13 [フォン] 僕の大事なマシュマロちゃん
アリサ・エマ・トゥーンベリ。
初めて彼女に会ったのは、物心がついて少ししたくらいの、まだ幼いころだった。
出された食事を吐いて、毒を盛られていたことを知った後、食べ物を口に入れるのが怖くなっていた。
この世界には自分の死を望む人がいる。それが誰かはわからない。恐怖と絶望に取り憑かれて、どんどん周りの目が怖くなっていった。
誰一人信用していなかったと思う。
育ち盛りなのに体重が増えるどころか減っていくのを、どうにかするためだったのだろうか。母に避暑という名目で王宮から連れ出され、北に領地があるトゥーンベリに世話になった。
歓迎パーティは内輪だけで、それぞれに好きな食べ物を皿に取る形だった。今から思えば、ほとんど食べ物を口にしない自分が何を選ぶのかを見るためだったのかもしれない。
そこに彼女がいた。
ひとつ下の、おっとりとしたかわいらしい子だった。
話に興じる大人をよそに、並ぶ食べ物に目を輝かせて、それはおいしそうに食べていく。
その様子を見ていたら久しぶりにお腹が鳴って、食べ物に少しだけ興味を持った。
「おいしい?」
声をかけると彼女はわずかに驚いて、恥ずかしそうにしてから、パァッと笑った。
「はい! めしあがりますか?」
彼女の皿から食べかけのテリーヌを一口、フォークに刺して差し出される。
(この子が安心して食べていたもの……)
それは、口にしても大丈夫な気がした。
「ちょっ、アリサ!!!」
なんという無礼を。そんな音を含んで彼女の母が叫んだ時には、彼女のフォークから食べさせてもらっていた。
(おいしい……!)
事件の日から、無理やり食べさせられてきた食べ物の味は感じていなかった。何かをおいしいと思ったのは久しぶりだった。
「きにいられたなら、うれしいですわ」
表情でわかったのだろうか。彼女が本当に嬉しそうに笑う。
(ぁ……)
この子の前では、自分は生きていていいのだと思った。
「こちらもおいしいですわよ?」
今度は魚のポワレだろうか。差し出されたそれは、口にする前に止められた。
「アリサ! やめなさいっ!! 申し訳ありません、フォン様。まだ幼くて、礼儀作法も勉強中で……」
「ううん。ぼく、アリサが食べてるものをアリサといっしょに食べたい」
そんなふうに希望を主張したのは初めてだったと思う。
アリサの母親が困ったように母を見た。母が鷹揚にひとつ頷いた。
隣に並んで、彼女が選んできたものを二人で分けて食べる。彼女は何を食べても幸せそうで、こんな幸せな世界があるのかと思った。
「おいしいですか? フォンさま」
「うん。アリサがくれるものは、みんなおいしいね」
「うれしいですわ」
「……シオン」
周りの大人や彼女の姉には聞こえないように、こそっと耳打ちをする。
「え?」
「ぼくは、フォン・シオン・テオプラストス。きみは?」
「ミドルネームはエマですわ。アリサ・エマ・トゥーンベリですの」
内緒話の遊びだとでも思ったのだろうか。彼女もこっそりと教えてくれた。
(エマ……)
特別な人しか知らない特別な名前。それを手にできたのが嬉しい。
ひととおり料理を食べてからデザートに入る。彼女がガラスボウルにいっぱいの、一口サイズの白い物体を運んでくる。
謎の物体には怪しさしかないのに、エマは迷わずに口に入れて笑みをこぼした。
「それはなに?」
「マシュマロですわ。王宮のほうから、はやってきたと。フォンさまはめしあがられたことがないのですか?」
言って、彼女が品よく、次から次に手で口に運んでいく。
つい、小さく笑ってしまう。本心で笑ったのはいつ以来だろうか。
「めしあがらないのですか?」
「アリサが食べさせて?」
「えっと……」
フォークやスプーンに彼女の視線がいく。ククッと笑って、彼女が手にしたままのマシュマロをパクッと食べた。
初めて食べたマシュマロは、驚くほど甘くて柔らかくて、おいしかった。
偶然触れた彼女の頬のようだ。こんなに心地よくて安心できる存在は他に知らない。
この時から、エマは大事な大事なマシュマロちゃんだ。
彼女の近くにいられる時にだけ生きていて良かったと思えて、彼女がいるから、この世界で生きたいと思った。
トゥーンベリでしばらく過ごして帰るころには、信頼できる人が毒味をしてくれたものならまた食べられるようになっていた。
王太子である自分の伴侶、王妃になる相手を選ぶのは家だ。筆頭公爵家とはいえ、次女の彼女がその立場を得ることはないだろう。
初めからそれはわかっていた。
彼女の姉との縁談で、家族になれる。ずっと切れない縁を持てる。あの時にはそれが嬉しかった。
自分の力不足で、その道も絶たれてしまったけれど。
ほんの一時、エマと二人きりになった時に特別な名を呼び返された。抑えられない衝動のままに唇を触れ合わせてしまった。
おいしいものを食べた時に勝る幸せそうな顔をされて、割り切って手放せるはずなんてない。
彼女をも巻きこむかもしれない危険を取り払って、それから、前例がなくても、どんな困難があっても彼女を王妃に迎える。
そう決意した。
彼女は、自分とはまた違った決意を秘めているように見えた。
「フォン様!!!!!」
目を覚ましたら、そこにエマがいた。ここは天国だろうか。
「よかった……」
(泣き顔もかわいいなぁ……)
のんきなことを思って、腕を伸ばして彼女の頭を撫でようとする。
が、自分の手が届くより早く、彼女の肩を抱き寄せた男の手があった。
「アリサ。あとは拙が」
「……はい、ニゲラ様。ご寛容とご尽力に感謝いたしますわ」
(ニゲラ兄様……)
『アリサ嬢』と呼んでいた兄が、彼女を『アリサ』と呼び捨てにした。その意味は瞬時に理解した。
あの時、エマはこう言った。
「あなたが安心してこの国を治められるように、わたくしはわたくしにできる最大限をするつもりでいますわ。
この先でどのような道を歩いても、わたくしの心はあなたの元に。それを信じてくださいますか?」
(きみは……、ニゲラ兄様を選ぶことで僕を守ったんだね)
悔しい。
不甲斐ない自分が。
あふれ出る涙を隠すために、上げた腕を顔に落とした。
お読みいただき、ありがとうございます。
第3章完結です。
もし気に入っていただけていましたら、ブクマや反応、感想、★5評価などをいただけると励みになります。
フォンと気持ちを通わせながらも、フォンのためにニゲラのそばに立つことを決めたアリサ。
更なる真実が明らかになり、3人の関係も変わっていく、
第4章建国祭編もお楽しみいただけると嬉しいです。




