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◇◆◇◆ 3ー4.
「さて、と」
乱れかけた衣服をなおしながら、立ち上がる。当然、何もないです。はい。
「これからどうする?」
明人は気まずそうに視線をそらして咳払いをした。
「……裏手に小さいけれど、川があったんだ」
「それで?」
「生活するのに水は必須だ。集落は川沿いに作られることが多い。だから、川に沿って歩いていこうと思う。それなら水も調達しやすいしな」
なるほど。
そういや世界史で習う古代の四大文明も大河沿いに発展していた。
「ただ、雨でどこまで増水してるかが問題だ。地形的にそうそう氾濫したりはしないだろうけど……雨もやんだことだしちょっと見てくる」
雨、やんだのか。気づかなかったけれど、確かに雨音はとまっている。
「一緒に行くわ。大丈夫ならそのまま出発も出来るでしょ」
「……そうだな」
ところで、と明人は言葉を続けた。
「折りたたみ傘って持ってるか? 今後急に降ることもあるだろうからあるなら助かる」
「あるわよ」
あっさり頷くと、やっぱり、という顔をされた。
「鞄に折りたたみ傘常備は基本でしょ。大丈夫よ、普通の雨用のと、晴雨兼用のと二つあるから、アキの分もあるわ」
「……なんで?」
「何が?」
まじまじと見られても、何が『なんで』なのか分からない。
「晴雨兼用の一つあれば済むんじゃないのか?」
ああ、そういうこと。
「兼用だけど、やっぱり日傘として使うのがメインだから、大雨には向いてないし、レースが痛むから雨の日にはあまり使いたくないのよ」
「……それ、兼用の意味あるのか?」
うむ。なかなか鋭い指摘だ。
「日傘としか考えてないから、あまりないかもね。でも今それが役だってるんだからいいじゃない」
値段含めて気に入った日傘がたまたま晴雨兼用だっただけの話だ。
鞄から無地の折りたたみ傘を取り出して明人に手渡した。
「ほんと、おまえの鞄って無駄に色々入ってるよな」
「無駄って何よ、無駄って」
「褒めたんだよ」
「嘘よ。絶対褒めてないわ」
「あー、はいはい。俺が悪かった」
何そのおざなりな言葉!
「もう、知らない」
ぷいとそっぽを向いたら笑われた。
この男は、まったく!
増水は問題なさそうだったので、明人の提案通り、川沿いを川下に向かって歩いていく。
といっても、明人はともかく私は運動さっぱりの女なので、一時間も歩くとすぐ疲れてしまう。そのたびに明人は休憩を挟んでくれた。
歩きながら気づいたことを、明人は都度話してくれる。
日本だと北海道ぐらいでしかお目にかかれない大平原が広がっている。だから島じゃなくてある程度面積のある場所なんだろう、と。地球上でいえば大陸扱いでもおかしくない面積の可能性もある、と言われてもピンとこない。
ある時は、私がこの世界の名前は何かしらと言ったらしごく冷静に「世界に名前なんてないだろう」と返された。「元いた世界に名前なんかあったか」と言われて言葉に詰まった。日本は国の名前、地球は惑星の名前だ。宇宙も世界の名前とは言えない。けれどファンタジーのお約束なんだから、そこはあわそうよ。この堅物め、と拗ねていたら「あってもカミサマの領分だから、俺たちが知ることはないし、知らなくても生きていける」といって口づけで誤魔化された。
要するに、明人の手のひらの上で転がされていた、とも言う。
そんな道中は、決して楽ではなかったし、快適からはほど遠かった。
でも、楽しかった。
明人と二人で試行錯誤しながら、目に付いたことを話したり軽く喧嘩……というかじゃれあったりしながらの時間は、楽しかったのだ。
「やばい。楽しい」
休憩中にうっかり呟いた本音を聞き逃す明人ではなくて。
「なにが?」
「んー……こうやってアキと二人でいるのが?」
一瞬誤魔化そうかなと思ったけれど、正直に言うことにした。だって、ここは二人きりなので、バカップルな言動したところで誰かに迷惑かけるものじゃない。
「なんで疑問系なんだよ」
「なんとなく」
今は明人のリクエストで膝まくら中だ。そのご褒美として後で足をマッサージしてもらうことになっている。サッカー部仕込みのマッサージは、エロい意味じゃなくて、とても気持ちがいい。慣れない歩きに疲れた脚を癒してくれるのだ。
「だって、これだけずっとアキを独占していられるって、凄く贅沢なことよ。嬉しいじゃない」
「美弥にならいつでも独占されてやるよ」
「無理よ。あなたの周りっていつもたくさんの人がいるじゃない」
気持ちだけありがたく受け取っておきます。
「一番は美弥だから」
「……ありがと」
ストレートに向けられる愛情は面はゆい。慣れてないから、素直に受け取れないのは仕方ないと思ってほしいところだ。
「俺としては、もうちょっと楽させたいんだけどなぁ」
「……膝枕させながら言うセリフじゃないよね?」
「まあそれはおいといて」
おいとくのか。
「早く日本に戻るか、ここでの生活基盤を築きたいな」
「そうね」
明人は体を起こした。
「そして、ここに、美弥は俺のものって印をつけたい」
私の左手をとって、薬指の付け根を撫でた。
「え、っと……」
不意打ちでそういうことされると、動悸がやばい。
顔が赤くなるのをとめられずにいる私を見て、明人はにやりと笑った。
「今の俺は甲斐性なしだから、これで許して」
そう言って、撫でた箇所に口づけた。
「……っ」
舌の感触が!
恋愛初心者には明人の言動はハードルが高すぎる。思わず手を引こうとしたけれど、より強く掴まれてかなわない。
「あ……っ」
ぴり、と痛みがはしった。
軽くだけど噛まれたと分かったのは、ようやく解放された指にうっすらと歯形がついてたから。
「あああああのね、アキヒトさん」
「うん?」
満足げに見ないでいただきたい。
「ご存じの通り私は初心者なので、もうちょっとお手柔らかにお願いしたいのですが!」
「ああ、無理」
あっさり否定しないでー!
「俺が原因で照れたりあたふたしてる美弥見てるの好きだからさ。諦めて翻弄されといて」
極上の笑顔で言われたら、頷く以外出来なかった。
見る人がいたらバカップル以外の何者でもない私たちの旅が終わったのは、この世界にきてから三日目、移動をはじめて二日目のことだった。
3章はここまで。ようやく次章で現地の人が出てきます




