4時間目 体育・課外授業 後③
「――その前にあれ、読んで下さるかしら?」
アイサが言った。まだ血は足りていないのか立ってはいるが、芒のように微かに右に左と揺れている。
指さしたそれは石碑だ。この巨大な窪み『王家のあやまち』を記念して建てられたものだろうか。
石碑は丁寧に磨かれた石の台座に置かれており、丸く磨かれた白い砂利が敷き詰められていた。
その周囲は綺麗な緑の芝が生え、雑草の一つも見当たらない。
周囲の自然なまま生え育ち、色あせている木々や草花とは違っていた。明らかにその場だけ後から手を加えられている。
じろじろと眺めまわすアイサを気遣うように、後ろからトリヒスが言う。
「ルインズの村の民が守りをするように命じられているのです。そのわずかな報酬だけがあの村の財源となっています」
アイサは気のない返事と共に肯く。
「……記念碑。だけど、まるでお墓みたいね」
どうにかそばまでたどり着いたアイサは、やはりまだ疲れているのか、芝生の上に座り込んだ。
その言葉に、素早く振り返ったトリヒスは瞼だけでは飽き足らず瞳孔までも開いていた。
「ご、ご存知だったのですか?」
「……いえ何も。でも、その反応を踏まえたら当たってたみたいね」
「っ……!」
トリヒスは、動揺を見せてしまった自分を戒めるように口の端を噛みしめた。
「ひとまず、お願いできますかしら?」
アイサに促され、トリヒスは改めて石碑に相対した。標準よりやや高い背丈のトリヒスが、それでもわずかに見上げるほどの立派な石碑だ。
「『我が仲間にして 最愛の友人 ミララセ・エイリーブス ここに眠る』」
石碑に彫られた字に指先を添えながら、トリヒスは読み上げた。建立した者は、現王であるカージョン王であるということも添えられた。
その重厚な声音がいつにも増して重く、聞く者の腹に響く。深い思いが込められていることは否応にも伝わってきた。
「ここに眠る……。ということはやはり死んだのね」
アイサは地面に寝そべったまま言った。左手で頭を支えて横向きに寝転ぶ姿は、その周辺の環境をまるで休日のリビングに変化させている。
人に読ませておいて失礼な態度に見えるが、立つのがしんどいらしく、それはトリヒスも承知の上だった。
「はっ……。そうです。ミララセ殿は、こちらで命を絶たれました」
「ミララセって、誰です?」
ゆっくりと言葉を吐きだすトリヒスに対し、間髪入れずアイサは問う。
感情の変化に乏しいがゆえか、アイサの静かな視線に、トリヒスは射貫かれたように体を強張らせた。
「……ミララセ殿は、かつて闇の眷族からこの国を救ってくださった勇者と共に戦った仲間のうちの一人である魔術師でございます」
「なるほど」
あっさりと肯く。驚きもせず、すぐさま答える態度に、やはり察していたのかとトリヒスは複雑な表情を浮かべた。
「ちなみにですけど、そのミララセという方、女性かしら?」
その一言で、トリヒスは再び瞳孔を開くが、すぐに肩の力を抜いた。嘲笑にも似た笑みを浮かべて答える。
「お察しの通りでございます」
何かの枷でも外れたかのように彼もまたよどみなく答える。そしてアイサのそばまでやってくると彼女の脚の先で正座した。
静かな視線を石碑に向けると、右手で左手首を掴み、そのまま右手の甲を額の高さにまで持ち上げていた。
アイサはその様子を黙って見ていたが、やがてトリヒスが腕を降ろした所で再び尋ねる。
「それなら納得ね。……この場所は、『王家のあやまち』と称されているのですよね? それって、一応聞くけど、当時の王家が名付けたの? それとも、今の王が名付けたのかしら?」
まぁあまり変わらないかもしれないけど――。アイサはそう付け加えた。
「ただの俗称です。我ら旧王家の間で呼称していたものですが、いつしか全土でそう呼ばれるようになりました」
トリヒスの固く閉ざした眼は、ある種の覚悟を言葉以上に物語る。
「本来ならばミララセさんのお墓とでも呼ばれていたのかもしれないわね。それが都合よく隠せるから『王家のあやまち』の方が定着したとも考えられますわ」
「そうかもしれません……」
「ということは、旧王家の間でそんな王家を蔑むような表現を使うということは……、トリヒスさんたちが、ミララセさんを殺したということかしら?」
「…………」
沈黙するトリヒスの横顔は痩せこけていて、深い影を作っていた。
「随分と派手な倒し方するのですね。嫌いじゃないですけど」
場を和ませるつもりの冗談なのか、本気なのか、恐らく後者だろう。
トリヒスは口を真一文字に結び、唸るように呟く。
「ミララセ殿は……彼女は、非常に優秀な魔術師でした。悟られる前に、抗われる前に、一気にかたをつけよと……」
言葉を一つこぼすたびに、トリヒスの力が失われるようだった。
「そう王様……、ルミナーラの父親が言ったのかしら?」
しかしアイサは質問を止めない。
「ですが!」
トリヒスは上半身を左にねじり、語気を強める。
爪先から脚、上体、そして顔へと視線を移す。
その位置関係から、アイサの視線は見降ろすようなものになってしまう。
切れ長の瞼から覗く血に染まった瞳は、精気を奪うようだった。
