6 もしあなたが生まれてきたのが間違いであっても、わたくしはあなたを愛しておりますわ
「フォン様っ!!!」
椅子に座った形で縛られているフォンに駆けよって、噛まされている猿ぐつわを外す。
「エマ……?」
どこか呆然と、特別な名前を呼ばれる。
「はいっ! はい、フォン様。あなたの、エマですわ……」
フォンの頭を胸に抱きこむ。確かな息吹を感じて、涙が止まらない。
何度、もうこの世にいないのではないかと覚悟したことか。生きていて本当によかった。
ミズキの一族はものすごく優秀だった。
話がまとまった後、ミズキは小さな細長い紙に細かい絵のような文字を書いてから庭に出た。
「チュン、ピチュチュッ、チュピチュピ」
ミズキの口元から、本物のスズメの鳴き声にしか聞こえない音がした。
10羽くらいだろうか。スズメが飛んでくる。ミズキがエサを手にして食べさせながら、その足に器用に紙を巻いた。
小1時間も経たないうちに、自分が別宅にいる時によく配達を頼むケーキ屋の制服を着た人物が訪ねてきた。今日は頼んだ覚えがなくて不思議に思ったら、ミズキの一族の調整役だった。
事情を話して相手方の条件提示を求めると、金銭的な通常報酬で引き受けてくれるという。
「ただし、我らの仕事は見つけるところまでとし、生死は問わぬものという条件となる」
言われて息を飲んだ。ぐっとスカートをにぎる。
「発見時点で息がある場合にはフォン様の命を守ることを加えていただきたく存じますわ。もちろん、すでにお亡くなりになっていた場合には皆さんの責任は問いません」
想定したくない現実を口にすると声が震える。けれど、なんとか言い切った。
少し割り増しされたけれど、問題なく出せる金額だ。ニゲラが動くと王宮に勘づかれる可能性がゼロではないため、自分が動かせるお金をすぐに使用人に用意させた。
それからまた小1時間もしないうちに、見つかったという連絡が入った。ニゲラと一緒に王宮に乗りこみ、示された場所まで最速で馬を走らせた。
フォンが捕えられていたのは、花火を見るために城の裏の湖に向かっていた時に、木々の間に見えた下級貴族の邸宅のような建物の中だった。
入り口で見張りをしていた兵士たちをシノビが眠らせる。王宮の近衛兵の制服だ。
(やっぱり、フォン様に牙を剥いているのはあの方……)
これもまた、考えたくもない現実だ。ぐっと歯を噛みしめる。
ニゲラが剣を抜いてフォンの方へと向ける。
ザッと、その体を縛りつけていた縄を切った。続けて、念入りに縛られている腕の縄も切る。
「ニゲラ兄様……」
「衰弱しているようではあるが、命があって何よりだ」
感情のままに抱きしめていたフォンを解放して一歩下がる。意識はあるけれど顔色は悪く、今にも死にそうに見える。
「まずは水を」
「こちらの携帯食もお使いください」
ニゲラが水を、ミズキが携帯食を差しだす。が、フォンは首を横に振る。
「フォン! 今更、拙やアリサの付き人がお前に一服盛ると思うのか?!」
ニゲラが初めて声を荒げた。
(一服盛る……)
それは確かに今更だけど、今のフォンが正常に判断できる状態なのかは疑問だ。
捕まっている間に彼に水や食料が与えられていたのかはわからない。けれどもし与えられていたとしても、フォンはそれらを口にしなかった気がする。
「ニゲラ様、ミズキ、それをわたくしに」
2人から受け取って、座ったままのフォンの横にかがむ。
「シオン」
大切な人にだけ許されるミドルネームで呼びかけると、じっとフォンの銀の瞳が向けられる。
「もしあなたがこの世界からいなくなるのなら、わたくしも共に」
囁いて、水を飲んで見せ、ミズキの携帯食も一口かじった。それから彼の手に握らせると、すぐにあおるように水を飲む。
肩の力が抜けて、やっと呼吸ができるようになった気がした。
携帯食を口にしながら、フォンが目元を押さえる。
そっと、包みこむように抱きしめる。
しばらくそうしていたら、食べ終えたフォンから力なく呼びかけられた。
「……エマ」
「はい」
「……僕は“マガイモノ”で……、生まれてきたのが間違いみたい」
全身の毛が逆立った。きっと黒幕からそう吹き込まれたのだろう。
そんなはずはないと全力で否定したいけれど、今のフォンには届く気がしない。
ひとつ息をついてから、フォンの耳元にそっと声を落とす。
「もしあなたが生まれてきたのが間違いであっても、わたくしはあなたを、フォン・シオン・テオプラストスを愛しておりますわ。
たとえ一緒に地獄の底に堕ちても、わたくしを大切にしてくださるのでしょう?」
言葉の代わりに熱烈なキスを返される。あふれる愛しさをすべて伝えるように応える。
ニゲラの目の前で約束を反故にした罪は、2人で地獄の業火に焼かれよう。




