8 国王と王妃の関係の裏側
「エマ。今から駆け落ちしようか」
「何をおっしゃっているのですか」
笑って流すと、キスを求められる。片手で軽く止めておく。
「じゃあ、王太子なんていうのはニゲラ兄様にあげてさ、僕がトゥーンベリ公爵家に降るのはどう? あったね。僕を傷つけないで、僕を王太子じゃなくす方法」
家からそう言われていると告白したら、復讐の才能がないからあきらめるようにと笑われたのが懐かしい。
「わたくしが国王陛下と王妃殿下の前で申し上げたのは本心ですわよ? フォン様こそ」
「シオン」
「……シオンこそ、この国の王に相応しいと思っておりますわ。そしてわたくしが愛したフォン・シオン・テオプラストス王太子殿下は、色恋のために職責を放棄するような方ではないと信じておりますわ」
「あはは。先に大きい要求を断らせてから小さな要求をするの、ドアインザフェイスっていう心理テクニックなんだけど、ひっかからなかったね」
「要求が小さくありませんもの……」
愛おしそうに再びキスを求められる。小さく避けて頬で受ける。
「……ダメ?」
「わたくしはシオンを愛しておりますわ。けれど、今の立場では、これ以上はいけませんわ」
「そっか。……うん、そうだね」
理解したように答えながら、そっと抱きしめるのはやめてほしい。簡単に絆されてしまいそうだ。
と、ふいに扉が叩かれた。慌てて距離をとり、何事もなかったかのように装う。心臓がバックバクだ。
フォンの付き人とミズキが、追加の食べ物を運んできてくれた。ミズキが小さく耳打ちしてくる。
「アリサ様、怪しい動きはありませんでした。安心してお召し上がりください」
一瞬、自分たちが怪しいことをしていたのではないかと疑われたかと思ってドキッとしたが、そういうわけではなかった。ミズキがついて行っていたのは、護衛としての安全確認だったようだ。
(本当に優秀ですわね……)
「それでは、お夕食にしましょうか」
「アリサの分を僕に分けてね? 僕の分もアリサに分けるから」
「それでは同じお皿を食べることになりますわよ? いけませんわ」
「それは残念」
子どもっぽく拗ねるフォンがかわいい。拗ねてはいるけれど、本気ではなさそうだ。
この先どうするかはよく考えないといけないだろう。少なくとも、付き人たちがいる前でフォンと話すことではない。
代わりの話題を探して、聞きたかったことを思いだす。
フォンにひと口差し出して、ちゃんと食べられる様子に安心してから、前置きを口にする。
「あの、フォン様。もしお答えになりたくなければ、お答えいただかなくていいのですが」
ニゲラの時に学んだことだ。親の話題は、人によっては決して軽いものではないらしい。
「うん。何?」
「国王陛下と王妃殿下は、昔から仲が悪いのですか?」
「はは。アリサには仲が悪く見えたんだ?」
「……申し訳ありません」
「謝らないで。あの二人はあれでいて演技がうまいからね。外で会うぶんには、気づかない人の方が多いんだけど。うん、アリサが感じた通りだよ」
次のひと口を差し出して、自分も食べつつ続きを待つ。
「僕は父上とは勉強や仕事の話しかしたことがないから、そのへんは母上の一方的な愚痴になるけど、いい?」
「はい。お聞きしてもよろしければ」
「別にいいんじゃないかな。たぶん、トゥーンベリのおばさん、アリサの母君も知ってることだろうし、なんなら僕より詳しいかもね」
言われてみれば、確かにその可能性は高い。母とフォンの母親はずっと仲が良かったのだから、愚痴があったなら聞いているだろう。
「父上と母上はね、元々幼なじみなんだよね」
「そうだったのですね」
「うん。子どものころは仲がよかったんだって。それで、母上は父上を好きになって」
「え」
驚いて思わず声が出てしまった。
「ははは。今の二人からはまったく想像できないよね。けど、これは本当。裏切られたのを許せないって言っていたから」
(裏切られた……)
ニゲラの母親もそう言っていなかったか。2人の女性がどちらも裏切られたと思っているのは、どういうことだろうか。
「母上の生家であるオスマンサス公爵家から王家に婚約の申し入れをして、それは受け入れられて。だから二人は正式な婚約者だったの」
その情報も初耳だ。国王がニゲラの母親と結婚しようとしたところに、フォンの母親の生家がねじこんだわけではなかったようだ。
「けど、対外的には言ってなかったみたいだね。いつ発表するのかと母上が聞いても、毎回、次の遠征から戻ったらって言われて先送りにされて。
それがいつ結婚するのかという問いに変わった頃に、父上が属国の姫君を正妃に迎えたいって言って連れて帰ってきたんだって」
「なるほど……、だとすると、王妃殿下からすれば確かに裏切りですわね」
「うん。僕は絶対に、父上みたいにはならないって決めてる。一生、ううん、たとえ一緒に地獄の底に堕ちても、幼なじみの女の子を大事にするよ」
(地獄の底に堕ちても……)
なんということを言うのだろう。そんなのはもう、一緒に堕ちるしかないではないか。
「王妃殿下が国王陛下に確執をお持ちなのはわかりました。けれど、国王陛下は王妃殿下に謝るべき立場ではないのでしょうか」
「そっちはたぶん、母上がニゲラ兄様を殺そうとしたからじゃないかな」
「え」
世間話のようにさらりと言われたけれど、それはものすごい大事じゃないだろうか。
「僕が命を狙われてるのは話したよね」
「はい、伺っておりますわ」
「その犯人は捕まらないことが多いし、捕まってもトカゲの尻尾切りで本体じゃない。調べさせても黒幕を見つけられない。
そんな状況で、母上は、ニゲラ兄様がいなくなったら僕が狙われることはなくなるって考えたみたいなんだよね。
あ、僕が気づいてからはやめさせたよ。そんなの不毛にも程があるから。
けど、ニゲラ兄様も何度か危険な目に遭ってて。背後に母上がいる証拠は出てないんだけど、父上は気づいているだろうから。
正妃に迎えたいと思った女性の忘形見の命を狙った妻を、好きでいるのって難しいんじゃないかな」
ものすごく重い話を、ただの食事中の談笑のようにフォンは軽く語る。
「まあ、そこが確実ではあるけど、それ以前の問題もあって……、ニゲラ兄様の母君の暗殺犯が捕まっていないからね。父上は依頼をした有力な容疑者の一人として、母上を見てると思うよ」
(え……)
もしそうだとしたら、とんだ濡れ衣だということを自分は知っている。
ニゲラの母親は、暗殺を装った自殺だったとニゲラから聞いた。けれどこれはフォンにも言ってはいけないことだ。
(ニゲラ様から国王陛下には……、話しませんわよね)
自分が誤解を解く立場にはないけれど、すごくモヤモヤする。




