第89話 『Season in the Sea (11)』
住宅街にポツリと設置された街灯から漏れる明かりと、夜空高く上った月の明かり。
二つの明かりが、うっすらと“のんちゃん号”のど派手な車体を照らし出す。
沙紀の家の前に停車した“それ”は、大吾が近所迷惑になることを気遣ってか、すでにエンジンを停止していた。
のんちゃん号から降り立った“りん”と沙紀が、両手を上げて、大きく伸びをする。
やはり、狭い荷台に1時間以上座りっぱなしというのは……さすがにキツイ。
「あ~……お尻が痛いわ……」
「コッチは腰が痛いけどな……」
「あら、りんってば、おばあちゃんみたいだわね」
クスリと笑う沙紀の顔。
いつもはキリリとした表情の沙紀だが、笑う時だけは柔らかい表情になる。
沙紀の魅力的な一面だ。
時間は、もう21時半過ぎ。
荷台の扉を閉め終え、“りん”たちの傍らまで近づいてきた大吾が、申し訳なさそうに口を開いた。
「すまなかったね……こんな時間になっちまって」
「いえ……こちらこそありがとうございました」
沙紀はペコリと頭を下げた。
何しろ、無料で海に遊びに行けたのだ。
礼の一つでも言わなければバチが当たるというものだろう。
「じゃ……またね」
「……んじゃな」
“りん”に向かって手を振る沙紀に、手を振り返す“りん”。
沙紀は、そんな“りん”の姿を満足げに見届け……玄関の扉まで駆け出していった。
立派な門構えに加え、玄関の扉までのアプローチにはキレイな石がギッチリと敷き詰められて、洒落た雰囲気を作るのに一役買っている。
質感のしっかりした外壁と屋根といい、広々としたバルコニーが玄関を睥睨する豪華な作りといい、これはもはや豪邸と言って差し支えなさそうだ。
少なくとも、“りん”の家より大きいのは間違いない。
(……アイツって……意外とお嬢様なのか……?)
そんなことをふと思った“りん”に向かって、沙紀は、もう一度だけ手を振って……家の中に入っていった。
そして、パタリとドアが閉まる音が響き、後に残ったのは静寂だけ。
「さ、あとはりんちゃんだけだな。さぁ、乗った乗った」
大吾が、“りん”に助手席に座るよう促した。
ちなみに、東子は、一足先に東子の家(というかマンション)の前で降りている。
残っているのは、もうのどかだけのハズだが、何故か車から降りて来ようともしない。
東子が車を降りた時も……、そして今も……。
怪訝に思った“りん”は、恐る恐る助手席の窓から中を覗き込んだ。
(……寝てるーっ!?)
背もたれにもたれかかりながら、スヤスヤと眠るのどか。
それは、ちょっと寝入っているというよりも、まるで熟睡しているようにも見えた。
「わはは。のどかは、朝起きるのが早い代わりに、夜寝るのも早いんだよ。小さい頃からそうなんだけどね」
(……年寄りかっ!!)
愉快そうに説明する大吾に、“りん”は心の中でのどかに突っ込みを入れた。
とはいえ、その寝顔は、想像どおりの……なんともキュートな寝顔だった。
「ちょっと助手席が狭いだろうけど、一人で荷台に乗るよりはマシだろうから、あと少しだけ我慢してくれよな」
大吾の言葉に頷いた“りん”は、のどかを運転席側に押しのけるように……チョコンと助手席に座った。
確かに少々狭いかもしれないが、ここから“りん”の家までは、さほど遠くもない。
大吾の言うとおり、また荷台に乗るよりは、多少狭っ苦しくても助手席の方がよっぽどマシだ……と、和宏は思った。
また、夜の帳の下りた街並みを走り出した“のんちゃん号”。
その車内は、ラジオ等がかかっているでもなく、シーンと静まり返っていた。
“りん”がいるからかけていないのか、それとも普段から書ける習慣がないのか……見ただけではわからない。
ただ、大吾とのどかが、二人していろいろとおしゃべりでもしている姿なら、容易に想像がついてしまうのが、ちょっとだけ可笑しかった。
国道の路肩沿いに、等間隔に設置された街灯の明かりが、車内を明るく照らし出しては通り過ぎていく。
そんな幻想的な雰囲気の中……大吾が口を開いた。
「今日は、いろいろとすまなかったね。迷惑じゃなかったかい?」
「……い、いえ。迷惑なんてそんな……。普通に楽しかったです」
大吾は、チャランポランなようでいて、よく気遣いをする。
その証拠に、灰皿には吸殻が溢れているほどのヘビースモーカーなのに、“りん”が助手席に乗ってからはタバコを一本も吸っていない。
また、人を労わる時の優しい口調が、独特の包容力を感じさせるのも、大吾の良いところである。
その大吾の手……ハンドルを握る手が急に動いた。
ずっと直線の道を走っていた“のんちゃん号”が、比較的急なカーブに差し掛かったのだ。
その遠心力により、すっかり寝入っているのどかの身体が、“りん”の方にドサリと倒れこんできた。
(……お、おわっ!)
フワリと“りん”の鼻先を掠めるのどかの髪。
そのまま倒れこんだのどかは、ちょうど“りん”の太ももを枕にしたような体勢になった。
いわゆる膝枕……“りん”の心臓が再びドキリと跳ねた。
「わはは。のどかは一度寝るとなかなか目を覚まさないんだな~、コレが!」
大吾は、愉快そうに笑った。
確かに、のどかが倒れこんだ時の衝撃は結構なものだったはずだが、一向に目を覚ます気配すらない。
「……重くないかい?」
「……大丈夫です。のどかは軽いし」
それは決して嘘ではなく、身長145センチののどかは本当に軽いのだ。
“りん”の言葉に、プッと吹き出した大吾が、ハンドルを握ったまま、口元を緩ませる。
すでに、カーブを曲がり終えた車は、また長い直線に入っていた。
「あのさ……りんちゃん……」
「……?」
突然の、大吾の改まった口調に、“りん”は反射的に運転席の方を見た。
運転中なので、当然前を向いたままだが、その顔つきからは、いつものチャラけた感じが消え失せていた。
「……ありがとう……な」
「……え?」
“りん”は、キョトンとした。
礼を言われる覚えが全くなかったからだ。
(……ひょっとして、焼きそばを全部売り切ったからか……?)
いや、それならば、もう昼間のうちに何度もお礼を言われた……今さら改まる話ではないはずだ。
だとすると……やはりその理由がわからない。
大吾の真意が見えず、押し黙った“りん”を見て、大吾は言葉を続けた。
「……のどかのそばにいてくれてさ」
(……っ)
予想だにしなかった大吾の台詞に、思わず声にならない声を上げる“りん”。
さっき煙の中で見たのどかの顔を思い出し、再び“りん”の心臓の鼓動が早くなった。
“りん”がのどかのそばにいるのではない。
のどかが“りん”のそばにいてくれているのだ。
“りん”は、そう反論しようとした。
しかし、それは、続く大吾の言葉に遮られた。
「その子はね……小さい頃から、いろいろと辛い思いをしている子だから……」
(……辛い……思い?)
前方の交差点の信号が、黄色から赤に変わり、静かに停車する“のんちゃん号”。
その時、不意にフワリと良い香りが“りん”の嗅覚を擽った。
おそらく……シャンプーの香りであろう。
“りん”は、無意識にのどかの頭を撫ぜた。
その髪の毛は、気持ちいいほどサラサラだった。
―――TO BE CONTINUED




