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※ 執着3

「アキはさー。工藤美弥がからむと歪みすぎて真っ直ぐ見えるから気持ち悪い」

 明人のことをそう評したのは、部活動のチームメイトでありそれ以外でも行動をよく共にする……要するに友人の、高橋だった。小学生時代、美弥に応援されていた少年だ。中学でチームメイトになり、そのまま高校でも一緒にサッカーをしている。

 明人を「アキ」と呼び始めたのも高橋だった。いわく「試合中にアキヒトなんて長くて呼んでられない」という理由だった。それもそうかと納得したので、そのまま好きに呼ばせていたら定着した。

「なんだよそれ。あと美弥のこと、いちいちフルネームで呼ぶな」

 昼休みの屋上は、夏が近づいているこの時期、二人の貸し切り状態だ。でないと困る。気兼ねなく会話したいからやってきたのだから。

「工藤だったらアキと一緒だし、名前だけで呼ぶとおまえ怒るだろ」

「……歪んでるってなんだよ」

 そういやそうだった。気まずくなったので、明人はスルーすることにした。幸い、高橋からの追求はない。

「歪んでるのに真っ直ぐでもいいけど」

「そういう問題じゃなくて」

 どうあっても歪んでるのは譲らない高橋に、明人はため息をついた。その手は三つ目のパンに伸びている。

「今日は弁当じゃないんだな」

「ああ。たまに食べると購買のパンってうまいよな。……毎日だとあきるけど」

 明人の昼食は、唐揚げ焼きそばパン、カツサンド、ハンバーグ入りロールパンという、購買でも屈指のボリュームを誇る三品だったが、あっさりと胃におさめていく。それどころか「もう一つ買っておくんだった」と後悔する始末だ。今からいっても何も残っていないので、自販機でジュースでも買おうと決める。

 体育会系高校生男子の食欲はすさまじい。それを毎日買うなど論外だから母親の愛情弁当が作られているが、たまに今日のように用意されていない日がある。

 夢見が悪く不安定な美弥の元に瞳がいたためだが、この時点の明人はそれを知らない。早朝練習もあるのにほぼ毎日作ってくれているのだ。たまには作れない日もあるだろうと考えていた。

「両親に宣言しちゃうぐらい好きなんだろ。俺にはどこがいいか分かんないけど」

「俺だけ分かってれば十分だし」

 あ、そう。投げやりに高橋は頷いた。

「それなのにマネージャーとつきあうんだ」

 昨日から校内を席巻する話題が、高橋が明人を屋上に誘った原因だった。

 文武両道でサッカー部の主将までつとめており、校内でも有名人な明人と、一学年下のサッカー部のマネージャーの女子がつきあい始めたのは一大トピックスだった。

 もっとも、マネージャーの方は進学理由を明人がいたからと広言したりと好意を隠そうともしなかったので驚きよりも納得が上回っていたものだが。

「たとえばさ。すっげー喉乾いてて水が飲みたいとするだろ。すぐそこに水道の蛇口はあるのに、厳重に保護されてて触れないんだよ」

「うん?」

「そこに冷えたジュースが出された感じ。水が飲みたいのは知ってるけど、ジュースも美味しいですよ飲んでみたら好きになるかもしれませんしって勧められたらつい受け取らない?」

「……うわぁ」

 水が美弥で、ジュースがマネージャーだ。

「分かるけどお前それ最悪じゃねーか」

「最悪なのは認める。でも俺は水が飲みたいってちゃんと告げて、それでもって言われたんだよ」

 ごろんと横になりながら、明人は言った。

「二番目でいいって?」

「ああ。可愛い後輩だし、かなりキツイのにマネージャーの仕事を嫌な顔せずするところとか尊敬してる。いくら喉が乾いてても、興味なかったら手は出せないだろ。……出来る限りは大切にするつもり」

「そこで好きになる努力をすると言わないあたり、アキだよな」

「……出来ない事はしない」

「いつか刺されるぞ」

「かもな」

 明日は雨かもしれないぐらいにあっさりと頷かれて、高橋は頭痛を覚えた。

「お前じゃなくて、工藤美弥のほう」

「なんでだよ」

 ここに来てから一番の真剣さで睨まれて、高橋はため息をついた。

「一応隠してるから知ってる奴は少ないけど。でもアキをよく見てたらすぐ分かるから。俺でも分かったぐらいだしマネージャーもいつか気付くさ。今は二番目で納得してもそのままって訳にいかないだろ」

