6 [ハイド] 愛という錯覚は呪いに違いない
ハイド視点の、アリサとニゲラのデートの裏側で起きていたこと。
冒頭で少し時間をさかのぼります。
生徒会メンバーで建国祭を回ることになった、1日目。
馬車で着いたのと同時に、ニゲラがアリサを連れて抜けた。
(最初からそういう話でしたが。ここまで堂々と連れていかれるとは)
フォンの笑顔は仮面のようだ。心中は穏やかではないだろう。どう見ても両思いだったのに、横からかっさらわれてしまったのだから。
取り戻そうとするのかと思いきや、今のところはその気配はない。何か受け入れる理由があるのだろうか。
「ボクらはどうしましょうか」
ニゲラとアリサの背を見送ってから、固まったままのフォンに尋ねてみる。
「どうって? 僕たちは僕たちで建国祭を回るんでしょ?」
当たり前のように答えられ、フォンが歩き出す。
つかず離れず、わずかにアリサたちが見える距離を保って移動しているのは、意図的なのか無意識なのか。指摘したら否定されそうだから気づいていないふりをしておく。
「アリサ様、楽しそうですね」
「はい。あんなデートに憧れますわ」
女性陣はのんきなものだ。ウルヴィは少し嫉妬が混ざっているようだが、立場は弁えている感じがする。
「俺たちはもう少し離れた方がいいんじゃないか?」
「そのうち距離ができるんじゃない?」
アルピウムの正論に、フォンがさらりと答える。その足はアリサたちを追っているから、きっと最後まで近くにいるだろう。
(どういうつもりなんですかね)
欲しいものが人のものになった時にとれる手段は二つだけだ。どうにかして手に入れるか、あきらめるか。今のフォンはどっちつかずだ。
自分のようにさっさとあきらめれば楽なのに。そう思うのと同時に、それができない思いというものに興味はある。
そろそろ家に戻ろうかというころに、ニゲラがアリサにキスをしたように見えた。遠目にそう感じただけで、実際のところはわからない。
隣のフォンから表情が抜け落ちて、石化していた。
夕食に戻ってきたアリサは、心なしか泣いた後のように見えた。
女性陣がいるうちは、フォンも笑顔の仮面を外さなかった。大変だったのは帰ってからだ。
アルピウムが鍛錬をすると言って庭に走り込みに行ってすぐ、自分が野暮用から戻ったら、開戦したところだった。
「ニゲラ兄様、どういうことかな?」
普段はすべての感情を笑顔で覆って隠してしまうフォンが、見たことのない顔をしていた。
(あの時に近いようでいて、かなり上な気もしますね)
前に、帝王学科武術大会の応援席からアリサを連れ出したことがある。フォンから後で二人で話そうと言われ、その予告通り、後日個人的に呼び出された。
何を話していたのかを洗いざらい吐くように言われて肩をすくめたものだ。そこまでの独占欲を見せても、本人は何もしていないつもりでいるのだから恐ろしい。
「どう、とは?」
対するニゲラは心ここにあらずといった感じか。アリサのことでも考えていたのだろう。
「なんでアリサを泣かせたの?」
「なんで……、泣くとは思わなかったから、拙も驚いている」
「何をしたのさ」
「それは……、言いたくない」
「ふーん?」
フォンにしてはとても冷たい声がした。
「この際だから言っておくけど。僕は僕だけの世界に閉じ込めたいくらい、アリサが好きだから。アリサがこの道を選んだから飲み込んでいるだけなの、覚えておいて。
2度と泣かせないでね? もしまた次に泣かせたら、どんな手を使ってでも奪い取るからね」
(『この道を選んだ』、ですか)
ニゲラを選んだとは言わないところに真実がある気がする。アリサがフォンではなくニゲラのところにいる理由を、フォンは知っていそうだ。
ニゲラはただ、「わかった」と頷いただけだった。
(この王子様はどこまで見えているのでしょうね?)
泣かせたことは自分に非があると思っていそうだ。が、それだけではないかもしれない。
次の日、ニゲラがみんなで回ることを提案したら、アリサの方から二人きりがいいと返った。フォンはしっかりと笑顔の仮面を被っていた。
(で、今日も、つかず離れずで後をつける、と)
アルピウムが騎士団の公開演習に行くと言ったタイミングや、女性たちが時間がかかりそうな列に並ぼうとした時には、「いってらっしゃい」とさりげなく送って、フォンは自分も行くという選択肢を絶っていた。
結果、ほとんどの時間を自分とフォンで過ごすことになった。おかげで観察し放題だ。
ニゲラとアリサは最初こそ少しぎくしゃくしていたものの、表面的に仲良くなったように見えていた昨日より、距離が近くなっている感じがした。
(雨降って地固まる、でしょうか)
あまつさえ、公園でいちゃいちゃし始めた。キスこそしていなかったけれど、完全に恋人の距離だ。
アリサは言っていた。
思いというものは、共に歩むことが決まった相手と協力しあって育むものだと。
(貴女は……、それを体現できる人なのですね)
もし彼女が母だったなら、今も自分のそばにいただろうか。
恐る恐るフォンを見たら、自分がいることを忘れているかのように歯を噛み締めていた。
(難儀なものですね)
ここまできたらもう、好きだという気持ちは呪いだろう。叶う恋は人を幸せにすることもあるだろうが、叶わない思いに縛られることほど苦しいことはないのかもしれない。
ふいに、吟遊詩人の歌声が耳に入った。建国祭の中心地では許可されていないから、外れにあるこの公園で歌っているのだろう。
何気なく見やったら、そのそばに見覚えがある顔があった。切り刻まれた肖像画で見た女性によく似ている。
(まさか……、母上……?)
愛に生きて自分を捨てたその人は、ボロに継ぎを当てた服に身を包み、物乞いのような姿で、吟遊詩人への心付けを集めている。
そこにかつての公爵夫人らしい面影はなく、やつれて歳をとり、目も落ち窪んでいて、決して幸せそうには見えない。
「はは……」
乾いた笑いがこぼれる。あんな女に囚われていた自分がバカらしい。
財布を持ってフォンの横を離れる。市井ではめったに見ない、金貨を一枚、女が差し出した帽子に放りこむ。
「ありがとうございますっ! ありがとうございます……!」
地面につくのではないかというほどに頭を下げられる。
認識阻害の魔道具を外したら、一瞬目が合った。
心からの蔑みを込めて見下ろして、その場を立ち去る。
そんな生活がすべてを捨てても得たかったものだというのだろうか。バカらしい。
叶っても叶わなくてもろくなことにならないなら、愛という錯覚は呪いに違いない。むしろ一生わからない方が幸せなのかもしれない。




