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◇◆◇◆ 7-6
「悪かった」
落ち着いたのは、どれだけ経過した後だっただろうか。多分だけど、一時間は過ぎていたんじゃないだろうか。
入り口でただ口付けて抱きしめあうだけで、だ。もちろん最後までなんてしていないし、衣服の乱れすらない。そこまでの余裕がなかったのだ。
「なにが?」
ソファで(腰がくだけて立ち続けられないとか、どれだけ……。入口からソファまでは明人に抱っこされて運ばれたのは恥ずかしかったです)明人にもたれかかる。
「来る途中、素っ気なかっただろ。さすがに人目があるところでなにも出来ないから、とにかく部屋へ、二人きりになれるところへって気がせいてたんだ」
ああ、なんだ。そんな理由だったのか。
「拗ねてたのは分かってたんだけどな」
「だって、アキはずっと余裕たっぷりで。私だけ一人で盛り上がってるみたいで……」
「見栄っつーか、意地? くだらなくても、張らなきゃいけない時が男にはあるんだよ。特にあそこは俺にとってはアウェー……敵地だったからな」
私は一カ月近く暮らした場所だったので馴染んでいたけれど、明人はそうじゃない。イルクートの尻尾を捕まえて、私を引き取って……と、すべき事が盛りだくさんだったので感情のまま動けなかったと言う。
「一人好き勝手にやっててごめんなさい……」
「いや、あれで落ち着けた。美弥はちゃんと美弥なんだなって実感出来たから助かったよ」
ちゃんと私って何よ。
「ばか」
くすりと笑って言えば、髪を軽くひっぱられた。
「男なんて馬鹿な生き物なんだよ」
改めるつもりはかけらも見あたらない。
ほんとに馬鹿だ。でも、好き。
「一ヶ月、なにやってた?」
「勉強とか本を読んだり……団長さんやシェイラがきてお話したり、かな。基本は引きこもり」
「……」
「なんで不機嫌になるのよ。何かすべきことでもあった?」
「シェイラはともかく、あの男とも?」
なんだ、嫉妬か。
くすぐったい気持ちになったので、笑ったら、拗ねられた。
「必ず他に誰かいたから大丈夫よ。団長さんは、保護者ポジションだったから明人が心配するような何かなんて起きようがないから」
「お前の力が欲しくて色仕掛けとかありそうな流れじゃないか」
「漫画や小説みたいね。でもアキみたいな物好きはそうそういないわよ。義務で誘われたって嬉しくないわ。確かに団長さんに私を明け渡さないかとは言われたけれど、恋愛沙汰じゃなくて、保護だったし」
「……あぁ?」
だから安心して、というつもりで言った内容は逆効果だったようだ。一気に明人の機嫌が悪くなる。
物好き発言が駄目だったのだろうか。
「そ、それよりも、アキの方は? 引きこもりの私と違って随分波乱万丈な一カ月だったみたいじゃない」
慌てて話をかえると、明人の表情があらたまった。
「ああ……そうだな。長くなるけど聞いてくれるか。そのうえで判断してほしいんだ」
判断?
私が首を傾げるのを横目に、明人は水差しからコップに水をついできた。ちゃんと二人分。
「美弥が一人で日本に帰るか、二人でここに残るかを選んでほしい」
「え……」
最初、何を言われたのか分からなかった。
「何、言って……二人のほうに決まって」
「決まってない。美弥の人生だ。その場の勢いで決めていいことじゃない。ちゃんと考えるんだ。そろそろ墓参りの時期だろう? ここに残る選択をしたら、もう二度と帰れない。おじさんたちの思い出は俺が預かっている鍵ぐらいしかここにはない。残った場合、ここには俺しかない。帰ったら俺以外の全部がある。美弥が自分で考えろ」
ふつふつと、お腹の奥から沸き上がってくる感情は、怒りだ。
「馬鹿にしないでよ! 私がこれまで何も考えてないとでも思ってるの!? 確かに流されて生きてきた自覚はあるけれど、でも……ひどい!」
まさか明人からこんな酷い事を言われるなんて思ってもみなかった。
一カ月会わなかっただけで、人目を忘れてあんなに号泣したばかりなのにもう忘れたというのか。
「私が帰るって選んだら、アキはそれでいいの? アキの今後に私なんていなくていいのね!? ……っ」
乱暴な動作でソファに押し倒された。左手で肩を抑えつけられただけで、動けなくなる。
「いいわけないだろ」
低い、怒りを抑えた声と表情。その迫力にのまれた。
指一本すら動かせない私の頬から喉に触れる手は、怒りのせいかいつもより冷たい。
「出来るなら、どこか他の奴の目に触れない場所に監禁したいぐらいなのに」
いきなりの犯罪発言!?
