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◇◆◇◆ 3-3.
「でも付き合ってたんでしょ? ってことはその間は彼女のこと好きだった……のよね……?」
もちろん、世の中には表現は悪いけれど打算的な関係があることぐらいは理解している。お互いが納得していたら問題ないだろう。というかアラフォーにもなって『世の中の恋人たちはすべてお互いを一番愛しているの』とか言うほど恋愛脳を拗らせてはいない。
ただ、明人だけは、そういうのはないと思っていた。というか、信じていた。誠実な性格を知っている。だから恋愛に関してもそうなのだろうなと、そうであるはずだと。ましてや当時は高校生だったり大学生だったりしたのだから。
「一定以上の好意があったのは事実だけど、恋愛感情はなかったな」
この時、私はどういう表情を浮かべたのだろうか。
明人は一瞬だけ辛そうにした。すぐに見せなくなったけれど。
「……なんで付き合ったの?」
「告られて、好きな相手がいるって断ったら、二番目でいいって言われた」
明人の顔からも声からも、表情はうかがえない。
何そのダメ男回答。
「それが私だって、知ってたのかしら……」
「何人かは」
問いというよりは独り言だったけど、明人は律儀にこたえる。
「ああ、だから、」
明人の彼女たちは、わざわざ私に宣言してきたのだ。明人は自分のものだと。そうせざるを得ないほどに、明人が好きだったんだ。中には『工藤明人の彼女』というステータスが目当ての女性もいただろう。何人か心当たりもある。でもそれは少数派だ。
心がざわつく。
「やることやってたのよね?」
「……全員ではないけどな」
正直すぎるでしょうって思ったけど、ついさっき嘘をつかれるのは嫌と言ったばかりだった。
「家庭内性犯罪対策だったりした?」
当事者が誰かというのは強引に目をつぶって、想像してみよう。片思いの相手が一つ屋根の下で暮らしていたら。……夏場のお風呂あがりとか、特に無防備だよねぇ。洗濯物はさすがに私も瞳さんも気をつけてはいたけれど、偶然目に入ることはゼロじゃないはず。いろんな意味で若さあふれる少年には刺激がキツイかもしれない。そういや瞳さんが色々気にしていたなぁ。なんかごめん、って気持ちになった。明人の気持ちを知っていた明さんや瞳さんは私の無防備さにやきもきしたことだろう。
「……否定はしない」
嘘をつかれたくないと言ったばかりのくせして、否定してほしいと思った。
「そうよねー。十代の青少年なんて、やりたい盛りだもんね」
自分の声が空々しい。
私だって女だ。女の立場からすると、明人の恋愛(と言っていいのかどうかもよく分からないけれど他にどう言えばいいのか分からないのでそうしとく)遍歴は褒められたものじゃない。高校時代からそうだったなんて、女の子の純情をもてあそんだ最低野郎とも言える。唯一、他に好いた相手がいると最初から宣言してるあたりが、なけなしの誠意か。
明人は恋愛も誠実だなんて、私が勝手に、一方的に思いこんでいたことだ。それが事実じゃなかったからといって裏切られた気持ちになるのは間違っている。分かっている。
……自分の両肩を抱くようにしてうずくまる。
明人の顔を見たくない。
声を聞きたくない。
拒絶して、自分だけの世界に閉じこもってしまいたい。これ以上私のなかの明人像を崩したくなかった。
「……美弥、」
それなのに、明人は私の名前を呼ぶのだ。
「自分の言動を正当化するつもりはないし、言い訳もしない。……ずっと美弥だけ好きだったことを伝えたかった」
「やめて」
私の声は、小さかった。でも明人には聞こえていたはず。息をのむ気配が伝わってきた。
これ以上、聞きたくない。知りたくない。……気づきたく、ない。
「最低だわ」
「……ああ、そうだな」
「悪趣味」
「俺もそう思うよ」
明人は何も分かっていない。
「違うの」
「何が?」
明人の声は優しい。
私がここで『アキには失望した』と告げたって、一緒にいるという約束を反故にはしないだろう。変わらず私を大事にしてくれるだろう。無理矢理ことに及んだりしないだろう。
だって、明人は、私にだけは昔も今も誠実だ。ずいぶん歪んだ誠実さではあるけれども。
「最低なのも悪趣味なのも、私」
手に力がこもる。
「彼女たちに同情してる。アキの恋愛遍歴は全然褒められない。それなのに……」
言いたくない。言ってしまいたい。
