とか言ってたしな。机上の空論すぎて笑えるぐらいだ」

 そもそも元の世界に帰る、という事自体、こちらの世界からでは確認がとれないのだ。

 こちらの世界からいなくなった、イコール日本に帰ったと判断は出来ない。

「使う力が、同じ世界から来たもので帰りたがっているから、自然とそっちに向かうんじゃないかって理屈だからなぁ」

 南野は空を見上げた。まるで空の向こうが日本につながっているように。

「俺は信じなかった。怖かった。大介は信じた。万に一つの可能性であっても帰りたいって言ったんだ」

「……その実験とやらをしたのか」

 南野は小さく頷いた。

「大介ってさ。超俺様タイプなんだよ。ありがちじゃん? チームのエースは私生活でも王様タイプ」

「なんとなく想像はつく」

 インタビューの受け答えなどを思い出しても、謙虚とは縁のない性格をしていたような記憶がある。

「その大介がさ。土下座して頼むんだよ。もし透が帰らないのなら、自分を帰してくれって。だから、このまま二人でここに残ろうなんて言えなかった」

 二人の間に沈黙が落ちた。

 南野はこの話をしたかったのだろう。だが相手が誰でもいいわけじゃない。

 明人はうってつけだったのだ。同じ日本人で、話題の人物のことを多少なりとも知っていて。そして、他人。

 語る相手としてこれ以上ない条件がそろっている。

「そうか」

 だから、これ以外の言葉はでなかった。

「……あんたも置いていかれた俺が可哀想って思うか? それとも大介を愚か者だと思うか?」

「どちらも思わない。南野と高木、どちらの決断も辛かっただろうなぐらいか」

「……どちらも、辛い?」

「そういうものだろ。残していく側も、残される側も、何も思わない訳じゃない」

 南野は安易な慰めを欲してはいない。本心からの言葉でないと届かない。明人は告げたいことを整理しながらゆっくり口を開く。

「傍から見れば、南野を犠牲にして高木は日本に戻った。この見方がすべてではないけれど、完全に間違ってもいない。だから辛いんだ。南野は自分を被害者にして哀れまれたくなんてないんだろう? でも自分が犠牲になったと、一瞬たりとも思わないことはできない。同時に高木を馬鹿にされるのも我慢がならないんじゃないか」

「ああ……全部、その通りだ」

「南野の考えは健全だ。自分を哀れむのは簡単だけど、あとは自分が可哀想の穴から抜けられなくなる。よく踏みとどまったな。それに仲間を心配するのは当然だ。お前は何も悪くない。」

 南野の方は向かず、淡々と明人は話す。今は南野の顔を見てはいけないと思ったからだ。

 すん、と鼻をすする音が聞こえてきたので、明人の判断は間違いではなかったようだ。

「……あんた、恐ろしい男だな」

「いきなりなんだ」

「なんつーの? 無駄に包容力があるっつーか人生達観してるっつーか……先生に人生相談してる気持ちになるんだけど。無駄にイケメンだし」

「当たり前だ。こう見えて、俺は三十半ばだぞ。南野の倍近い人生経験があるんだ。それに達観なんてしてないし無駄ってなんだ、二回も言うな」

「はああ!? どんだけ若作り!?」

「違う。こっちにきたときに若返ったんだ」

 もう大丈夫だろうと、南野を見ると、目を丸くして驚いていた。

「え、何それ。初めて聞いた」

「そうなのか?」

「俺が知らないだけかもしれないけどさー。へー、そんなことあるんだ」

 感傷は、驚愕が吹き飛ばしたらしい。

 それでいいと、明人は思う。若い感性なのだから、柔軟に前を向いたほうがいい。後ほど一人になってから、思い返せばいいのだ。何しろここは往来で、人目がある。

「あるらしいな」

「なんか変な感じ。見た目は俺と同じぐらいで、中身は年上? でも日本では同い年だったんだよなぁ。先輩扱いしたほうがいい?」

 まずその確認が出るあたり、体育会系部活出身者らしい。

「いらない。見た目でいうならむしろ高三な俺のほうが年下だからな。お互いそこは気にしないでいこう。それはそうと聞いていいか。渡り人の他に招き人ってのもあるのを知っているか?」

「りょーかい。招き人ねぇ。知ってるけど。何、もしかしてそれなの?」

「いいや。違う」

 それはよかったと、南野は屈託なく笑った。

 違うのは明人だから嘘はついていないが、明人にも同行者、つまり美弥がいて、美弥が招き人らしい事は話していない。

「どう聞いたか知らないけど、俺たち、あんなのじゃなくてよかったよ」

「……南野の知ってることを教えてくれないか。何せ来たばかりで右も左もわからない状況なんだ。この世界のことを聞けば教えてくれる相手はいるけれど、同じ日本人の視点で見たこの世界を教えてほしい」

「ああ、いいよ。まずは渡り人と、それから招き人についてだよな」



 昼の終わりを告げる鐘の音を聞いて、文字通り南野は飛び上がった。

「やっべ。午後の仕事始まる」

「引き留めて悪かったな」

 内心の動揺を押さえて明人は言った。

「明日もこの街にいるか?」

「ああ」

「じゃあ今日の続きは、明日な。ここに昼の鐘がなったぐらいで。明日は仕事休みだからもっと長時間大丈夫だから!」

 明人の返事を聞かず、南野は走り去った。

 一人残された明人は南野から聞いた招き人についてを思い返す。


『祝福だなんだって素晴らしい事のように言うけどさぁ。実態はあれだろ。操り人形』


『好きになるものとか決められてるっていうか、好きになっていいものしか周りにおかれないらしいぜ。どれだけ豪華な生活であっても俺はそんな不自由なの御免だよ』


『開き直ってそれでのしあがってやるぜぐらいのメンタル持ってるか、自分で物事決められなくて誰かに依存しなきゃ生きていけない奴ならいいんだろうけどさぁ。でもマイナス発言したら相手が不幸になるとか、目覚め悪いし』


『ほんっと、同じこっちにやってくるのでも、あれでなくてよかったよ。そう思うだろ?』



 爪がくいこんで血がでるほど強く、拳を握りしめた。



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