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俺、りん  作者: じぇにゅいん
第三部
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第153話 『出揃った役者たち (4)』

「ねぇねぇ、りん。ちょっと聞いていいっ?」


「なんだよ?」


三塁側ベンチのすぐ横には、“りん”の腰の高さまでしかないフェンスと、高さ三メートル程度の目の粗い金網しかない。

実質、グラウンドと観客席を隔てるものは、その金網一枚。先ほど“りん”と夏美が指切りを交わした場所でもある。

夏美が去ったそこでは、沙紀と東子が、金網にへばりつきながら、向こう側の“りん”に絡んでいた。


「さっきの子さぁ……りんの隠し子?」


「違うわっ!」


年齢を考えるまでもなく、そういう発想が出てくること事態が“すでにおかしい”というレベル。

だが、当の東子は、満足げにタレ目を細めて笑っていた。

おそらく、“りん”の突っ込みにご満悦だったのだろう。


「でも、すごくりんに懐いてる感じだったね」


「まぁ……な。しばらく一緒に野球の練習してたから……」


沙紀たちの隣から微笑ましそうに頬を緩ませるのどかに、“りん”は頭を掻きながら答えた。


「でも、あの男の人は感じ悪かったわね。何様かしら?」


“あの男”が夏美の父親であることを、沙紀たちは知らない。

憤まんやるかたない表情で、腕組みをしながら憤っている沙紀を見て、和宏は苦笑するしかなかった。

もちろん、あの男……重彦に対し、悪い印象しか感じなかったのは和宏も同様だったが、仮にも夏美の父親である。

あまり悪しざまなことを言うのは、さすがにはばかられた。


「それよりだな……沙紀、東子?」


“りん”の静かな怒りが込められた声が殊更低く響く。


ビジターとなる鳳鳴のベンチは三塁側。

観客席は、そのベンチの真上にあり、約三メートルの高さの金網でグラウンドと仕切られている。

無論、ファールライナーが直接飛び込んで来ないようにするための配慮だ。

“りん”の視線が、その観客席に向けてジトリと向けられた。


()()……何?」


観客席の一角に陣取った一団が、“りん”の視線に気付いて歓声を上げた。


「りんー! ウチらがついてるからねー!」

「萱坂さーん!」

「ユニフォーム姿も可愛いぞぉ!」


上野の姉御や高木といった女子に加えて、その他多数の男子たち。何故か二年A組のほぼ全員。

男女入り乱れた大声援に、“りん”は思わず頭を抱えた。

それもそのはず、この試合は非公開……本来ならば、こんな人数が集まるはずがなかったからだ。


「あら、私たちは別に……ねぇ?」


沙紀は、心外な……という顔で東子の顔を見た。

東子も、完全に同意……という顔で答えた。


「そうそう。アタシたち、姉御にちょっと口を滑らしただけだもんっ」


(ソレダッ!!)


原因は、いとも簡単に判明した。

歩くお節介焼きと言われる姉御……上野は、そのおばさん体型のイメージどおりのおしゃべり好き、うわさ話好き。

彼女に話を漏らしてしまっては、クラス中に広まるのは自明の理だった。


「ま、まぁまぁ。仕方ないじゃないか。せっかく来てくれたんだし」


のどかが、苦笑いをしながらフォローを入れた。

確かに、もはやそう考える以外なさそうだ。

和宏は、沙紀と東子に口止めをしなかった自らの迂闊さを嘆いた。


「萱坂さん」


“りん”を呼ぶ大村の野太い声に、反射的に振り返ると


「来たみたいだよ」


と言いながら、大村は対面の一塁側ベンチを指差した。

ちょうど、滝南のグレーを基調にしたユニフォームを纏った選手たちが、ぞろぞろとベンチの中に顔を現し始めたところだった。

先ほど見た、山崎たちの幼馴染である背番号“1”の遠藤を筆頭に、そのいずれもが一桁の背番号。

間違いなくメンバー全員が一軍の主力である。

その中には、あの背番号“2”……滝南の正捕手“松岡”も交じっていた。

以前の二軍との練習試合に、唯一交じっていた一軍メンバーで、“りん”と大村が苦心の投球で三振を取った相手である。(第107話参照)


松岡は、年季の入ったネイビーブルーのスポーツバッグをベンチに置きながら、三塁側ベンチに顔を向けた。

その視線の先にいるのは、因縁のある“りん”と大村だ。


(もう一度戦うチャンスが来るとは思っていなかったよ。嬉しい限りだね)


監督の秋山以下、大半の一軍メンバーが、今日の鳳鳴との試合を“一軍が対戦する価値のない相手”として疎ましく思う中、松岡だけは三振を喫した雪辱を期して歓迎していた。


「おい、シュウ! あの長い髪の女だよな? 相手のピッチャー」


背番号“7”……左翼手レフト上地かみち

子どもの頃はガキ大将だったんだろうな……と、誰もが思う形姿に、少し甲高く、誰にでも馴れ馴れしい声。

その上地が、松岡に念を押すように尋ねた。


「そうだよ」


松岡は、少々ぶっきらぼうに答えた。

今日の相手……鳳鳴の投手ピッチャーが女性であることは、“滝南”のメンバー全員がすでに知っていること。しかも、三塁側ベンチ前に佇む鳳鳴の選手たちを見れば、女性が一人しかいないのは明らかなのに、わざわざ確認するように聞いてくる上地に多少の悪意を感じたからだ。


