7時間目 LHR ④
「ぐっ……ぁぁっ…………!」
イサミは衝撃波に吹き飛ばされ、空中できりもみし、強かに体を打ちつけた。
薬を摂取してからの経過が長く、もはや鋼体効果は望めなかったようだ。鈍い音を立てて落下した体に痛みと熱が襲う。
先の一刀で体力を使い果たしていたこともあり、体を震わせることはできても、起こすことさえままならない。
ただでさえ乱れた呼吸に、王の血の錆臭さと益々強くなる腐臭が混じり、喉の奥からすえた不快感が募る。
両腕を支えに四つん這いになることが精一杯だった。
刀は遠くに転がり、炎を失っていた。
「ぐはっ……」
支えきれなかった体を床に落とし、どうにか寝返る。
「はぁ……はぁ……」
胸部を大きく上下させられる分、呼吸だけは少し楽になった。
「はぁ…………あれ……?」
視界に映るのは、蒼い空と銀色の月だ。
「空……」
天井が吹き飛び、聖域に巨大な穴が開いてしまっている。
「ダァァァァァァァァァッハッハッハァ!」
その得体の知れない笑い声に、脳が痺れた。
突如顕現した禍々しい気配に、疲労で膿んでいた体が目を覚ます。
倒れたまま顎を持ち上げる。
逆さに見えるのは王の足の裏。
カージョン王の体は、自分と同じく床に倒れていた。
イサミは寝返りをうち、肘で体を起こした。
王の静かな体は、笑っている様には見えない。
胸を襲う焦燥感に押されてイサミは体を立たせた。
「な……なんだよ……」
カージョン王の体の上空には、影とも幻影とも言えぬ妖しい気配が、人型の輪郭を描いたような存在が浮かび上がっていた。
「どうだイサミクン、ワタシの真の姿は!」
その呼ばれ方には覚えがあった。やたらに響く声音は知らないものだった。声なのか、直接脳に語り掛けているのかもわからない。
「は? え? ど、どういうことだよ…………」
人とは都合よく解釈する生き物だ。三つの点があれば、それだけでそこを顔と認識してしまう。
まして人の形をしたそれの、頭部らしき場所にそれらがあれば否定することさえ難しい。
ただ、点や丸ではなく、歪な菱形の目、逆三角形の口だったが。
「お、王はだって……」
影の下、王の血まみれの体は横たわっている。もはやその体こそが影となっていた。
「お、お前……誰だ……?」
イサミの瞳が震える。
「誰って……つれないこと言うなよイサミくん! ついさっきまで刃を交えてたじゃない?」
「そ、そんな……お、俺が戦ってたのは、カージョン王ではなかったって言うのかよ……。お、お前……まさか、ルミナーラたちが言っていた、闇の眷族の……」
「あ、やっぱり知ってたんじゃないかぁ。ガッガッガッガ!」
「ど、どういうことだよ……王は……勇者は……魔王だったってのかよ!」
魔王が腕を振り上げる。
その気配を感じ取り、イサミは必死に刀を拾いに向かう。
魔王はその場で切り裂くように腕を振り下ろした。
魔の気配が具現化され、紫苑の刃となってイサミへ飛来する。
「――ぐっ!」
地面から拾い上げた勢いを乗せて、イサミは刀を払う。
弧状の斬撃。
刃先がぶつかる。
鼓膜を突き刺す甲高い金属音が響き渡る。
一時的に聴力を失った。
それが分かったのは、弾いた斬撃が聖域の石柱を斬り、石柱が崩れても音が聞こえてこなかったからだ。
「ありゃりゃ……まだ本調子じゃないねえ。肉体の再生も間に合ってないから仕方ないけど」
己の手や体を眺めながら魔王は簡単に言ってのける。
「どういうことか知らねぇけど……」
イサミは破れかけていた制服を脱ぎ、引き裂いた。
乱雑に簡易の晒にすると、右手と口とを使って、左手を刀の柄に固定する。血のりと合わさり、どす黒い包帯は手を固めた。
震える右手も添えて、中段に構える。
「生かしておくわけにはいかないみたいだな、お前は……!」
「それはこっちのセリフだイサミクン……! もう君には用はない。安心して死んでくれるかなあああああああああ!」
「――くっ……!」
リーナは、ロウマ平原に片膝をついた。
「クックックゥ……。ほうら?」
シャドウは微笑を浮かべ、手の甲を口元に添えた。
「アナタがアタシに勝てるわけないじゃない?」
リーナの白い肌に作られた紅い筋は、皮肉にも映える。
鎧は砕かれてもなお、急ごしらえの無名の槍は折れずにいた。
