第88話 『Season in the Sea (10)』
花火師顔負けの花火作り職人(?)……東子。
そんな小粋なキャッチフレーズが、和宏の頭の中をモノスゴイ勢いで駆け巡っていく。
今日、この場に花火を持って来た周到さもさることながら、その花火が自家製とは……本当に恐れ入る話だ。
“りん”だけでなく、沙紀ものどかも、驚きの視線を東子に投げつけている。
だが、東子はそんな視線を気にするでもなく、今度は吹き上げ式の花火をセットし始めた。
無論……満面の笑みで。
「……それも東子のお手製花火かい?」
のどかが、恐る恐る東子に尋ねたが、もちろん返事は“イエス”だ。
先ほどの手持ち花火は、なかなか良い出来だっただけに、「どんな花火だろう?」という興味もわいてくるものの、同時にわいてくる一抹の不安も拭えないでいた。
「……それ、ダイジョウブでしょうね……? バクハツとかしないわよね?」
「大丈夫大丈夫~♪ 沙紀ってば心配性なんだからっ♪」
“りん”とのどかの不安を代弁した沙紀の台詞も意に介さない様子の東子。
もはや暴走は止まりそうにない……東子のワンマンショーは、今始まったばかりだ。
東子が、躊躇なく導火線に火をつけると、導火線がシュー……という音とともに勢いよく短くなっていく。
花火から少し離れ、身構えながら見守る“りん”たち。
そして、ついに導火線の火が中心まで達したが、吹き出るはずの炎が……出て来ない。
「おい……? 消えちゃった……のか?」
「……あれぇっ! そんなはずないんだけどっ……」
しかし、現実に炎は吹き上げない。
代わりに吹き上がってきたのは……白煙。
……それも大量の。
「ち、ちょっとっ! なんなのよっ!? この煙……!?」
一筋の白煙が立ち上り始めたかと思うと、次の瞬間には、もうもうとした尋常ではない量の白煙が、瞬く間に辺りを覆いつくしていく。
あっという間に白煙に包まれた“りん”たち四人は、一斉に咳き込み始めた。
「げほげほ! な、なんじゃこれは~!?」
“りん”はキョロキョロと周りを見渡したが、白煙に視界が覆われて全く様子がわからない。
ただし、時折聞こえる咳き込む声は、おそらく沙紀や東子やのどかのものに違いないと思われた。
「いや~ん! ごめ~ん! 煙玉の火薬を入れ間違えちゃったみたい~!」
こんな時でも、ひたすら明るい東子のアニメ声が、すっかり煙に覆われた場に響く。
どうやら、この花火の筒の中に入っているのは、本来入れるべき火薬ではなく、間違って別の……というか煙玉用の火薬らしい。
それでこの煙かっ! ……と、和宏の中で腑に落ちた時、“りん”の胸にドンッと響いたような衝撃が走った。
(……っ?)
辺りを覆う、もうもうとした白煙が濃くなる一方だ。
仮に鼻をつままれたとしても右も左もわからない中、その衝撃の正体を確認するために、“りん”はうっすらと目を開けた。
(のっ……のどかっ!)
目に飛び込んできたのは、“りん”の比較的豊満な胸にのどかが顔をうずめている……そんな非現実的な倒錯した光景。
一体何が起きたのか……和宏にはにわかに理解できなかったが、今、目に映っている光景は間違いなく現実だった。
(な……なな……!?)
“りん”に抱きついた体勢ののどかが、その体勢のまま……“りん”を見上げる。
その表情には、やはり「何が起きたのかわからない」という驚きの色が混じっているのが、ハッキリとわかった。
いつものクリクリした瞳は、“りん”と同様に大きく見開かれ、その目じりにはうっすらと涙が浮かんでいた。
おそらく、煙が目にしみたためだろう。
(……か、かわいいぞ……やっぱり)
突然の出来事に、“りん”の心臓の鼓動がどんどんと加速していく。
のどかの中身は男……そうわかっていても、目の前ののどかの愛らしさが「それは違う!」と主張しているかのようだ。
“りん”を見つめる潤んだ瞳。
半開きになっている濡れた唇。
見慣れているはずののどかの童顔。
にもかかわらず、その瞳と唇に、“りん”の目が釘付けになる。
今、目の前ののどかは、“りん”にとって、間違いなく魅力的な美少女であった。
そののどかが、“りん”の身体に抱きついている。
この異常事態に、頭の中がスパークしたようにクラクラする“りん”。
なぜこんなに頭がクラクラするんだ? ……そんな疑問の答えも出ないうちに、それはのどかを抱き締めたいという衝動にエスカレートしていくのを感じた。
(……っ!)