 そういうものかと明人は呟き、そういうものだと高橋は頷いた。

「それはどうにかして避けないとな」


 結局二人の関係は二ヶ月後に破綻した。

 マネージャーは「優しいし大切にしてくれるけど、私を求めてくれないから」と友人に語ったという。





 生二つ、と店員に注文しながら高橋は席についた。

 就職して一年が過ぎようとしているが、目の前の友人は相変わらず人の……特に女性の目をひきつけるよなと感心半分、あきれ半分の気持ちでいた。

「久しぶり。どうよ」

「相変わらず。仕事は少し慣れてきたかな」

「工藤美弥とはどうなってんの」

 前回会ったのは、大学四年生だった。当時も同じ質問をして、進展も後退もしてないと工藤明人は告げたのだった。常に一緒に行動をしていた高校時代と違い、違う大学に進学してからは会う頻度は減った。それでも気のおけない友人であることにかわりはない。

 自分から聞いておきながらもどうせ変わってないんだろうなと思う高橋に、明人はその通りのことを告げた。

「んで? 今も二番目でいいっつー女とつき合っては『貴方は私を愛してくれない』って別れを告げられてんの?」

 高校時代に始まった明人の悪癖を、高橋はそれなりに近くでみていた。なぜ、未だ明人が女性に刺されてないのかが不思議でならない。二番目でいいと言う女性全てとお付き合いしている訳ではないから、なんだかんだ言って女性を見る目があるのだろう。世の中は不公平で理不尽だ。

「今はしてない」

「へぇ」

 素直に驚いた。

「お前にだっけ? 喉が乾いて、って喩え話したの」

 運ばれたジョッキで乾杯をしてから、明人は言った。

「ああ、うん。そういやそんな話聞いたな。うわこいつサイテーって思った記憶がある」

 今も女関係だけは駄目男だと思っているがそれはさておき。

「オレンジジュースも烏龍茶も、ビールも、ウィスキーも、とにかく何であっても欲しいものじゃなかったからやめた。卒業と同時にわかれてからは誰とも付き合ってない」

「違うのは最初から分かってたことじゃね?」

「喉の乾きは癒えるって思ったんだよ」

 ばつが悪そうに明人は呟いた。

「でも駄目だった。欲しいのはこんな甘いのや苦いものじゃないって思い知るだけで」

 いやだから最初から分かってたことだよな? と言いかけて、必死でこらえた。とりあえず最後まで言い分は聞こう。

「何人かとは体の関係ももったけど、逆に塩水でも飲んでるみたいに余計に喉がかわいてきた」

 駄目だこいつ。

 高橋は一片の同情を覚えず、そう思った。世の女性はなぜこいつがいいのかサッパリ理解が出来ない。

「それに、相手にも悪いしな」

「ようやく気付いたのか。お前さ。もう工藤美弥に手出しちゃえよ。親御さんとの約束は聞いてるけど、もう一人暮らしも始めてるんだろ。約束も時効だって。我慢しすぎは体によくないぞ。最初は無理矢理でもアキなら大丈夫」

 かくなるうえは美弥に犠牲になってもらうことではないか。そのほうが世の為人の為になる。そう思わせる明人の言動だった。

 しかし返ってきたのは呆れと怒りの混じった視線だった。いやだから、俺は言うだけだけどアキはもっと駄目なことを複数の女性にしてきたんだよなと言いたい。すごく言いたい。

