2-4
◇◆◇◆ 2-4.
「ただいま」
明人の声に、我にかえる。
結局、出かけてる間、私はずっと「あれは一体……」「どうしよう」とぐるぐる考えて、時間が過ぎていった。だから様子見だけしてすぐ帰るといった明人の言葉が正しいのかどうか分からない。
「お、おかえりなさい……」
明人の顔を直視できない。
「林檎っぽいの見つけた。農薬とかついてないだろうから、そのまま食べられるだろ。一応洗っといたから」
けれど明人は何事もなかったように、成果を告げるのだ。
私がこれだけ混乱してるのに! 何一人で普通にしてるのよ。
経験値の差? 明人にとってはあれは単なる挨拶ってこと?
混乱が怒りにとってかわっていく。
「なんかムカつく」
「は?」
「さっきのアレは何だったのって、ずっと考えて、翻弄されてたのに!」
突然キレた私に、明人は最初びっくりして、次に吹き出した。それがまた悔しくて、立ち上がって明人につかみかかる。明人は猫にじゃれつかれた程度の認識なのか、涼しい表情だ。
「ああ、あれな」
「あれな、じゃなくて……!」
「でも一人で寂しいとか不安は感じなかっただろう?」
「そ……、それはそうだけど……!」
言われて初めて気づく。
口づけされるまであった、心臓がぎゅっと縮むような不安は、確かになかった。なかったけれど……。
「私、経験ないって言ったよね?」
「聞いたな」
それがどうしたみたいな反応しないで。
「それなのに、暇つぶしみたいに、だまし討ちでって酷いじゃない!」
「嫌だった? だったらごめん」
腰を抱いて、顔をのぞきこまれる。
視線があって、茶目っ気を出している風を装って、目の奥に不安の色を見つけてしまった。
ああ、もう本当に。
明人は存在自体が反則だ。ずるい。
かなり本気で腹がたっていたのに、そんな目をされたら、これ以上怒れるはずがない。
「……嫌じゃ、なかったわ……」
怒りはしたけれど、嫌悪感はなかった。
「良かった」
「だからって許せることじゃないんですけどー?」
嘘だ。明人のほっとした表情で「仕方ないなぁ」と思ってる自分がいる。ただ、それを知られたくないだけで。
「じゃあこの林檎っぽいので許して」
抱擁がとかれて、長椅子に置いていた果実を手渡された。うん、確かに林檎だ。
「今回だけだからね」
ファーストキスなんて、アラフォーにもなって後生大事にとっておくものでもないし。むしろ早く捨てるべきだろう。ということは明人に感謝すべきなのかしら。……さすがにそれはないか。
感謝するかどうかはともかくとして、本当は私が偉そうにこんな事言える立場じゃないのは分かってる。
危険をおかしてくれたのは明人で、私は安全なところで待っていただけだ。それに負い目をもたせないように、こんな会話を繰り広げてる。
かなわないなぁと思う。
人間の器というか、成熟度的に。
明人の手のひらの上で転がされてる訳だけど、それが嫌じゃない。明人の転がし方はこちらを利用するものじゃなくて、その正反対、気を遣ってくれてるからだろう。
まったく。この人たらしが。
「……美味し」
なんだかんだで一日何も食べていなかったので、空腹だった。明人はそれ以上か。異常事態ゆえの緊張感で忘れていたけれど、一口かじると、空腹だったと思い出す。
「ありがとう」
すぐに食べ尽くした己の食欲が少し恥ずかしくもあるけど、明人は私以上に早く食べ終わっていたのでまぁいいや。
「足りるか? わりと入ってすぐに木が何本かあったから、これなら取りに行きやすかったぞ」
「とりあえずは大丈夫。一気に食べても体に悪いしね」
「それもそうか」
「アキは? 私よりたくさん食べるんだから、同じじゃ足りないでしょ」
「……実は向こうで一個食べてきたから大丈夫」
バツが悪そうな表情で視線をそらしたけど、毒味のつもりだったろうというのは想像がつく。言っても否定されるのは分かってるから言葉にはしない。
「じゃあ良かった」
ふと浮かんだのは、他愛ない思いつきだった。
「ねぇ、アキ。ちょっと、こっち向いて?」
「うん?」
もう少し近くに、と手招きする。
「セクハラにはセクハラで返すのが妥当だと思わない?」
単純に。
私は明人を驚かせたかったのだ。
あとアレはもう気にしなくていいと告げたかったというか。
だから、つま先立ちで背伸びをして、軽く触れるだけの口づけをした。
「……っ」
「……なんでアキが真っ赤になるのよ。経験豊富なくせに生娘みたいな反応しないでくれる?」
斜め上の反応があって、驚かせるの大成功と喜ぶ前に呆れてしまった。あ、生娘は私か。経験ないけどアラフォーなんでそれなりに耳年増なんです。
「経験豊富って、お前……っ」
「え、だって初体験は高一でしょう? 年上のお姉さまにおいしくいただかれてたじゃない」
何故知ってるかというと、件のお姉さまが私に教えてくれたからだ。得意げに言われてどうしろとと困った。
「アキの歴代彼女たちの大半は、よく私に語ってくれてたので知りたくないけど知ってるわよ。あれ迷惑だったわ」
「……」
明人はよろりと立ち上がった。
「頭冷やしてくる……」
「行ってらっしゃい」
窶れた様子に、ちょっとだけ、かわいそうかな、と思った。
思春期の男の子が通る「ベッドの下の肌色成分が多い本を母親に見つかった」気分に近いんだろう。まあ頑張れ。文句は過去の彼女たちにどうぞ。なんてね。
ご褒美回?




