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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第三部
161/177

第158話 『初回の攻防 (5)』

まだ初回であるにもかかわらず、早くも滝南は四点目を奪い取った。

一回表の攻撃で、鳳鳴打線が滝南のエース・遠藤に手も足も出なかったことと併せて考えれば、これは完全にワンサイドと言える展開だ。


くそっ……“りん”は汚い台詞を吐きながら、落ちてくる雨粒も厭わず天を仰いだ。

バックスクリーンの電光スコアボードのすぐ下にあるヒット・エラー表示には、二塁手セカンド・滝の今のプレーがエラーであったことを示す“E”が灯っている。

それは、決して捕れない球ではなかったことを指し示すもの。

捕っていれば、単なるセカンドライナーとして、失点は三点で打ち止めのまま、逆にチェンジとなっていた。

和宏にとっては、歯噛みしたくなるほどの痛恨のエラーだった。


そんな和宏の内心を知ってか知らずか、滝は申し訳なさそうに俯いたまま。

このような時は、とにかく頭を切り替えるのが鉄則である。

引きずった心理状態で次のプレーに入っては、それが集中力を乱す雑念となり、再度のエラーを引き起こしかねないからだ。


「ドンマイ! セカン!」


“りん”は、努めて明るい声でセカンド・滝に声掛けをした。

そのムリに作った“りん”の笑顔を見て、滝は少し気を取り直しつつ右手を上げて応えた。

だが、和宏自身は、気落ちした気持ちを隠しきれずに、どことなく声が上ずっている。

そんな様子を目ざとく感じ取った大村が、心配げな表情でマウンドに駆け寄っていった。


「萱坂さん……」


大村の顔には、“りん”の心情を気遣っている色がありありと浮かんでいた。

ピッチャーにとって、安易なエラーは想像以上にこたえるものだ。

それをよく知っていた大村は、あえてエラーの件には触れずに話を変えた。


「次から二巡目だよ」


「……っ」


滝南の次バッターは一番に戻る。

そのことに気付いた“りん”の目の色が変わった。

一巡目に我慢を重ねたのは、この二巡目以降を抑えるためだったからだ。


「この先をキチンと抑えていこう。ここからはボクが頑張る番だ。一巡目は萱坂さんに頑張ってもらったからね」


そう言って、大村は“りん”を安心させるように笑いかけた。


依然として二死満塁というピンチが続いている。

ここでさらにヒットを打たれるようなら、取り返しのつかない大量失点に直結するだろう。

何一つ状況が良くなったわけではない……しかし“りん”は素直に頷いた。


「わかった。ここから試合開始のつもりでいくよ」


“りん”らしい前向きな台詞だった。

だが、その瞳には、内心穏やかではない何かが混じっている。

圧倒的な戦力差ばかりが目立つ、この初回の攻防だけを見れば、“りん”ならずとも試合の先行きに不安を感じるのは致し方ないとも言えた。


「大丈夫。四点くらいならきっと……チャンスはあるから」


そういう大村も、確信があっての台詞ではない。

ある意味“気休め”。それでも、勝負を諦めないのであれば、そう思うより他はない。

わかってるよ……と返事をした“りん”であったが、四点を失った責任が、その表情に曇りを与えていた。


大村は、ホームまで戻る間


(これは……何が何でも次のバッターで切らないと……)


と、強く思った。

いうまでもなく、これ以上点差を広げるわけにはいかないし、二巡目以降を抑えるために一巡目を犠牲にしたからには、その一人目から躓くわけにもいかなかったからだ。

和宏も、他の鳳鳴ナインも……まさに気持ちが切れる寸前。

客観的に見ても、次の滝南のバッター……一番・上地が、この試合の最初の分水嶺なのは間違いなかった。


ホームベース上まで戻った大村はクルリと振り返り、大きく両手を上げながら、いつもよりも大きな声で叫んだ。


「気合を入れろ! 死ぬ気で守るぞっ!」


いつにない大村の強烈な掛け声で、守備陣の表情が引き締まった。

ここから先、大村と“りん”がどれだけ頑張ったとしても、滝南をバッタバッタと三振に打ち取っていくことなど不可能である。となれば、打たせて取る以外ありえない。

守備陣全体の、普段以上の奮起が必須だった。


滝南の一番・上地が


(トドメを刺してやんよ!)