予め水――氷を纏わせていたのも一因だが、音もなく迫る敵との戦いは、間合いを掴むことが難しく、槍で受け止めることや、弾くことが満足にできなかった結果でもあった。
シャドウは気味の悪い人物として王国軍でも嫌悪されていた存在だが、その実力は本物だった。
「所詮はお飾りで師団長に祭り上げられただけなのに」
精神的にも優位なシャドウは背中に月を背負いながら、影の中にニタリと三日月形に歯だけを浮かび上がらせた。
「うるさい! そんなことは私が……一番分かっている…………!」
槍を握る手に力が籠り、ぎゅうっとか弱い音が鳴る。
憎しみが集まったように顔へ険しさを作ったリーナだが、それがシャドウの射幸心を煽る。
「んふふ~ん。いるのよねえ。ちょぉ~っと魔術が使えたからって自分のことが優秀だと勘違いする人。……特にあんたみたいな貴族階級はね。ただ世間の目を誤魔化すために抜擢されたことも知らずに」
最初こそシャドウの言葉に苛立っていたが、その途中からの内容に、次第にリーナは顔の緊張が弛緩してしまう。
「ど、どういうことですか……? 世間の目……?」
肩をわずかに下げながら言った。
「あ、つい言っちゃった。これ秘密だったのにぃ。ま、いっか。あなたどうせ死んじゃうし」
シャドウはぺろりと舌を出してみせるが、呆然とするリーナにはその行為に対して感情を作る余裕さえなかった。
「王様とイノス様が『貴族の大粛清』をしちゃったでしょ? でも表向きにはそれを隠すためにあんたの家みたいな田舎の貴族やら王家の遠い遠~い末裔やらを無理やり王都に引っ張ってきたのよ」
「しゅ、粛清……?」
「あんたそんなことも知らないの? あんたの家と入れ替わりに沢山王都から出て行ってたでしょうが」
シャドウはため息混じりに言った。
「あ、あれは、国土の開拓と主に海防のため、治安維持のために派遣されたと……」
リーナの声よりも、夜風が草原の草を撫でる音の方が大きくなっていた。
「アッハッハ。……バカね。じゃああんた、特別に見逃してあげるからその家々を訪ねてみなさいな。みーんな死んでるわよ?」
どこまでもリーナをからかうためにふざけた態度でシャドウは言う。
そんな言葉が信頼に足るものか疑わしい――と、突き放すこともできない。
リーナの頭の中には、ホリックの町、そしてそこで知った世界の影、現実に出会った人たちの顔が浮かんでいた。
「う、嘘だ……! 下らぬ虚言で私を、乱そうとしているだけだ……」
動いていないのに、リーナの呼吸は乱れていく。
「嘘じゃないわよ。だって手を下した本人が言ってるんだもの」
シャドウは間を置かない。ニタニタと嘲笑を浮かべ、いやらしさを滲ませていく。
「な……なぜそんな……一体王様は何を考えているのだ……」
「安心しなさい。あんたは何も知らず、絶望のまま死んじゃうんだから!」
シャドウの猛攻がリーナを襲う。
足下が崩れ落ちたような精神の中、槍を勇猛に振えるはずもなく、防戦一方になる。
右前腕。
左大腿。
左脇腹。
シャドウの三本の鉤爪があっさりと筋を作る。
防ぐことも満足にできない。
「あっ――!」
リーナの手から槍が弾かれてしまう。もはや力を込めることもできなかった。
そしてそれを言い訳にする時間もない。
「オホホ、もういいわあなた。そんな拍子抜けした顔だと全然美しくないもの。死んでちょうだい!」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオン!」
大地を震わせる雄たけびが聞こえてきた。
「今度は何!?」
苛立つシャドウが空を見上げる。
東の空を飛んできたのは聖獣グライフだった。
「え……な……なんであの獣がこん」
ミラーロがかつて乗り回していたことを知っているのだろう。
グライフの遠吠えは、シャドウの力を以てしても無音化することができない。
風を操ろうにも聖獣の両翼が生み出す風に乱されてしまう。
しかし――それ以前の問題だった。
「……?」
リーナは眉間を皺寄せて、シャドウを見つめる。
シャドウが言葉を途中辞めに、空を見上げたまま動ない。
すでにその方角にはグライフはおらず、今はもう反対側の西の空を旋回しているというのに。
「………………」
時が止まったように、固まっている。
グライフはそのまま急降下してきて、シャドウの体を翼で弾き飛ばしてしまった。
