12 大切なあなたを守るために
観戦席と闘技場を隔てる壁を乗り越えようかと思ったが、真似する人が出たら困る。踵を返して建物に飛びこみ、選手用の出入り口に向かう。
再びフォンの姿を目にした時には、応急処置がされた状態で、廊下を救護班に運ばれているところだった。観客からはもう見えなくなっている。
「フォン様は?!」
そばについているニゲラとアルピウムに尋ねる。
「アリサ嬢……」
ニゲラが眉を落とす。ほんのわずかな間ももどかしくてアルピウムを見上げる。
「いったん離脱して回復して戻れればよかったのだろうが、ブラッディサンダーホーンが執拗にフォン様を狙って、その隙が作れなかった。おそらく、最も血の臭いがしていたからだろう。
呼吸はあり心臓も動いているが、意識はない。内側の損傷がひどいようで、回復の魔道具をもってしてもいつ治るのか、いつ意識を取り戻すのかは不明とのことだ。
俺も共に戦っていたというのに、面目ない」
アルピウムが心底悔しそうに言った。
(アルピウムさんは公正ですわ……)
フォンに対してもニゲラに対しても、騎士として、戦友として、最大限の動きをしているように見えた。
「ヤロウさんは?」
共に戦っていた中で、ヤロウだけがこの場についてきていない。
ニゲラが答えてくれる。
「ショックを受けたように立ち尽くしていたため、闘技場で他の者に付き添われている」
「そうですのね……」
(たぶん……、ヤロウさんは黒ですわね)
ヤロウの立ち回りによってフォンが不利になっていた部分があるように感じている。その結果を目の当たりにして、受け止めきれなかったのだろう。
事情があってそうしていたと仮定するなら、背後にはきっと、シノビがいる。
一刻も待ってはいけないと思った。
フォンの命を狙う敵がいるとして、重体で治療中のフォンは格好の的だ。
その影はフォンのすぐそばにずっとついていた可能性が高いことが、今回わかった。
「ニゲラ様。大事なお話があります。一緒に来ていただけますか? それほどお時間は取らせませんわ」
「ふむ……?」
話が読めないという様子のニゲラの手を引き、選手用の控え室のうちの一室に入る。
ニゲラの付き人とミズキは同席させる形で扉を閉める。
「ニゲラ様。わたくしはあなたの隣に立ち、あなたの願いを叶えるために尽力いたしますわ。トゥーンベリ公爵家はわたくしの選んだ道を支持すると、両親の言も得ております。
だから……、どうかお願いいたします。フォン様の命を助けてくださいませ」
理想はニゲラにトゥーンベリに降ってもらうことだけど、今はそれどころではない。フォンがこの世界からいなくなってしまったら何もかもが手遅れだ。
ニゲラの願いを叶えるため。その願いを変えられるかは今後に先送りして、そう表現した。
ニゲラがいつものアンニュイな表情のまま、どこか困ったように答える。
「アリサ嬢。申し出を受けてもらえるのは嬉しいが。フォンの治療に対して、拙にできることがない。その点で力になることはできない」
「いいえ。いいえ、ニゲラ様。フォン様を狙うシノビを止めていただきたいのです! それはニゲラ様にしかできないことですわ」
「シノビ……」
考えこむようにつぶやいたニゲラに畳みかける。
「フォン様の付き人が、国王様からのプレゼントだと言ってフォン様にこれを渡しておりました。このブローチによって、フォン様だけがカリプトラサスケルに狙われていたのですわ」
「フォンの付き人が……?」
ニゲラも知らなかったのだろう。本気で驚いたように目を見開かれた。
フォンの付き人は白髪だ。シノビの一族の黒髪ではない。けれど、歳をとれば髪は白くなる。十分にありえる可能性だ。
ニゲラが口元に手を当てて、しばらく考えてから続ける。
「わかった。その者は拙がどうにかしよう。それでいいだろうか」
「はい! ありがとうございます。重ねてで申し訳ないのですが、どうか他のシノビたちにも、フォン様の命を狙うのだけはやめていただきたいのです。ニゲラ様の望みが叶うのなら、そこまでする必要はないのではありませんか?」
「いや……、アリサ嬢は思い違いをされておられる」
「思い違い、ですの?」
「武術大会の模擬戦でランプランサス辺境伯家のスペクタに扮した者がいたであろう?」
「はい。黒髪の……」
あの時もフォンは大けがをさせられた。忘れるはずがない。
「あの者には見覚えがあった故、拙の周りのシノビに問いただした。しかるべき対処をし、手出し無用と言いつけてある。
フォンの付き人はシノビであるかを拙は知らぬし、本人の意思なのか背後に誰かいるのかもわからぬ。もちろん拙が命じたわけでもない」
「え……」
「シノビの家系は長い年月のうちに分かれておる故、拙もすべては把握していない。拙の周りの者が拙を国王にと強く願い、時に強硬手段に出る者もいるのは確かであるが。
拙の半身がこの国のものではなく、反感を持つ者も多いという身の程は弁えている。故に、王太子の地位を得られていないことに不満はない。
今後それを望むのなら、アリサ嬢の協力と同等かそれ以上に、フォンの理解と協力を得る必要があると思っている。でなければ半分よそ者である拙がこの国を平和的に治めてはいけぬであろう」
驚いた。
この人は今まで見えていた以上に、よく世界を見通している。
フォンが暗殺されて得をするのはニゲラだと、普通は思う。だからこそ一番疑われるのもニゲラで、そのニゲラが国を治めることに、表面上は仕方ないとしても本心では承服しない貴族は多いはずだ。その治世は前途多難なものになるだろう。
一方で、フォンがニゲラの下について支えるなら。いろいろな不満があったとしても、きっとフォンがそれをうまく吸収する。
「では……、ニゲラ様ができ得る範囲で、ニゲラ様ご自身のためにも、今後もフォン様の暗殺を止めていただけますか?」
「ああ。尽力すると約束する」
「ありがとうございます」
すべてが解決したわけではない。けれど、一歩前進したと信じたい。