「するわけないだろ」

「一応理由聞いていいか?」

 凄く喉が乾いている……美弥を欲していると明人は主張する。だったら多少強引でも手にいれるよう動いてもおかしくないのに何故それをしないのかが分からない。

「美弥は俺にそういう感情持ってないから。それなのに強引にしたら、泣かすだろ。俺は美弥を泣かせたい訳じゃないんだ」

 高橋は絶句した。

 拗らせるにもほどがある。

 泣かせたくない、は真っ当な感情だ。だが真っ当すぎて逆に気持ち悪い。ここまで拗らせていて、何故真っ当なのかと頭を抱えそうになった。

「……昔さ。アキのこと歪みすぎて真っ直ぐに見えるって言ったの覚えてるか」

「覚えてるけど?」

「お前の歪み、ますます酷くなってる」

 ドン引きすると同時に、高橋はこの友人が心配になった。

「アキみたいなのをヤンデレって言うんだっけ?」

「違うだろ。俺もよくは知らないけど、あれはお前を殺して俺も死ぬ系じゃないか。泣かせたくないんだから、当てはまらないと思う」

 でも限りなく近いと思うが、友人が病んでいるのは嫌なので、違うことにしておこう。

「今後どうするんだよ。アキは諦めない、でも工藤美弥はアキに恋愛感情を持ってない、アキから行動しない。これじゃあいつまでたっても同じじゃないか。何も変わらないぞ」

「そうなんだよなぁ」

 お新香に箸をのばしながら明人はため息をついた。十代のうちは好んで食べるものではなかったが、アルコールを摂取するようになってからよく食べるようになった品の一つだ。

「俺は、多分どこかで間違えたんだよ」

 多分じゃない。絶対間違えてる。

「でも今更どうにも出来なくて、困ってる。そのうち気が狂うかもな」

 淡々と恐ろしいことを言うなと、高橋は表情をひきつらせた。俺、なんでこいつと友達続けてるんだろうとすら思えた。

「なあ、工藤美弥のどこがそんなにいい訳?」

 明人は友人の贔屓目抜きにしても、いい男だ。勉強も出来る、スポーツもこなす、頭の回転も早い。人あたりもいいし顔もいい。それなのに、美弥がからむと駄目人間になってしまうのだ。美弥には悪いが、高橋からすると、美弥がそこまでの人間と思えない。

「見てて危なっかしいんだよアイツ」

 無意識だろう。うっすら笑みを浮かべて明人は言う。偶然それを目にした近くの女性客がぽかんと見とれた。

「だから守りたいし力になりたい。お前は知らなくていいけど、あいつ笑うと可愛いんだ。なのに滅多に心から安心して笑わない。幸せになるのが怖いんだろうな」

 原因が、両親の事故であるのは高橋にも分かった。美弥とは小学校から同じだったので(といっても親しく会話をする仲ではないが、明人関連もあって無関心ではいられない相手だった)事故のことは知っている。義務教育も終えていない時期にあったその出来事が、その後の性格に影響を及ぼさないわけがない。

「怯えなくていい、世の中にはもっと楽しいこともある。怖かったら俺が傍にいて守るから大丈夫って分かってほしい。だから泣かせるようなことはしたくない」

 高橋は明人を凝視した。

「アキ。お前……」

 なんだ、と明人は返した。

「ものすごーく恥ずかしいこと言ってる自覚は?」

「……お前が聞いたんだろうが」

 そう呟く明人の耳がうっすら赤くなっていたので、恥ずかしい自覚はあるらしい。その感性が残っていることに高橋は安堵した。

 その後、二人は仕事やサッカーの話などをした。高橋が明人を呼び出した一番の理由である、大学時代からの彼女との結婚報告をすると祝福と、結婚式には呼んでくれとの言葉ももらった。

 締めでせいろ蕎麦を食べ、あがりのお茶をもらってから高橋はふと思いついた疑問を口にする。

「どこかで間違えたって言ったよな」

「ああ」

「じゃあ、仮にやり直せるとしたらどうする? 今はこのままでいるしかないけど、何年か前に戻ってやり直せても、待つ選択をするのか?」

 明人はしばし考え込んだ。

「そうしたら、待たないだろうな」



------



 二つの月を見上げながら、明人は友人との会話を思い出した。何年も前の、まだ就職して間もない頃の会話だ。

 やり直せるとしたら。

 だとすれば、もう待たない。というよりも、待てない。

 でもやり直しなんて出来るはずがないと思っていた。人生はやり直しがきかないものだ。


 けれど。

 今隣で眠る美弥も、そして自分も、若返っている。

 やり直しが出来るのだ。

 そう気付いた時の歓喜を表に出さないようにするのが大変だった。

 現状は決して楽観出来る状況ではない。むしろ命の危機すらある。

 それでも、こんな訳のわからない事態に二人で陥ったことは幸運だと明人は思う。こうして美弥も手にはいった。

 己の腕のなかで泣く美弥が、一緒にいて楽しいと笑顔で告げる美弥が、愛おしくて仕方ない。



「美弥、そろそろ交代してくれ」

 声をかけると、身じろぎしてから瞼を持ち上げた。

「んー……」

 ぼうっと辺りを見てから状況を思い出したらしい。

 あの建物をでて最初の夜は野宿になった。木の下とはいえ屋根も壁もない場所で二人とも眠るには危険があるので交代で起きていようと話し合ったのだ。

 一晩や二晩でどうにかなると分かっていれば、明人が引き受けるのだが、先が見えない状態で無理をするのは得策ではない。

 むやみやたらと負担を引き受けるのが守ることではない。それを知っているから、明人は交代で見張りをするのを受け入れた。

「おはよう……」

 寝ぼけている美弥は隙ばかりで不埒な気持ちが起きそうになる。だけど、今はまだ駄目だ。

「何かあれば、気のせいでもいいからすぐ起こしてくれ」

「ん、分かった」

 眠気をふきとばすためか、ふるふると首をふる仕草が小動物めいていて、お預け状態なのにあおるなと文句を言いたい気持ち半分、可愛いのでもっと見たいという気持ち半分になる。

「じゃあおやすみ」

 とりあえず、寝る前にいいもの見せてもらったので、いい夢がみれそうだった。



閑話はここまでです。次からは美弥視点に戻ります。

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