「首輪でもつけて鎖で繋ごうか。食事も着替えも、身の回りのことは俺が全部世話してやるよ。美弥の視界に入るのも、会話をするのも全部俺だけにして、俺なしでは生きられないようにすれば、少しは安心出来るかもな」
いやいやいや、いきなり何を言い出すの!? 落ち着きましょう。ね?
ドン引きしすぎて固まる私を見て、明人はふっと笑った。
「やらないよ」
頭をぽんと軽く叩いてから、立ち上がった。
「幸せにするって言っただろ。そんな怖がらせるようなことはしないさ」
「だったら傍にいてよ。……さすがに監禁は謹んで遠慮するけど」
さっき言われた内容は、実践されたら年齢制限コースまっしぐらだ。レディコミだろうか。それとも男性向けだろうか。明人の欲望を実現させるんだから男性向けかな。
「俺に縛りつけるのが、美弥の幸せか分からないんだ。そっちに誘導するのは簡単だけど……それじゃあ『幸せにする』が嘘になる。まがい物の、造った幸せなんかじゃ意味ないだろ」
「……馬鹿ねぇ」
そこは開き直って全力で誘導する場面でしょう。
「誘導は簡単って言うけど、例えばどうやって?」
「そうだなぁ……『美弥がいないと生きていけないから、ここで一緒に暮らして俺を幸せにしてくれ』とか?」
「ほ、他には?」
はい、幸せにします、と頷きそうになった。
明人は、ソファに押し倒された時のままの私を見下ろして、色気だだもれの表情で笑った。
「『そもそもお前、今さら俺無しの人生に満足出来ないだろ』とか」
で、出来ません……。
完全白旗状態の私を見て、明人は小さく笑った。
「まあ聞けよ。俺との恋愛だと、普通に経験することの多くを体験させてやれないんだ」
「……どんな事?」
明人の手を借りて、ソファに座り直す。
「付き合う前は名字呼びだったのが付き合い始めてから名前呼びに変わる時のくすぐったさとか」
……まあ親戚だからね。最初から名前呼びだったものね。今さら名前を呼ぶことに少しの躊躇いも照れもないのは事実だ。
「初めて相手の家にあがる時のドキドキ感とか」
瞳さんに頼まれて、明人の部屋の鍵を預かって惣菜届けたことありますね。私が一人暮らしを始める時は引越を手伝ってもくれた。男手のある作業はとても楽でした。はい。
「少しずつ相手の育ってきた背景を知っていく過程とか」
ほぼほぼ共有してますね。
「結婚を意識しはじめたら、互いの家族や親せきについても気になるよな」
私たちの親戚は、半分……お互いの父方は同じだ。そっちの親戚については、私のほうが詳しかったりする。瞳さんの方の親戚だって、なんだかんだで私も付き合いはある。
「相手の親に気に入られるか、とか」
明さんと瞳さんは私のもう一組の両親ですね。
「な? 俺だと経験させてやれないだろ」
「でもね、今さらアキじゃない人を好きになれないから、経験出来ないことに変わりはないわ」
というかね、と続けると明人は小さく首を傾げた。可愛い、といったら怒るだろうか。
「婚姻届まで出した後で選ばせることじゃないと思うんだけど。ねえ、気付いてる? アキは無意識のうちに示してるのよ。私はアキのものだって」
幸せにするよと言ったし、言われた。いつか指輪をとも言われた。百歩譲ってそのへんがプロポーズでいいだろう。それに気持ち的にはとっくに夫婦だった。
……うん。異論はないのだけれどね? 説明もなく婚姻届にサインさせられるとは思わなかった。
「あー……悪い。俺、必死すぎだよな」
その場にしゃがみこむ明人に苦笑する。
「アキの一カ月を聞かせてほしいわ。そのうえで、私は何を選べばいいのかしら?」
「俺を」
シンプルな回答だった。
「日本での全てを捨てる罪悪感も全部引き受けるから、俺を選んで」
丁度明人の目の前にあった足首を掴んで、足の甲に口づけられた時には悲鳴が出そうになった。
章タイトルの「選択」はここに繋がっていました。何故イケメンは必ずへたれるのでしょうか。




