第110話 『勝利の果てに (2)』
“のんちゃん堂”……この辺では、あまり見かけない焼きそば専門店。
掲げてある暖簾は、年季が入っている割に、建物だけは新しい。
この妙なアンバランスさ加減は、この建物が四年前に新築された建物であることに起因する。
実は、のんちゃん堂自体は、この場所に引っ越してくる前から歴史のあった“老舗”なのだ。
「へぇ~……よくこんな店知ってんな~、東子」
目を丸くした山崎が、東子に向かって呟いた。
確かに、店構えのイメージから言って、高校生が気軽に入るようなポップな雰囲気はカケラもない店である。
だが、東子は、そんな山崎の反応を楽しむように、相変らずタレ目を細めてニコニコしたままだ。
「……いい匂いがするね」
大村が、鼻をクンクンいわせながら言う。
他の何人かが、同じように鼻をクンクンいわせると、口々に「ホントだ!」という台詞が飛び出した。
「とりあえず入ろう! ハラ減ったっ!」
チーム一のおっちょこちょいである広瀬が、我慢しきれないという感じで声を張り上げた。
どうやら、このソースの匂いに食欲を刺激されたようだ。
「よっしゃ! じゃあ入ろうぜ!」
そう言いながら、山崎が先頭を切って店の暖簾をくぐっていく。
その後ろに……大村や広瀬たちが続いた。
◇
のんちゃん堂に入店すると、必ず「いらっしゃいませ~!」という掛け声がかかることになっている。
接客担当……のんちゃん堂の看板娘“のどか”の大切な仕事だ。
「いらっしゃいま……せ?」
ところが、今回ばかりは、山崎たちが店に入った時、いつもの元気の良いのどかの声の語尾が、何故か疑問形になった。
なにせ、普段めったに高校生など来ない店である。
そこに見知った顔の同級生が……それも団体で現れたのだから、驚くのも当然か。
もともとパッチリと大きい目を、さらに大きく見開いて固まってしまったのどかを尻目に、山崎の後ろから大村や広瀬たちが続いて、ゾロゾロと店の中に入っていく。
みな一様に、白いフリルエプロンと白いカチューシャというメイド姿ののどかを一瞥しては、その風変わりな格好に「何故こんなところにメイドがっ!?」……という驚いた表情を浮かべたが、普段のイメージとあまりにかけ離れた格好のせいか、この娘が生徒会長の“のどか”であることには誰も気付いていない様子だ。
幸い、店内に客は少なかったため、奥座敷がまるまる空いていた。
山崎たちは、各々、畳の上の座布団に腰を下ろしていく。
そして、“りん”たち三人が店の中に入ったのは、大方みんなが席に着き終わった頃……つまり最後だった。
店に入るなり、いきなり“りん”の視界に入ってきたのは、口をポカンとして固まっているのどか、である。
その表情は、まるで「なんだ……? 一体何事なんだ……これは?」とでも思っている顔。
(ま、ムリないけどな……)
そう思いながら、“りん”は苦笑いを堪えることができなかった。
そんな“りん”の姿に気付くと同時に、のどかは、弾けたように……猛然と動き出した。
ツカツカと駆け寄ってくるのどかに、たじろぐ“りん”。
そして、不安げな表情の“りん”の目の前で立ち止まったのどかは、迷いなく“りん”の右手をギュッと握りしめた。
「……ほぇっ!?」
のどかの手の、ほんのりとした温かさとふんわりした柔らかさ。
その予想外の感触によって“りん”の口からもれたのは、意図しない奇声。
だが、のどかは構うことなく、そのままグイグイと“りん”を店の奥まで引っ張っていく。
“りん”は、ワケがわからず……抵抗すらままならなず……なすがままに連れて行かれてしまった。
あっという間に店内の隅っこまで連れてこられた“りん”は、さらに、真正面からその両腕をのどかに掴まれた。
“りん”を見上げるのどかの瞳には、明らかに怒気が混じっている。
可愛らしい童顔のため、怒り顔すら全く怖く見えないのは相変らずだが、少なくともその剣幕だけは感じ取れた。
「……ちょっと和宏……コレ、どういうコトなのかな?」
ヒョォォオ……という擬音すら感じさせるのどかのオーラ。
もちろん、そんな音が本当に聞こえてくるわけではないが、聞こえてきてもおかしくないほどの刺々しいオーラだ。
「……え、え~っと……見てのとおり、祝勝会……みたいな?」
そう言いながら、のどかに気圧された“りん”は「ははっ……」と、愛想笑いを浮かべた。
“見ただけでわかるかっ!!”とか、“なんで疑問系なんだっ!?”とか……突っ込む余地はいろいろあるはずなのだが、残念ながら、のどかは突っ込みがあまり上手くない。
そのせいか、“りん”の愛想笑いは無慈悲にもスルーされ、頬っぺたを膨らませたのどかのオーラはますます刺々しさを増していく。
(や、やばい……! このままでは……全ての元凶にされるっ!)