相反する感情は、後者に軍配があがった。
「アキに欠点があって、喜んでる私がいるの。ひどいでしょ」
「……何に喜んでるんだ?」
明人の声は、感情を無理に押さえつけた、歪な平坦さがあった。
「完璧じゃないアキになら、私でも、手を伸ばしていいのかなって思えて」
そこから先は言えなかった。
何をどうしたのかサッパリ分からないけれど、長椅子に押し倒されていた。
「続きは俺の顔を見て言えよ」
命じられてゾクゾクした。
明人の表情は欲を隠そうともしていない。明確に向けられた欲望は、怖いのに気持ちをたかぶらせてくる。
この欲は、私にだけ向けられるものだ。私のものだ。
「ずるい。ひどい」
「言いたいことはそれじゃないだろう?」
思わず口をついた非難を咎めるように、喉を撫でられた。急所はすなわち性感ポイントなのだと知識としてはもっていたけれど、まさか我が身で実感するとは。
「だって気付きたくなんてなかったのに。届かない存在でいてほしかったのに。どうして堕ちてくるの」
完璧な明人は、私には釣りあわない。この思考はずっと昔から根付いていて、今更何を言われたところで変えられない。
でも、その前提が崩れてしまえば。
明人は完璧じゃない。
そのために泣いた女性がいるのに、完璧じゃないことを喜んでしまう自分が最低だ。一番の女の敵は、明人じゃなくて私だろう。
まだ色のついていなかった明人への感情。それに、色がついてしまった。元々総量が大きいところそれは、あっと言う間にその色に染まっていく。好きだ。愛してる。……欲しい。誰にも渡したくない。
「……アキのこと、好きになっていい?」
「いいに決まってるだろ」
「釣れた魚にもちゃんと餌くれる?」
「存分に。まるまる肥えさせてやるよ」
女相手に太らせるとか言わないでほしい。
「年齢イコール彼氏いない歴のアラフォーなんて、重いわよ。それ分かってて言ってるの?」
「体重が?」
「……蹴っていい?」
「冗談だよ。分かってるって」
随分たちの悪い冗談だ。
「私をおいてどこにもいかないで」
「勿論だ」
すべて即答される。
それから、と続けようとしたら、唇をふさがれた。
「お前、焦らしすぎ」
たっぷりと咥内を堪能された後、耳元で囁かれた。その声は掠れていて、色気の固まりみたいだった。
「だ、って……」
「お預けくらうのはキツイんだけど?」
ほら、やりたい盛りの青少年な躰だし、と言われて、固まった。
「……えっと……このまま、するの……?」
「する」
潔いほどの断言だ。でも。
「経緯はさておき、今さっき両思いになったばかりよね? ちょっとっていうかかなり即物的じゃないかしら……」
「嫌だ、我慢出来ない」
押しつけられた明人の躰の一部が熱をもっているのがわかる。声もどこか切羽詰まっていて、我慢できないが嘘じゃないのも分かる。
でも、あえて言いたい。
「……一応ね、私の初体験になるんだけど……」
明人は動きをとめた。
「ホテルのスイートがいいわなんてバブルなことは言わないので、せめて、シャワー浴びてからベッドの上を希望したいのですが」
こんな、いつ誰が来るか分からない場所で。お風呂にも入れていない時じゃなくて。固い長椅子の上じゃなくて。
「………………くそ」
明人は舌打ちしてから、躰を起こした。
「悪かった。浮かれて暴走して、がっつきすぎた」
「ワガママ言ってごめんね」
「それはワガママじゃなくて、当然の主張だ。全面的に俺が悪い」
うん、まあ、そうだよね。全面的に同意です。
明人は私の体を抱き起こした。
「早く、諸々どうにかしないとな」
「……欲望だだもれよ」
苦笑するしかない。
「だって、二五年……四半世紀だぞ。それが叶ったんだから、仕方ないだろ」
し、四半世紀……。いやそうだけど! なんだか目眩がする。
「それに、男の甲斐性として、衣食住で苦労させたくないし、幸せにしたいものだから今の状況は不本意だ」
「……日本だと自分の食い扶持ぐらい稼げてるわよ?」
明人よりかなり手取り少ないけどね!
「知ってるよ」
今度は明人が苦笑する番だった。
「でも、大切にしたいんだ。させてくれ」
その声は甘い以上に切実だった。懇願する響きは、胸の奥をぎゅっとつかむようで。
「うん。そうして。……私もアキを幸せにするから」
口をついて出た言葉は、全く意識していないもので。それだけに、本音だった。流されたとかではない……はず。
その結果、明人の理性が崩壊しかけたのは余談だ。




