7 偽れない思い
夕食をいただきにマクロフィアの別宅に戻ったら、フォンが死んだような顔をしていた。何かあったのかと心配になる。
「あの、フォン様? お加減が悪いのでしょうか。早めにお休みになられますか?」
「……そうだね。アリサが看病してくれる?」
「えっと……」
そうしたい気持ちは山々だけれど、自分の立場的にそれはしてもいいのだろうか。困ってニゲラを見ると、しっかり頷かれた。
「はい、では、少しだけ」
「ん……」
頼るように軽く身を寄せられる。それだけで心音が跳ね上がる。フタをしてなかったことにしていた思いがあふれそうだ。
フォンが使っている客室には、フォンの付き人と自分の付き人と一緒に入った。
フォンが転がったベッドの横に屈んで、改めて顔を見る。やっぱりかなり調子が悪そうだ。
フォンが顔の上に腕を置いて息をつく。
「アリサは、ネックレスがどういう意味か知ってる?」
「ネックレス、ですの?」
ニゲラに付けてもらったネックレスの、マシュマロのペンダントトップに触れる。
「男が女に贈るネックレスはね、首輪だよ。所有の証。今この時も、きみはニゲラ兄様のものっていうことだよ」
さすがに穿った見方だと思って苦笑する。
「ニゲラ様はそこまで考えてはいないと思いますわ」
「どうだろうね? 僕ならそう思って贈るけど」
フォンに所有されるなら、それはそれでいいかもしれない。そう思ってマシュマロのペンダントトップを握ったのに気づいて、慌てて雑念を振り払う。
「お食事はどうなさいますか?」
「アリサが食べさせてくれるなら少し食べる」
(何かしら、このかわいい感じ……)
急に子ども返りして甘えてくるような、こんなことは今までになかった。
「相談して参りますわね」
「うん」
廊下に出ると、ハイドが苦笑して立っていた。
「あんまり甘やかさない方がいいですよ。傷が深くなりますから」
「フォン様はどこかお怪我をされているのですか? なら教会で治癒を……」
「貴女ですよ、アリサ嬢」
「わたくし、ですの?」
「フォン様は恋の病、相手は貴女です。貴女がニゲラ様といちゃいちゃしていたのを目撃してショックだっただけです。いっそ脈がないくらい、完膚なきまでに振ってしまった方が立ち直りが早いと思いますけどね」
ズクンッ。胸の奥が痛む。この道が正解だと思っていたけれど、その判断にフォンの気持ちは入っていない。
魔獣戦があったあの日、フォンは愛おしそうにキスをくれた。
「手を取り合うのならきみじゃないとイヤだって思ってる」
その告白を、自分は本気で受け止めていただろうか。
「まあ、貴女にはできないのでしょうね」
「わたくしには……?」
「貴女は役割としてニゲラ様のそばにいるだけで、本心では今もフォン様を思っている。違いますか?」
図星すぎて、ものすごくいたたまれない。
「役割に生きるなら、最後まで貫いてくださいね? 中途半端にフォン様の愛を求めないことです」
ハイドの言う通りだ。わかっている。わかっているのに割り切れないのは、自分の弱さだ。
「真実の愛なんていうものは、やっぱり幻想の中にしかなくて、現実では決して幸せになんてなれないんですよ」
冷たく言い放ったハイドに驚く。ハイドはそれを知りたいと言っていたのではないのか。
「……ご忠告痛み入りますわ、ハイド様。肝に銘じて、どのようにするのがいいかをニゲラ様とも相談いたしますわね」
「そうですね。それがいいかと」
用意されていた食事の一部を運んでもらって、フォンが休んでいる部屋に戻った。
「フォン様」
「おかえり。食べさせてくれるの?」
「今回だけ、これきりと、言われて参りましたわ」
「……うん」
それは食べさせることだけじゃなくて、2人になることも指しているのだと、聡いフォンなら気づいただろう。
「アリサも一緒に食べてくれる?」
「わたくしも、ですの?」
「うん。僕はね、きみと一緒に食べるのが好きなんだ」
「……フォン様の付き人にお持ちいただければと」
フォンの付き人は魔獣戦の後で変わったけれど、自分の護衛のミズキを行かせて何かあった場合が怖いから、そう頼んだ。
フォンが頷いて付き人の方を見ると、若い付き人が頭を下げて部屋を出た。ミズキも一緒に出たのは、気を利かせてくれたからだろうか。
予定外に、2人きりになった。
「ねえ、エマ。どこからが浮気になるのかな……」
「え、ちょっ、フォン様?!」
起き上がったフォンに抱きこまれて、耳の上に囁きとキスが落ちる。それだけで身も心も満たされた感じがする。危険すぎる。
「こうして触れ合ったらもう浮気? 額のキスは? 家族なら頬に親愛のキスをするよね? 頬ならセーフ? 鼻先はどうかな……」
言葉と同時に唇が落とされていく。そのたびに自分がフォンに染まっていくのを感じる。
抵抗しないといけないのはわかっているのに、体が動かない。
「昨日泣いていたのは、ニゲラ兄様にキスをされたから?」
(っ……!)
どこからか見られていたのだろうか。どちらにも申し訳なさしかない。
フォンが額を重ねて見つめてくる。答えられないでいると、パァッと嬉しそうな笑顔に変わった。
「そうなんだね」
「っ、フォン様っ、ダメっ……」
音が終わる前に口で口を塞がれる。
(ぁ……)
ニゲラに触れられて消えてしまったフォンの感触が上書きされたことが、嬉しい自分はきっと最低だ。
「好きだよ、エマ。愛してる」
「フォン様……」
彼を拒絶しないといけないのはわかっている。
それでも、どうあっても、フォン・シオン・テオプラストスというこの人のすべてが、愛おしくて仕方ない。
愛しているからこそ、ハイドが言うように心を鬼にして彼のために気持ちを偽るべきなのだろうか。
ぐっと息を飲んだ。ゆっくりと彼から体を離す。
「……シオン。わたくしも。わたくしも、あなたを愛しておりますわ」
偽りの音を紡げないのも、きっと自分の弱さだ。




