3-2
◇◆◇◆ 3-2.
「いや、いい。言い出したのは俺だ」
明人は私を抱き寄せた。明人の肩に額がつく体勢だから、表情は見えない。少し分かってきたことがある。明人がこうするのは、自分の表情を見せたくない時だ。
「むしろ好都合だ。一つずつ、美弥の懸念をつぶしていくぞ」
はい?
「キスは嫌じゃない、俺に対してドキドキする、だったな」
「……えーっと……うん……」
改めて言われるとものすごく恥ずかしいことを言ってないか。今の顔を見られなくて良かった。
「でも吊り橋効果じゃないかと悩んでる」
「……ハイ」
そう言いました。はい。
どんな羞恥プレイだ、これは。
「俺に言わせれば、それの何が問題なんだ、になるけど。吊り橋効果だろうが流されてだろうが、美弥が俺に堕ちてくれればいいんだ。経過なんてどうでもいい。結果として美弥が手にはいれば俺は満足だ」
……。
「利用? 上等だ。利用価値があるなら存分に俺を利用しろ。むしろこの状況を利用してるのは俺のほうだぞ。美弥の周りに俺しかいない状況で告げるのは卑怯だとなじられても仕方ないぐらいだ。だって、今、俺から離れられないだろう?」
「それはそう……だけど……」
卑怯だと言われると首を傾げたくなる。だって、明人に卑怯という言葉は似合わない。
「吊り橋効果は俺が狙ったところでもあるから、美弥が気にする必要はない。いいな?」
「…………うん」
きっぱり言われてしまうと、私は頷くしかない。
でも、それでいいの? いや明人がいいと言ってるからいいのだろうけど……。なんか腑に落ちない。あれ?
「想いの大きさとか深さを俺と同じだけとか、いきなりは絶対無理だから。むしろ同じになるまで俺は待てない。待ちたくもない」
「無理だなんて決めつけられても……」
「なあ。なんで美弥を養子にしなかったか、聞いたことあるか?」
いきなりの話題転換の意味がわからない。
「ないわ。なんか聞いたらいけないのかなって思って」
当時中学生だったので、引き取るイコール養子にすると考える人が殆どだった。でも実際はそうじゃなかった。名字が同じだから気付く人も少なかったし、こちらも吹聴しなかったので知ってる人は案外少ない。
それに、あのタイミングで”新しい両親”は受け入れられなかったと思う。今ならともかく、当時は明さんと瞳さんはあくまでも親戚だったから。
事情もあるだろうし、引き取ってもらえただけでありがたい。わざわざ困らせたくもないしで、確認しようとは思わなかった。
「俺が頼んだんだ」
「……は?」
「美弥が養子になったら俺と結婚なんて絶対しないだろ。お前の性格上、家族のカテゴリーに入ったら俺が何をどう言っても、何をしても、そういう対象にみてもらえないって分かってた。でも従兄妹っていう近いけどギリギリ他人の関係のままなら可能性がある。俺が美弥と結婚するから、養子にはしないでくれって、無茶苦茶頼み込んだ。最初はふざけるなって怒られて相手にもされなかったな」
「はあ?」
何それ。ビックリなんだけど。
「そんな昔からっていうのも、そんな事言われても引き取ってくれた明さんたちにも、とにかく驚きしかないんだけど……」
そんな、を連呼してしまう。
「家庭内性犯罪は犯すな、美弥の意志は必ず尊重しろ、他の相手がいいと言われたら諦めろと口すっぱく言われたけどどうにか受け入れてもらえたぞ。まあ受け入れなきゃ俺が暴走しかねないと思われたようだが」
「……そう」
どうコメントすれば……。家庭内性犯罪って、明さん……自分の息子のことは信じてあげようよ。
「就職と同時に家を追い出されたけどな」
「……自活したかったからじゃないの?」
「初任給だし家事壊滅なのに、一人暮らししたい訳ないだろ」
なぜかしら。頭痛が……。家事壊滅の自覚があるなら覚えたらいいと思うのだけど。
