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◇◆◇◆ 7-2
結論。明人でした。
意を決して、シェイラが開けた扉から部屋のなかに入ると、室内にいた人々の視線がこちらを向いた。
入り口手前の壁際に知らない人が立っていた。着ている服で隊長さんクラスだと分かったので便宜上隊長さんその二と呼ばせていただこう。もっともこちらの人はいつもの隊長さんと違ってきちんと着ていたので随分印象はかわる。
奥の一人掛けソファには団長さん。
そして、団長さんたちの正面である二人掛けのソファ中央に一人腰掛けているのは。
「よう。久しぶりだな」
耳に心地よい低い声。
着ている服は豪華だったけれど、見事に着こなしていて、贔屓目抜きにしてもかっこいい。
にやりと笑っているけれど、心底安堵しているのは、私にはよく分かった。
どれだけ見慣れない格好をしていても、誰であるかなんて悩む余地すらない。
「アキ!」
礼儀作法なんて頭から吹っ飛んだ。
団長さんと知らない隊長さんがいることなんて忘れた。
無我夢中で明人に駆け寄って、抱きつく。
ソファとテーブルの間がわりと広くて助かったなんてことを頭のスミで考えたのは余裕があるからじゃない。余裕がなさすぎて、どうでもいいことを考えてしまうだけだ。
ためらわずしっかりと抱きしめ返してくれる腕が、包まれる体温が、すべてが懐かしくて愛しかった。
「元気そうでよかった」
宥めるように背中を撫でる手の温かさが、一人になって張りつめていた緊張の糸を断ち切る。
「元気よ。元気にきまってるじゃない。だってアキがそうしろって言ったんだから。私は言われた通りに待っていたのになんで遅れてくるのよ。心配したじゃない。ばか」
一人で心細かった。
自分が得体のしれない何かになって怖かった。
明人が心配だった。
読書に集中している時以外は落ち着かなかった。読書は逃避だった。
でもそれらを表に出すことは出来なかった。だって、明人を信じてるって言ったから。
私はとりたてて優れたところのない、普通の、一般人だ。胸をはって自慢出来るのは「明人を信じる」ことだけ。それすら出来なくなったら、私はなんの価値もない人間になってしまう。
「ごめん」
「怪我とかしてない? 食事はちゃんと食べてる? 睡眠とれてる?」
「おまえはお袋か」
明人が苦笑した気配が伝わってきた。
「だって、心配だったのよ。心配で……怖かった。怖かったの」
明人にしがみついたまま、号泣した。
ひとしきり泣いて、落ち着いた後。
ふと思い出す。ここは明人と二人きりの場所じゃなかったと。
……うん。冷静になろうか私。
この部屋には元々、明人、団長さん、知らない隊長さんの三人がいた。そして扉をあけてくれたのはシェイラだ。他にも扉の外に何人かいた。
そして今の私は何をしてるかというと。
明人が座っていた二人掛けソファの上に乗り上げたような体勢で明人にしがみついている。
……いい年した大人のすることじゃない。
私と明人以外の人が話さないのはあっけにとられているからだろうか。
「落ち着いたか?」
さりげなく渡してくれるハンカチ(らしき布)を渡してくれるのがありがたい。鏡がないので限度はあるけれど、出来る範囲でなおす。目元をおさえるぐらいしかできないけど何もしないよりはマシだろう。
「……おかげでものすごく恥ずかしいです……」
小声で答える。
せっかくシェイラがきれいに仕上げてくれた化粧も台無しだ。
いろんな意味で、顔をあげたくない。
「じゃあしばらくこのままにしとけばいい」
そういって明人は私を膝の上にのせた。座った状態のお姫様抱っこは、もっと恥ずかしくて、明人の肩に額をおしつけて顔を隠した。
「騒がせましたが本題にはいりましょうか」
明人の話し方は少しかたい。
え、このまま話を始めるの? 私を抱きしめたまま?
