12 レポート盗難
間もなくにわか学生生活も終わろうとする頃、事件が起こった。
エディスは図書館で最終レポートを書きながら、窓から射す日差しが暖かで、穏やかなそよ風についうっかり居眠りをしてしまった。どれくらい眠ったのか、目が覚めたら、ほぼ仕上がっていたはずのレポートがなくなっていた。
風に飛ばされたにしては、メモや白紙の紙は残っていて、ああ、これは盗まれたな、とエディスはため息をついた。
聴講の費用を出してもらっている以上、単位を取らないわけにはいかない。
八割は仕上げた渾身の力作が、ほんのちょっと油断しただけでなくなってしまった。油断して居眠りした自分が悪いのだが、自分のレポートごときを盗む価値があると思った人もいるのだろう。
しばらく呆けた後、筆記具を片付け、広げていた本を戻して図書館を出た。
もう一度書けばいい。ネタはそれほどあるわけではないが、同じものを書けば後から出した方が盗用を疑われる。今回のレポートは自信作で、きっと教授も褒めてくれたに違いないのだが…
ほろりと流れてきた涙をぬぐい、弱気になっている自分の頬をぴしゃりと叩いたその目の前に、立ちはだかる人がいた。
「何があった」
そこには、学校に通ってから一度も声をかけてこなかったカーティスがいた。
「う、…お、…え?」
カーティスが学校の中で自分に気づくこともないのは、自分の変装が完璧だからだと思っていたエディスは、なぜ今カーティスが自分の目の前にいて、迷うことなく声をかけてきたのか、さっぱり理解できなかった。
「おまえが泣くなんて、よっぽどのことだろう」
「でん…、あの、私? わかります?」
「わかってないと思ってたのか。その程度の変装で」
思ってました、とは言い難いものの、明らかに態度がはいと答えていた。むしろカーティスがしらばっくれていたおかげでばれていないと自信をつけていたほどだ。
人目のつかない校舎の陰まで引っ張られ、腕を組んだカーティスに
「事情を話せ」
と恐ろしげな眼で睨まれると、主人である王子への報告に拒否権はない。すぐ近くにデリックもいた。
「いえあの、こ、個人的な事情で…」
「で?」
「書きかけのレポートを、盗まれちゃいました」
カーティスの目に殺気がよぎった。
「いえ、あの、殿下のお手を煩わせる気はありません。…ですが、明日、お休みを頂けたら…」
「休み?」
レポートを仕上げたかったのだが、急に休みをお願いしても無理かもしれない。明日は何か特別な予定はなかったはずだが、他の人の都合もある。
「…いいです。撤回します」
そう言ったとたんデコピンされて、驚いて顔をあげた。
カーティスは面白くなさそうな顔で
「ばーか」
と一言言ったかと思うと、エディスの手を掴み、
「帰るぞ」
と無遠慮にぐいぐいとエディスの手を引っ張り、エディスを馬車の待機場まで連れて行った。
仮にも王子ともあろうものが、得体の知れない一学生の手を引いて歩くなど、目立ちすぎだ。恐縮しながらもカーティスの手は力強く、とてもエディスの力ではほどくことはできず、うつむいたまま引かれるに任せた。
気が付けばデリックはおらず、二人で乗る馬車は何とも言えない気まずい雰囲気が流れていた。
「もうすぐ秋学期も終わるな」
それは、エディスのなんちゃって学校生活の終わりを示していた。役に立たない諜報活動の終わりでもある。
「友達はできたか」
「…マジェリー様が、…意外と歴史オタクでした」
「ああ、そうだな」
「…マリウス殿下も」
その名を口にして、言う必要はなかったか、と口を閉ざすと、
「そうきたか…」
そう言ったカーティスは軽くため息をついた。
「そう遠くなく、ジェレミーとマジェリー嬢の婚約は解消になる。王家も公爵家も合意済だ。もう半年以上、茶会をはじめとした二人の交流は中止され、王家の婚約者としての仕事は振られていない」
「へっ?」
第二王妃宮のこととはいえ、王城で務めていながらジェレミーとマジェリーのことを全く把握していなかったことを知り、エディスは自分には諜報活動は無理だ、と結論付けた。
王家の仕事はしていない。それなら、マリウスの相手をしていたマジェリーは…。
「もともとジェレミーとマジェリーがうまくいってなかったところへ、アドレー王国から婚姻の打診があった。あのマジェリーが恋心であそこまで変わるとは誰も思わないだろう。しかも相手はアドレーの王子だ。ブラッドバーン公はこの話に乗り気で、ジェレミーの口添えもあり、王も許した。残り一年半でマリウス殿下は卒業する。それに合わせてマジェリーは留学という名目でアドレー王国に渡り、卒業と同時にマリウス殿下と婚姻を結ぶ予定だ」
それは未発表の極秘事項ではないのだろうか。エディスは王城の関係者ではあるが…。
「先越されましたね、婚約解消」
うっかりな発言に、カーティスはエディスを思いっきり睨みつけた。
「まだ越されてないっ」
ずっと婚約破棄を狙いながら一向に進展しないカーティスの逆鱗をがっちりと踏みつけたらしく、エディスはカーティスに拳で両方のこめかみをぐりぐりと締め付けられた。
「いたたたたた、すみません、すみませんでした!」
「おまえのような生意気な侍女、俺でなければとうの昔に首だぞ」
「…そう思います」
こんなに口の悪い自分をどうしてカーティスが気に入ってくれているのか。エディスにもわからないなりに、カーティスのそばで働くことは存外嫌ではない自分に気が付いていた。