のどかを目の前にして、心ならずもときめいてしまったことは、以前から何度かあった。
しかし、今日のソレは……あまりに強烈過ぎる。
“りん”の両腕が、のどかの身体を包み込むためにピクリと動き、のどかの背中に回されていく。
まるで“魔法”にかけられたように……。
だが、その瞬間……ふわっとした一陣の夜風が、もうもうと立ち込めている煙を、一気にさらっていった。
そして、煙が晴れると同時に、“りん”の視界に入ってきたのは、さかんに咳き込む東子と沙紀の姿である。
その姿が目に入ったことにより、“りん”は我に返って……魔法は解けた。
(……な、何してんだ!? 俺……)
今にものどかを抱き締めようとしていた“りん”の両腕がピタリと止まり、のどかは“りん”の腕の中から逃げるように……一歩二歩と後ずさった。
「ご、ごめん。煙で前が見えなくて……ぶつかっちゃったんだ」
のどかの、照れ笑いを浮かべたような……はにかみながらの言い訳。
やや気まずさを感じる雰囲気を取り繕うように、“りん”もまた照れながら笑った。
「い、いや……あの、コッチこそゴメン。ボーッとしてたから……」
「あはは。なんだ。じゃあお互い様だね」
そう言って笑ったのどかは、すでにいつもと同じ調子に戻っていた。
“りん”は、そんなのどかを眺めながら、少しばかりホッした。
どうやら、のどかは、“りん”の腕の動きには気付いていないようだったからだ。
「ゲホ! ゲホッ! あ~もうっ! ゲホ……」
沙紀が、まだ咳き込んでいる。
おそらく、驚いた弾みで、煙を変に吸い込んでしまったのだろう。
そのせいか、沙紀のゴキゲンは相当ナナメであった。
「もうっ! だから大丈夫かって聞いたのに……っ!」
「ゴ、ゴメンなさい……」
さすがに悪いことをしたという自覚があるせいか、これ以上ないほど申し訳なさそうに謝る東子。
シュンとした感じで両手を合わせるその姿には、さすがの沙紀も、もうこれ以上叱り付けることは出来なかった。
「……もういいわよ。とりあえず片付けましょ……」
確かに、残りの花火は、もう怖くて火を付けられたものではない。
東子も、しぶしぶながら、後片付けを始めた時、遠くから車のエンジン音が聞こえた。
今、近くに止まっている車といえば、“のんちゃん号”しかないはずである。
のどかの顔が、パ~ッと明るく染まった。
「あっ! 車直ったみたいだよ!」
「良かったわ。いいタイミングで」
大急ぎで後片付けを済ませ、のんちゃん号に戻った四人。
同時に、無事修理の終わった車が、調子良く走り始めた。
大吾が言うには、原因はやはり電気系統だったとのコト……何にせよ、この場で応急手当が出来たのは不幸中の幸いだった。
すでに時間は20時を回っている。
この分では、かなり帰りは遅くなりそうだったが、無事帰れる目処がついたことで、車内(荷台)には安堵の色が漂っていた。
「でも、やっぱり……今日の一番の収穫は大村くんよね」
「そうそう! オマケに“りん”の初デートだなんて……もう今からワクワクが止まんないよっ♪」
狭い車内で、ぎゅうぎゅう詰めになりながら……沙紀と東子が物騒なことを話している。
ほおっておいたら、当日は“りん”たちを尾行でもしかねない勢いだ。
しかし、そんなヤバそうな会話すら……今の“りん”の耳には入っていなかった。
「……りん? 聞いてる?」
「……え? な、なに……が?」
「何が……って……。ひょっとして具合でも悪いワケ?」
そう言いながら、沙紀が“りん”の顔を覗き込む。
もちろん、真っ暗闇の荷台の中では、その表情すら見えはしないが。
「だ、大丈夫だよ。なんでもないから」
「ふーん……。ならいいけど……」
そう言いつつ、明らかに納得がいっていない沙紀の声だったが、それよりも、和宏の頭の中からは、さっきののどかの姿が離れなかった。
瞳を潤ませたのどかの顔……今、思い出しても、あの時のドキドキが蘇ってくるようだ。
のどかのことを「かわいい」と思ったことは、今までも何度かあったが、「抱き締めたい」とまで思ったのは初めてだった。
(もし、あのまま煙が晴れなかったら俺は……)
その想像が、和宏の心に一抹の影を落としていく。
そんなことはあってはいけないことのはずなのに……“抱き締めてしまいたい”という衝動に突き動かされそうになった自分が信じられなかったからだ。
落ち込んだような気持ちでつくため息は、一層深く……そして重い。
再び高鳴った心臓の鼓動は、まだまだ収まりそうになかった。
―――TO BE CONTINUED