「あー……その前に確認したいのだが、君はミィア殿とともに居たという渡り人か」
「そうだ。必要ならシェイラに確認してみればいい」
顔をあげられないので推測だけど、団長さんは視線でシェイラに問うたのだろう。
「えぇ。その男ですわ」
「渡り人が何故、殿下の使者をしているのだ」
明人が私を抱き締める力が少し強くなった。
「想像にお任せしますよ」
いや無理でしょ、それ。どうしたらこっちの世界にきたばかりの異邦人が皇太子なんて人とお知り合いになる経緯を想像できるのか。明人のことを知っている私にだってさっぱり分からない。……人たらしだからね、明人だからね、で納得できなくはない、が精々だ。
「それとも、ここに皇太子からの書状があり、使者であることが保証されている。それ以上の情報が必要ですか」
「純粋な疑問だよ」
書状だけでは信用できないかと問われ、そうだと答えられるはずがない。
「いずれ機会があれば話すことがあるかもしれませんがが、今ではありません」
「そうか」
団長さんは肩をすくめたんだろうな。今まで会話した経験からそんな予想がついた。
「本題とやらを聞かせてもらおう」
ふと、明人と団長さんはどちらが上の立場なんだろうかと疑問に思った。
団長さんは貴族で、明人は違う。でも明人は皇太子からの使者という位置づけで。……同じぐらい、かな。だからか二人とも相手に敬意は示してもへりくだってはいない。二人とも上に立つ人だからね。
「本題はもちろん美弥の身柄について」
穏やかとすらいえる口調で明人が告げると、場の空気がピリっとした。
「じゃあ、まずは美弥。この書類に署名してくれ」
「私?」
やはり名前を正しく呼ばれるのは嬉しい。
意を決して(というほど大げさなことでもないけれど)顔をあげる。目をそらすほどひどい顔にはなっていないと思う。……思いたい。
「こっちの文字は書けるか? 無理なら日本語でもいい。とりあえずサインしてくれ」
「ん、分かった」
今更感が半端ないけれど、明人の膝の上じゃなくて隣に座りなおす。手渡された筆記用具を使って、しめされた場所に署名をした。私の署名をする上には明人がこちらの言葉で署名したものがあったけれど、これは何だろうと確認する前に紙がうっすら発光して消えた。
「え、何?」
「必要要件がそろえば効力が発揮される魔法らしい。今回は皇太子の許可、俺たちの署名だな」
驚く私にあっさり説明した明人は「ところで」と続けた。
「俺が言うのもなんだけどさ。署名するのは書類の内容を確認してからにしような」
複雑そうに諭されてしまった。
「それについては私も使者殿に同意だ。内容は確認しなさい」
団長さんにまで言われてしまった。
「普段はもちろん確認しますけど、アキがもってきたものなら心配ありません」
「そりゃどうも」
明人には苦笑されて、団長さんには渋い顔をされた。いえ、仰りたいことは分かっていますよ。私だって普段はチェックしてからでないと怖くてサインなんて出来ません。
「ところで、あれは何の書類だったの?」
「俺とお前の婚姻届。こっちの世界ではただの自称夫婦でしかなかったからな。これで正式に名乗れるようになった」
「……そ、そう……」
あのえすね。わざわざ皇太子なんて方の許可をもらわなきゃいけないほどの事? それに『こっちの世界では』というけれど、日本ではただの従兄妹だったよね? あたかも日本では夫婦だったような言いまわしは、団長さんたちに聞かせる目的だろう。
「仕方ないだろう。今、お前はここの預かりになってるんだ。生半可な奴の許可では跳ね返される。通すだけの立場がある人数は限られてるんだ」
「確かに、その許可が殿下のものでなければ私は許さなかったよ」
「……そうなんですか」
団長さんは私の父親ポジションなの? 実年齢でいくと父親というよりは弟なんだけどなぁ。
「それで? 私はご結婚おめでとうと祝福すればいいのかな」
「残念ながらこれだけだと皇太子との契約が守れないんですよ」
二人は朗らかに会話をしている。……けどなんだか寒気が……。
「まずは美弥の所在から明確にしておきましょうか。夫である俺が妻を迎えにきた。それを妨げることは不可能だ。そこはいいですね?」
なるほど、自称ではなく、夫婦としての形式を先に整えた理由がこれか。
「……招き人の保護は我々の管轄だよ」
「皇太子の保護下にいる以上、そちらの管轄外にはならないはずだ」
「なるほど」
団長さんが不承不承頷く様子をみて、ほっとした。
明人と再会した以上一緒にいるのは私のなかでは決定事項だったけれど、一カ月の恩はある。許可なく抜け出すのは申し訳なかった。
「理解が早くて助かります」
「さきほどのミィア殿の様子を見せられたらね」
号泣したことを言われて、肩身が狭い気分になった。
「では皇太子の言葉を伝えます。『一カ月の保護の褒章として、ある実験の場に数名立ち合わせることを許可する』と」
「実験とは?」
「美弥から招き人の力を抜きとる作業です」
悠然と明人は笑みを浮かべた。