やはりシャドウは一切の防御反応も見せず、悲鳴も上げず、打撃を受け入れてしまっていた。
シャドウを襲った鈍い打撃音は、グライフの滑空に伴い発生する衝撃波や鳴き声、翼など種々の音に簡単にかき消されてしまった。
紙屑のようにあっさりと宙を舞ったシャドウの体は、やがて草原に落下する。受け身さえとらず、ごろりごろりと転がった体の関節は、おかしな方向を向いていた。
しかしリーナにはそれが見えない。暗い中での話であることもそうだが、
「も、もしかして……聖獣……?」
今彼女は夜空を舞う聖獣に目を奪われていた。
「グライフ様!」
思わず駆け寄ってきたルミナーラが声を張る。
「ルミナーラ様、ご存知なのですか?」
「ああ。イサミとその仲間が、聖獣グライフ様を救い、その力を借りていたのでな」
「聖獣を……」
救った……?――その声はかすれていてルミナーラには聞こえなかった。
――……私は、知らないことが多すぎる……。
リーナは口の端を噛みしめた。唇から流れた血は、他の傷口より流れていた血に混じり、すぐに見分けがつかなくなった。
グライフは、その速度の余韻をなだめるように東の彼方でくるりとこちらに旋回した。
戦っていた義勇軍もその雄姿に目を奪われていく。
一方で、第三師団の兵士たちは、シャドウが彼方に飛ばされたことで動揺が走る。
戦場に一瞬の弛緩が訪れた。
その瞬間をトリヒスは見逃さなかった。
「今だかかれ!」
義勇軍たちを鼓舞する彼の檄に、士気は益々上昇した。
師団長を失った第三師団はもろく、義勇軍の剣に応じることもなく退避していった。
ほどなくしてロウマ平原の戦いは突然の幕引きを迎えようとしていた。
やがてグライフが静かに地上に降り立つ頃、帳は完全に降りてしまったのだった。
鷲のような鋭い嘴の奥でぐるぐると喉を鳴らしているように聞こえるが、リーナには何を言っているのかわからない。
「……そうか、セイマがここに来るように言ってくれてたのか」
「わ、わかるのですかルミナーラ様」
「あ、あぁ……。なんとなくだけど。どうやらこれも王家の力というものらしい」
そしてグライフは自分の体を中心に半球状の膜を作る。
水色のその膜を展開しながら、戦っていた兵士たちや、倒れた義勇軍の人々の周りを練り歩く。
すると、みるみるうちに傷が癒え、倒れていた味方が回復し、立ち上がっていった。
まるで再会したかのように抱き合う兵士たち。歓喜の声がそこかしこから湧き上がる。
しかし。
「リーナ様……」
第六師団の兵士の一人が険しい顔を浮かべて近づいてきた。
「どうした?」
「エッジ様が……」
「エッジ!」
ルミナーラが草原に横たわらせていたエッジの側に両膝をつく。
周りには傷がいえた旧王家の家臣団を中心とした義勇軍、その外側を第六師団の面々が囲う。
ルミナーラが振り返った。
人々の群れの向こう側に佇む聖獣グライフが、その鷲の頭を左右に振った。そして展開していた膜を、誰に気付かれることもなく静かに閉じた。
「……姫様……」
エッジの右手がゆっくりと地面から持ち上がる。再び地面に落ちることの無い様にルミナーラが必死にしがみついた。
「共に……王都に帰ることができぬ老いぼれを、どうかお許しいただきたい」
エッジの瞳は、もはやルミナーラの顔を捉えていない。
宙を彷徨う埃でも見つめているかのようだった。
「ならぬ! エッジ、死んではならぬ。こんなところで……もう一度王都に戻って私を支えてくれると約束したではないか」
「信じておりますぞ。姫様が雪辱を果たされることを」
もはやエッジは会話ができていなかった。
「わしも先代王、それからそのお父上……姫様のおじい様のころから王家に仕えておりましたが……姫様、恐れ多くも姫様が一番……王家として………………………」
言葉の続きを皆が待っていた。
が、その言葉は未来永劫語られることはなかった。
エッジの瞳の光が消えた。
手を握っていたルミナーラには、その最期の瞬間が嫌というほど伝わってきた。
ルミナーラの叫ぶ声だけが、ロウマ平原の空に響き渡るのだった。
ここまでお読みくださいましてありがとうございます!
次回は日曜日更新です!
リアクションありがとうございます(^^♪
(でも催促しているような気もするので、このお礼は今回で最後にさせていただきます!)
あと少しですが引き続きよろしくお願いいたします。