と呟きながら、この回二度目の打席に立った。

その打ち気にはやった様子を鋭く感じ取った大村は、前打席で得た情報を元に頭をフル回転させる。


俊足。バットコントロールに自信あり。苦手コースは外角低め。性格は強気。……。


大村の頭脳にインプットされたばかりの無数のファクターを組み合わせて導き出されたベストチョイス。

それは普段以上に細かく、かつハードルの高いものだった。


内角から外角低めへと変化するシュート。

しかも、ストライクゾーンギリギリを掠めるような。


情け容赦なくコースギリギリを細かく要求してくるところが、いかにも大村らしい。

だが、それも“りん”の制球力に対する絶対の信頼があるからこそ。

そして、和宏もまた大村のリードを絶対的に信頼している。


降り続ける雨の中、“りん”は大村のサインに大きく頷いた。

ゆっくりとしたセットポジションから、淀みなく流れるアンダースローのピッチングフォーム。

“りん”の右手からリリースされたボールが、左打席に立つ上地の膝元を一直線に目指していく。


初球から来た得意の内角球に、上地は舌なめずりした。

思わぬ絶好球。バットを持つ手に力が篭り、グリップエンドがピクリと動く。

その瞬間、ボールが内角から外角に逃げるように鋭く曲がった。


自らの打ち気を抑えることが出来なかった上地は、スイングを途中で止めるよりもそのまま振り切ることを瞬時に選択した。

人並み以上のバッティングセンスに裏づけされたバットコントロールで、ボールの変化にバットを合わせる。

金属音が響くと同時に、強い打球が三塁線を襲った。

これが抜ければ、試合の趨勢は決する。

観客席の沙紀たちも、ベンチの控え選手たちも、“りん”ですらも声ならぬ声を上げた。


「おらぁっ!」


雄々しさ満点の咆哮を上げたサード・山崎が、横っ飛びで打球を掴んだ。

勢い余って土の上を一回転した山崎が、グラブを高々と掲げる。

その中には、間違いなく白球が収まっていた。


「アウトッ! スリーアウトチェンジッ!」


この回、最も苦しい思いをしたであろう“りん”が、満面の笑みを浮かべ、真っ先に山崎の元に駆けつけて背中をバンバンと叩きつける。

まるで優勝が決まった瞬間のように、みなが山崎の元に集まり、それぞれに思いを爆発させながら、頭を……背中を手荒に祝福していく。

ヤキモキした気持ちをなかなか拭えずにいた観客席の沙紀たち応援団も、お互いに抱き合いながら喜んでいた。


“りん”を始めとしたメンバーのユニフォームは、初回が終わったばかりだというのに、すでに一試合を戦い終えたかのように全員が泥だらけだった。

明らかな劣勢。エラー直後の沈み込んだ空気。

だが、たった一つのプレーがチームを危機から救い、ムードをガラリと一変させることもある。


だから野球は面白い――。


そんなことを思いながら、“りん”は反対側の滝南ベンチを見やった。

鳳鳴側のバカ騒ぎを冷ややかに眺めながら、滝南の選手たちが、特に悔しがる素振りを見せるでもなく淡々とグラウンドに散っていく。


この回は四点で終わってしまったが、二回以降、まだいくらでも点が入るだろう……。

そう考えていることは、間違いなかった。

それは、和宏たちにとって、屈辱以外のなにものでもない。


(このままで終わらせてたまるかっ……絶対に!)


ようやく終わった初回の攻防。

雨は、相変らず静かに降り続いている。

和宏は、火照った顔を冷やすように叩く雨粒を心地よく感じながら、唇を固く結んだ。

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