96 ロードリウス
何があった? 何も見えなかった。異常はなかった。いきなり血が。首から。倒れる。右に。左からの攻撃? 致命傷? いや、まだ。
「バーミンちゃん!」
あまりにも突拍子のない出来事に思考が錯綜し、体が固まりかける。何かにがっしりと掴まれるみたいなそれを強引に振り払って私は叫び、馬車から飛び出した。
「ウっ、ぐう!」
着地も何もなく街道にがりがりと背中を削られる──けど、なんとかバーミンちゃんの落下に間に合った。キャッチができた。
二頭の馬がいななく。突然の操り手の喪失に混乱しているのだろう。けど、そのまま暴走したりはせず、勝手に速度を落として止まってくれた。助かった、置いていかれて立ち往生になったらどうしようかと思った。
「バーミンちゃん聞こえる? ちょっと苦しいかもだけど我慢して」
「あ、う……」
反応はある。でもこっちの声が届いているかは怪しい。私は気道を塞ぎ過ぎない程度に強く首の傷を抑えつけながら強引に彼女を運ぶ。ここはマズい、見晴らしが良すぎる。なのに私にはバーミンちゃんを襲ったものの正体がわかっていない。一方的に捕捉されているのなら私も謎の攻撃の餌食になる。それは別にいいんだけど、この状態のバーミンちゃんにその余波が行っては危うい。
そしてそれより最悪なのは、私をガン無視でバーミンちゃんばかりが狙われ続けること。
急いで向こうの藪へ隠れなくては……!
「ハルコさん! こちらへ!」
障壁。馬車と私たちを守る魔力の壁が一枚ずつ展開された。コマレちゃんがやってくれたんだ。彼女も攻撃方向の当たりを付けて警戒してくれたらしい。
障壁は私に合わせて位置が動くようなので、藪へ向かおうとしていたのを進路変更。少し先で停まっている馬車を目指して走る。開けられた後部の乗り込み口からノンストップで駆け込み、カザリちゃんたちが左側を主として見張ってくれているのに甘えてバーミンちゃんの治療に乗り出す。
治療、なんて言っても圧縮バッグから救急薬を取り出して患部にぶっかけてガーゼで蓋して包帯を巻く。たったそれだけの応急処置しかできないわけだが、やらないよりはずっといい。手当てにはそれなりに経験があって慣れているので、傷口を抑える役目をコマレちゃんに交代してもらって私がやろう──としたところ、コマレちゃんが物を清潔にする魔道具を私の手とバーミンちゃんの傷に使って血を掃除した。
「バーミンさんのことはコマレに任せてください」
バーミンちゃんの首の傷は、致命傷だ。それは言葉を交わさずとも互いにわかっている。即死こそ免れているもののこのままでは数分と持たずに命を落とす。そしてそれだけの傷であるからには、救急薬でどうにかなるものではない。簡易ポーションとも呼ばれるそれは即効性と、傷口にかけるだけでいい誰でも使える手軽さが売りの優れた絆創膏みたいなもので、命にかかわる怪我を直ちに癒せるような効力まではないのだ。
手当てをしたところでバーミンちゃんの落命まで稼げる時間はほんの僅かでしかない。しかし、コマレちゃんの瞳は彼女を死なせないと強く訴えてきている。いったいどうやって? どうするつもりでいるのかまったくわからない。だけど疑う気持ちは皆無だった。
どうせ私にはどうしようもないのだ。だったら、仲間を信じるのみ。
「わかった、任せる。何か手伝うことは?」
「ありません。ですが、コマレはしばらく何もできません。障壁は消しませんがそれ以外のことは、何も。なので──」
「オッケー。守るよ、私たちで。心配しなくていい」
「ありがとうございます」
私がすべきは敵の排除。医療行為よりもよっぽど向いている。簡単とは言わないが、いくらか気が楽だ。
「敵は?」
「まだ見えない。おそらく馬を狙って第二射があった。けど、弾も見えない」
「ナゴミちゃんも?」