「なんだよ。意外と美人じゃん! オマエが三振に打ち取られたっていうから、もっとゴツイ女かと思ってたけどな!」


そう言って、上地は粗野な笑い方で松岡をあげへつらった。

周りにいるメンバーの何人かも、同じように笑った。


「あまり舐めないほうがいいと思うけどね。彼女はそれなりに良いタマを放ってくるよ」


「へぇ? じゃ、オマエの見立てで、ランクはどの辺なんだ?」


“ランク”とは、いわゆる“対戦相手の格付け”のことをいう。

滝南の内部情報として、“相手投手の手ごわさ”を伝える際に使われている伝統的な手法である。

ここで上地が尋ねているのは、当然のことながら“りん”のランクだ。


「……B」


松岡の答えに、上地だけならず、他のメンバーも皆ザワッとした驚きに包まれた。

ランクAならば、プロからも一目置かれるドラフトの卵。

ランクCならば、県予選レベルでの好投手。

その間に当たるランクBは、全国大会で対戦するレベルの投手に値する。


滝南の情報処理部門を担う松岡のランク付けは、その正確さから、部内では定評があった。

しかも、その冷静な分析能力を買われて、副主将を任されている。

予想を超える松岡の高評価は、皆を驚かせるに十分だった。


「おいおい! まさかオマエ、三振取られたからって評価上げてんじゃないだろうな?」


「そんなことはないよ」


そう吐き捨てるように言うと、松岡はスポーツバッグから試合用のミットや記録用のノートなどを取り出し始めた。

松岡は、もうこの話題を打ち切りたかった。

冷静で感情を表に出さない傾向のある松岡であるが、さすがにしつこく何度も三振の件を持ち出されるのは、決して面白いことではなかったからだ。


対戦してみて実際にやられてみればいい……という思いと、さすがにそれはないだろう……という思いが、松岡の中で交錯する。

松岡の付けた“ランクB”。それは、あくまで大村とセットの……つまりバッテリーに対する評価であり、“りん”という一人の投手に対する評価ではない。

さらに、ひょっとしたら上地の言うとおり、あの三振が原因で過大評価してしまっているのかもしれない……という自らへの疑念が常について回るのも、面白くない一因だった。


「みんな、その辺にしておこう」


見かねて、背番号“1”……主将の遠藤が割って入る。


このまま会話を続けても、チームの雰囲気が悪くなるだけ。

そう判断した遠藤は、不毛な論争になる前に、険悪になりかけたムードを打ち消した。


「ランクなんてただの目安だ。実際に手合わせすればわかる」


遠藤の言葉の重々しさに、上地たちも頷いて引き下がった。

滝南は、実力のある人間が集まっているだけに、アクの強い人間が多い。

その中で、明らかにタイプの違う努力型の遠藤は、持ち前の真面目さで皆の人望と監督の信頼を掴んでいた。

山崎たちと離れて以来、遠藤なりに濃い経験を積み上げてきた証拠だ。


遠藤は、三塁側の観客席に視線を向けた。

鳳鳴の応援団と思しき一団が、めいめいに声援を送りながら騒ぎ立てている。

その中にあって、沙紀と東子は、一際目立つ声でキャッチボールをしている“りん”絡んでいた。それも、妙に楽しそうに。


「ち……五月蝿いな。試合前に退去させるか……」


遠藤の近くに立っていた監督の秋山が、不機嫌そうに呟いた。

もともとが無観客で行われるはずだった試合である。

短気な秋山が機嫌を損ねるのもムリはなかった。


「必要ありませんよ。所詮は外野の雑音です」


遠藤は、表情を変えずに言い切った。

珍しい遠藤の反論に、サングラスの奥の瞳で遠藤の顔をチラリと見た秋山は、鼻で笑ってベンチの奥へと引っ込んでいった。


何故わざわざ監督に逆らうようなことを言ってしまったのだろう――?


後悔のような疑問が、遠藤の頭の中を回る。

監督の意に沿わず、干されていった部員も少なくない。

誰もが知る秋山のワンマン振りからすれば、さっきの遠藤の一言が逆鱗に触れる可能性すらあった。

それがわかっていたにもかかわらず、つい口から出てしまったのだ。

だが、その理由は、考えるまでもなくわかっていた。

遠藤は、多少の自己嫌悪を感じながら、小さく肩をすくめた。


 ◇


醒めた空気漂う一塁側の滝南ベンチに対し、浮ついた気持ちを抑えきれずに高ぶる三塁側の鳳鳴ベンチ。

そんな中、“りん”はベンチに腰掛けながら、心地よい高揚感とともにプレーボールを待つ。

まるで、祭りの直前のように。


「もうすぐ始まるんだな……」


そう呟きながら、“りん”は誰もいないマウンドを見やった。


時折吹き付けるジメついた寒風が、外野の天然芝を舐めるように横切っていく。

青い空がすっぽりと覆い隠された灰色の雲の下。

霧のように細かい雨が降りしきるグラウンドは、途切れなく空から落ちてくる水滴を渇きを癒すように染み込ませながら、出揃った役者たちの出番を静かに待ちわびていた。

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