このままヘラヘラと愛想笑いを浮かべていては、間違いなくそうなるだろう。
“りん”は、焦りを感じながら、足りない言葉を継ぎ足していった。
「いや、だからさ……今日は野球部の練習試合があって……んで、途中でピッチャーの御厨がケガしたもんだから、俺が代わりに……」
のどかの眉が、ピクリと動く。
何故かモノすごい迫力だ……童顔のクセに。
「まさか、またスカートのまま投げたんじゃないだろうね?」
「イエイエイエイエッ! まさか! ちゃんとユニフォームに着替えましたっ!」
ついに、和宏はのどかの迫力に負けた。
口調が敬語になってしまったのがその証拠である。
「で?」
「とりあえず試合に勝ったので、祝勝会をしようというハナシになりまして……」
「なんでココで?」
「お、俺じゃない! ここでしようって言い出したのは、俺じゃなくて東子ですっ!」
「……」
“タレ目の食いしん坊”との異名をとる東子のこと……目的は、ただ単に『大好物ののんちゃん焼きそばを食べたいから』だろう。
状況をあらかた察したのどかのオーラから、先ほどまでの刺々しさがようやく消えた。
何はともあれ、“りん”は、のどかの怒りの矛先を避けることに成功したようだ。
ホッとした様子の“りん”を見て、のどかは“りん”を掴んでいた手を離し、腕組みをしながらため息を一つついた。
「それはそれとしても……困るじゃないか。突然みんなを連れてきちゃって。こんな格好、知り合いに見られるのがどれだけ恥ずかしいかわかるかい?」
そう言って、のどかは顔を赤らめながら口を尖らせた。
可愛らしい乙女チックなフリフリの付いたエプロンに、レースとフリルが重なったメイドカチューシャ。
確かに……そんな格好をさせられた日には、和宏ならば、絶対に知り合いに見られないように自分の部屋に引きこもってしまうだろう。
「と、とにかくさ……いいじゃん。一応は団体様なんだから……」
フム……と、のどかは、腕組みをしたまま考え込んだ。
総勢約20人の団体客。
“りん”、沙紀、東子の三人を除いて、食べ盛りの男子高校生ばかり。
おまけに祝勝会なら、飲み物も出るだろう。
本日の売り上げに、かなり貢献するのは間違いないはずだ。
そう判断したのどかは、口をへの字に曲げながらも、「まぁ、仕方ないか……」と呟くに至った。
だが、“りん”とのどかが、そんなやり取りをしている間に、沙紀や東子と、のどかの父・大吾の間では、すでに別の方向に話は進んでいた。
「ほおっ! あの滝南に勝ったって? しかもりんちゃんが投げて!?」
「ええ! まぁ、相手はニグンだったんですけどね……」
沙紀が、栞から聞きかじったことを、さも自分の知識のように言う。
しかし、大吾は気にするでもなく、食いついた。
「いやいや! それでも大したもんだ!」
「はい。もうすごかったんですから……りんは。……ねぇ? 東子?」
「そうそう。滝南のバッターをバッタバッタ……」
それはどうかな……と言いたくなるような、東子のベタなダジャレだったが、大吾は気にすることなく、さらに食いついた。
「そりゃあスゴイ! ヨシ! お祝いだ! サービスするから、じゃんじゃん食べて飲んでいってくれよな!」
「ホントですか~!?」
「おう! もちろんさ!」
そう言って、大吾は、自分の胸をドンッと叩いた。
またもや大吾の気風のよさが炸裂(第54話参照)……である。
人懐っこい笑顔と、いなせなねじり鉢巻き。
そして、この気風の良さは、間違いなく大吾のいいところだ。
まさに、降って沸いたような出血大サービス。
沙紀と東子を始め、部員たちも「おー!?」と、驚きの声を上げながら顔を綻ばせた。
だが……それと同時に、“りん”たちの佇む店の隅っこの一角から、なんとも不穏な空気が漂い始めた。
収まったはずの怒りのオーラが、再びのどかから発せられたからだ。
ヒョォォオ……という擬音とともに。
(勝手にサービスなんかして……、誰が家計をやりくりしてると思ってるんだ……)
何故か“りん”の頭の中に響く、のどかの心の声。
いや、それは気のせいかもしれないが、おそらく似たようなことを考えているのは間違いあるまい。
(のどかはのどかで苦労してんだな……)
父・大吾に向かって、怒りの視線を向けるのどかを見ながら、和宏はそう思った。
のんちゃん堂の接客担当で、兼経理担当。
店はそれなりに繁盛しているのであろうが、こうも度々大吾の暴走が炸裂しては、家計を預かる身として確かにたまったものではないだろう。
「後でとっちめてやる……」
そんなのどかの物騒な呟きが、今度は“りん”の耳に確かに聞こえた。
――TO BE CONTINUED