「とにかく、俺が言いたいのは、こっちは二五年物なんだから、そうそう同じなんて無理って事」
「お酒みたいな表現しないでよ」
二五年はさすがに信じがたいし、計算があわない。
「熟成には自信がある。というわけで、これもいいな?」
「とりあえず今はね」
計算があわないことについては後で確認しよう。
「最後、変化が怖いについては、諦めろとしか言えないな」
ええと……。
「もう変化はおこってるんだ。今更なかったことには出来ない。第一こんな状態で変化なしとか無理だろ? だから受け入れるしかない。……これで全部解決したな。他に何かあるか?」
解決……したのだろうか。してないと思うのだけど。
ただ……
「何かっていうか、その、アキヒトさんの手がね? 不穏なんですけど」
最初は肩を抱く程度だったのに、あいた手が首筋から背中、腰とおりていく。その手つきが意味深で、気になってしまう。くすぐったいと似てるけど違う感覚が何かは考えない。考えないったら考えない。
「いいじゃん。今までずっと触れるの我慢してたんだからこれぐらいさ」
「これぐらいって……」
私、明人の気持ちを受け入れるとは言ってないよね?
「でも、美弥が嫌って言うならやめる。ダメか?」
「……っ」
耳元でそんなことを低音で囁くのは卑怯だと思います!
つい反射的に明人にしがみついてしまう。
「あまり煽るなよ」
「煽ってなんかないわよ」
ひどい言いがかりだ。
「無自覚かよ」
何か呟いてるけどよく分からない。
「あの、とにかく、ほら、私たちずっとシャワーも浴びれてないし。だから落ち着きましょ、ね?」
「……風呂入れたらいいって聞こえるんだけど」
「そうは言ってないでしょう!?」
「じゃあこれに答えてくれたらやめる。俺が言ったことは理解してくれたよな?」
理解……というか。
「あのね? どうしても、納得出来ないことがあって」
喉に引っかかった小骨のように、気になって仕方ない疑問。
「なんだ? 美弥のどこがいいかっていうのなら全」
「それじゃないわ」
明人の言葉は強引に遮る。
いやまあそれが無いとは言わないけど。その前の疑問があるのだ。
「さっき二五年って言ったわよね」
「ああ」
「それ、計算あわなくない?」
「あってるよ。二五年間ずっとだ」
いいや、おかしい。
「でもその間、何人か彼女いたじゃない」
明人の初めての相手だったお姉さまをはじめ、私が知ってるだけでも片手ではたりない。高校・大学時代は、わりといつも誰かしらがいたような……。
どう考えてもおかしいのだ。今、私たちは三五歳。単純に二五年前となると一〇歳ぐらいからになる。でも、明人に彼女がいた期間は少なく見積もっても五年か六年はある。その分をひくと、四歳か五歳になってしまう。さすがにないだろう。
「アキ?」
ぴしりと固まった明人に再起動を促す。
反応から、触れられたくなかった部分なんだろうなと分かった。でも、ここを曖昧にしないと前にも後ろにも進めない気がした。
誤魔化されないように、顔がちゃんと見える距離をとった。
「別にそれを責めるつもりなんてカケラもないから安心して。ただの素朴な疑問だし。ね? 嘘つかれる方が嫌だから」
なんとなく、大事なことだと。今このタイミングで聞かなきゃいけないことだと思った。
二五年間ずっとと、二五年前からだけど間に数年抜けてるは、全然違うのだから。
ただ、私は当時の明人の心変わり(?)についてどうこう言える立場じゃないし、言うつもりもない。気になるのでハッキリさせたいだけなのだ。というか、二五年間は重いので、軽くしてください。
「……二五年間ずっとで間違いはない」
「え?」
だから、明人の言葉は意外だった。私がそれは違うでしょうと言う理由は分かっているはず。そのうえでってことは、つまり……?