先の戦闘、そしてその後シセリーの亡骸にしたアイサの行為を思い出し、小さく身震いする。
秘密にしてくれと言われたが、トリヒスの脳にはその光景が刻まれている。
アイサが、シセリーの流した血を啜る姿が――。
トリヒスはねじった体を元に戻し、石碑に懺悔するように続ける。
「……ですが王様は、最後まで悩まれ、そして最期まで、悔やまれていました」
エスポフィリア王を思い出し、トリヒスは目頭を押さえる。
アイサは視線を外し、石碑を見つめると、トリヒスには聞こえない程度のため息を鼻で吐いた。
そしてゆるゆると上半身を起こす。
「わからないわね。現王と共に戦ったその人は、いわば国の英雄でしょ?」
「はい。ですが、当時の貴族たちは、彼らの力の行く末を怖れ、あろうことか始末せよ……と」
トリヒスは正座する大腿の腕で、拳を強く握りしめる。
「貴族中心の議会政治だったってわけね?」
「はっ。国王様はその段階で勇者殿に王位の継承権と、妃様とのご結婚をお話しされていました。しかし、いずれにしろ二人同時に始末するのは難しいだろうということで、この旧ルインズ地区の浄化の任をミララセ殿に命じ、一人になったところを……」
トリヒスは、続きを憚る様に口を閉ざす。
「始末したのね。そして勇者殿は激しく怒った。そして……元王様を殺したのね?」
「はっ……。あろうことか、ルミナーラ様の目の前で! お父上である王を!」
トリヒスの語気が強まる。
「突然のことで、我らも不覚を取り……無念です……うぅ!」
ついに堪えられず涙を流した。
「だから、ルミナーラは狙われているのね。いくら王位継承権を譲られていたとはいえ、いくら事に至った経緯があるとはいえ、先代の王を殺して王の座に就くとなると反乱にも取られかねない。まして対外的にはそんな事情知ったことではないし」
慰めることもなく、アイサは自身の見解をとめどなく語る。
下手な気遣いを嫌ったのか、もしくは嫌うかもしれないと思ったのか、それは誰にもわからない。
トリヒスは痩せてはいるが太く骨ばった手の甲で涙を拭う。
「……現王は、国民に向けては先代王が病死したと発表しました。事実を知るルミナーラ様を生かしておくわけにはいかないと全土に指名手配したのです。そして逃亡に加担した我らもまた同じ。そこからは王族とは思えぬ地獄のような辛い日々をお過ごしになられ、ようやくあの村に落ち着きました。王が忌み嫌う地でもありますので下手には近づかないであろうと考えて。……そして今に至るというわけでございます」
「そう……」
アイサは立ち上がる。ぱっぱと制服のジャケットやスカートをはたき、芝草を払った。
「それは、辛いでしょうね」
アイサが言った。
トリヒスは弾かれたように顔を上げ、アイサの横顔を眺めた。
やや肌寒くもある涼やかな風がアイサの髪を揺らしている。
いつの間にか紅い血の色が引き、元の白い眼玉と青みがかった黒い瞳に戻っている。
石碑に向けて細めたアイサの瞳にこもるのは憂いの色と、恨みのような暗い力のようにトリヒスには見えた。
そのことがトリヒスには驚くべきことだった。
ここまでどんな説明をしても特に感情を動かすこともなく、ともすれば煽るような歯に衣着せぬ物言い、また先のシセリーとの戦いにおいても不気味なほど冷静だった彼女が、明らかに感情を表していたからだ。
ほんのわずかなことだった、僅かな時間だった。だが、相手がアイサだからこそ、やたらに受け止めてしまった。
――シセリーのことも何か事情があってのことだろう。彼女は、本当は心優しき人物なのだ。だからこそ、最後にはシセリーの体を清めていたではないか……。己の命を狙った相手に、そんなこと、彼女の何十倍もの他人を殺めてきた私は考えたこともない。
呆然とアイサを眺めながらトリヒスが考えごとをしていると、彼女は慣れた手つきで後ろ髪をまとめて、大きな揚羽蝶のクリップで留めた。
そして肘の外側を手のひらで包むように腕を組んだ。
「三つ、気になることがあるわ」
アイサの口調が少しずつ砕けていく。トリヒスに何か感じることがあったのだろう。
「み、三つですか?」
不意を突かれる形になったトリヒスは、声を上擦らせた。
「ええ。一つは勇者の仲間はミララセさんだけではないんでしょ? さっき仲間のうちの一人って言ってたくらいだもの。他の人は今、何をしているのかしら? 次はご結婚された王妃様。当然先代王の娘、ルミナーラのお姉様でしょ? どうしてご無事なのかしら? そして最後の三つ目は、何故今まで見つけられなかったの? 二年以上の月日もかけて。イサミくんたちはあっさりミラーロとか言う変な人に見つけられてたわよ?」
矢継ぎ早に並べられた言葉。アイサの思考そのものにも感じられる速度だったが、トリヒスは戸惑うことなく、肯き一呼吸を入れると、言った。
「三つ目に関しては確証はありませんが……。それは――」
いつもお読みいただきありがとうございます!
リアクションも頂けてとても励みになっております!
どうにか最後まで頑張りますので引き続きよろしくお願いいたします。
次回は来週日曜日更新予定です!