「どっちも確認できてないねぇ」
障壁が「何か」を受け止めたのだけがわかった、ってことか。
身体強化の倍率がずば抜けているナゴミちゃんは視力も半端じゃない。もちろん、動体視力もだ。そんな彼女が敵影も攻撃も「見えない」と言うからには襲撃者は完全に姿を隠しているし、攻撃にも目に映らない何かしらの細工が施されているんだろう。単純に速すぎる攻撃だとしたらバーミンちゃんが即死しない程度の威力しかないのが矛盾になるので、おそらくそれはない。
バーミンちゃんが負った傷は鋭かった。撃たれたというよりも切られたそれに近い。だったらバロッサさんが使っていたような風の刃か? それなら見えにくい特徴も合致する……が、あれは見えにくいというだけで見えないわけじゃなかった。仮に風属性の術だとしてもバロッサさんのそれよりずっと隠密性に特化して仕上げられていると思ったほうがいいだろう。
隠れ潜んで攻撃する戦術とよくマッチした、とても嫌らしいことをしてくる敵だな。
「うざったいね。シズキちゃん、ショーちゃんを先行させようか。攻撃の方向からして向こう側の林の中から撃ってきてるのは間違いないはずだし」
「は、はい。ショーちゃんおねが──え?」
おっと。ショーちゃんで林からあぶり出すまでもなかった。なんと敵が自ら姿を現した。──三人組だ。全員しっかりした体付きの、お揃いの黒い衣服に身を包んだ見るからに怪しさ全開の男たち。
何が怪しいって、その軍服を連想させる格好もそうだし、真ん中の男が薄ら笑いを浮かべているのもそうだし、それより何より角だ。ヤギとか羊を連想させる太くて巻かれた硬そうな角。目を凝らすまでもなく頭部で瞭然と主張する真っ黒なそれらが、三人の男たちの立場をこれでもかと教えてくれている。
魔族。
私たち勇者の……いや、人類全体の天敵だと。
「ごめんシズキちゃん、やっぱショーちゃん止めて。できれば傍に置いて分裂もさせないほうがいい」
「……!」
こくこくと頷いたシズキちゃんは向かわせかけていたのをストップして、合体するみたいにショーちゃんを自分の服の中に仕舞い直した。身の安全を優先して戦うには下手に距離を取らず、一心同体に近い素の状態に留めておくのが一番いいからね。攻撃特化で大暴れさせるならシズキちゃん本体は離れていたほうがいいけど、相手がそこらの魔物みたいな与しやすい敵じゃないんだから慎重を期すべきだ。
「馬車を巻き込みたくない」
「だね……降りて、出迎えようか。伏兵の警戒も忘れないで」
バーミンちゃんは動かせないし、彼女を治療するコマレちゃんも無防備だ。馬車に近づかせるだけこっちが不利になる。戦うなら私たちも馬車から降りて、街道から逸れた場所を選ばなきゃならない。
鉄壁の守りである障壁の外へ自分から出て行かなきゃいけないのはちょっと惜しいが仕方ない。回り込まれたらどうせ意味がないんだから。ただしあまりにも遠く離れても駄目だ。四人目の敵がいた場合にコマレちゃんたちが危うくなるから。
四人で一緒に平野に踏み入って、走る。ある程度彼我の距離が縮まったところで私たちは止まり、すると向こうも悠然と進めていた足を止めた。そして睨み合う。笑っているのは三人の内の真ん中に立つ、おそらくは主犯格と思しき男だけだった。
他二人よりも若干だが体格に優れ、衣服の細部の意匠も凝っているその男は、朗々とした語り口で名乗りを上げた。
「私の名はロードリウス。四災将が一角【栄達】のロードリウスだ」
──四災将。今代の四天王を意味するその肩書きをいかにも自慢げに明かした魔族の男、ロードリウスは、私たち四人を順々に見下ろしながら続けた。
「して、訊ねたいが勇者諸君。我が友にして旧敵たるスタンギル──同じく四災将【横暴】のスタンギル。彼を打倒せしめた者は、君らの中の誰なのかな?」




