59 そもそも魔族とは
瘴気に関して、か。そういえばトーリスさんから教えてもらったときはそういうものとしてさらっと流したけれど、具体的に瘴気っていうのがなんなのかはよくわからないままだ。
なんとなく毒ガスみたいなものが魔族の住む第四大陸には充満していて、それが魔族には逆にイイ心地である……みたいな捉え方を私はしてるんだけど、果たしてこれは正しいのかどうか。
「魔境を魔境たらしめている瘴気とは、ずばり魔王の魔力のことだ。毒ガス、という表現もあながち間違いではないね。癒術でもなければ基本として魔力は何かを乱し、壊すことにこそ長けている。故に他者のそれは毒にも例えられる。魔王の強烈なまでの魔力はひとつの大陸を満たしてもなお害を及ぼし、魔境に魔族以外の存在を許さないんだ」
「えっと……? すみません、ちょっと待ってもらえますか」
「どうしたのかな、コマレ君」
「他者の魔力が毒である、という前提知識からすると魔王の魔力……つまり瘴気は魔族にとっても毒であり害にしかならないのでは?」
むむ、そういやそうだ。基本的に人も魔物も自分の魔力でしか自分を強化できない。無理に他人の魔力を使おうとしてもそれは事故の元。だからこそ魔石を介さずアイテムそのものに魔力を溜め込む純魔道具だって、基本的に溜めた本人しか使っちゃいけないっていう制約がある。
なのに、魔族はむしろ瘴気の蔓延る魔境でこそその本領を発揮できるのだという。そうタジアさんから聞いた。魔力の性質から言えばどっちかが間違っているとしか思えないんだけど、その疑問にルールスさんらは朗らかに答えた。
「はっは、どちらも間違ってはいないよ。それに関してはもうひとつの前提として、魔王の成り立ちから知る必要がある」
「魔王の成り立ち、ですか? 出自ということでしょうか」
「出自か……生憎と初代魔王がどのようにしてこの世へ生を受けたか、その詳しいことはわかっていない。ただハッキリとしているのが、彼が空前にして絶後の天才的な魔族だったということだけだ」
「天才的な魔族……」
ごくりと誰かの喉が鳴った。もしかしたら私のかもしれない。深い英知を携えた両目に今ばかりは僅かな稚気もなく、いっそ厳かな雰囲気すら漂わせてルールスさんは続けた。
「遥かな大昔、そもそも魔族とは魔族ではなかった。『魔人』。そう呼ばれていたんだ。そうとも、人の文字がつく通りに森人、堀人、獣人、人間と同じく人種の一個だった」
「人種は四つではなく、元々は五つだったんですか」
「だがそれを魔王が変えた。たった一人で魔人という種族を変質させてしまったんだ。全ての魔人に自身の血を分け与える、という方法でね」
血を分け与える……? 輸血? ではないよね、この感じからして。
困惑を隠せない私たちにルールスさんは少しだけ笑いかけて。
「己が一部を与えることで魔人たちを己の一部としたんだ。力で屈服させた上でね。心身共に掌握し、全ての魔人を我が身も同然の忠実な配下へと作り変えた──無茶苦茶に聞こえるだろう? 実際、無茶苦茶だ。長く魔術に触れてきている身だがそんなぼくにも何がなんだかわからない。初代魔王にはそういう異能力が備わっていたのだと結論付けてしまいたいくらいだよ。托生紋が外法だとするなら魔王のやっていることは法外。魔術の理の外側に位置すると言っていい」
大魔術、あるいは魔法にも匹敵するくらいのことを魔王は個人で成し遂げた、らしい。一種族を丸ごと支配して変質させたっていうのがどれだけすごいことなのか私にはピンと来ないけど、それでもルールスさんの言い方からしてそれはもうとんでもない偉業だってのはなんとなく理解できた……気がする。
「魔人は元よりエルフに近しい魔力量と獣人にも迫る身体能力を有し、好戦的。という戦闘面において各段に優れた種族でね。それだけに実力主義であり、種族全体を通して自信家が多く、当時からして他種族との交流に薄く異文化に疎い者たちだった……と記録にある。魔王の血によってそういった特徴がより強調されたようだ。ただし種族的なまとまりで言えばその頃よりも今が上だろう。何せ当時には不在だった頂点が君臨し、曲がりなりにもその野望を成就させるために一丸となっているわけだからね」
それでも個人主義が払拭されていないことはぼくらにとってこの上なく幸いだ、とルールスさんは深い実感を伴う声でそう言った。
魔族には人ほどの結託や集団意識がない。それがこれまで人類が勝ち続けてきた要因のひとつだとバロッサさんやルーキン王も言っていたし、私もそうだろうと思う。
ぶっちゃけザリークみたいなのが何十人と言わずとも数人いて上手に連携してくるだけでも、大きな街のひとつやふたつはあっという間にダメになってしまいそうだ。そこにアンちゃんみたいなパワータイプまで加わったらもう目も当てられない。きっと盛り返すチャンスもなくそのまま連合国は劣勢になっていく……で、そうなった試しがないってのはつまり、それだけ魔族の個人主義が戦局にマイナスを与えている証明になる。
まーでもそりゃ無理でしょうな。ザリークとかアンちゃんの言動を見るに、人みたいな自制心とか足並みを揃える意識なんて絶対にないもの。あれじゃあ一人で考えて策を練るくらいのことはできてもそれ以上はできっこない。
「ただし、今回に限っては確固とした弱点であるはずのそれが弱点とは呼べないかもしれないのが問題だ。その理由はわかるね」
「イレギュラーの多発、ですね。魔王がこれまでと攻め方を変えてくるのであれば、その配下である魔族もそれに倣った動きをする……」
「そうだね、それが懸念になる」
ううむ、そうか。魔族っていう時点で個人でも充分な脅威だもんな。これまで通りに結託こそできなくても、過去の魔王期には見られなかったような動きをされたら個人プレイだとしてもその度に大きな被害が出そうだ。
魔族全体がイレギュラーになってしまったら、経験則という人類の持つ武器が完全に機能しなくなってしまう。そう思うと大問題以外の何物でもないわな。
「魔王は魔人を自らのための種族へと生まれ変わらせた。それが魔族の特性に良くも悪くも拍車をかけたわけだが、それが活かされるかどうかは魔王の指揮と方針に依存する。過去の魔王の多くは恐れを知らず、誰より傲慢で、自らが敗北するなど微塵も疑わないような人格だった。多少慎重さが窺える魔王もいたようだがそれも誤差のようなものでしかない。これはぼくが経験した前二回の魔王期に限らず、記録に残された確かなことだよ。故にこそ、怖いね。今回の魔王は以前までと毛色が違い過ぎる」
「それこそ、何故という話になる。魔王は死んでも百年ほどで復活する……つまりはどの時代の魔王も同一人物であるはず。以前の記憶が引き継がれるにしろそうでないにしろ、いきなり今回だけ大きく性格や思考が様変わりするとは思えない」
カザリちゃんの指摘は鋭かった。彼女の言う通り、以前までの記憶が引き継がれるならいくらゴーイングマイウェイな性格をしてたって負け続きを反省して少しずつでも戦い方が変わっていくだろうし、引き継がれず常に真っ新な魔王のままでまたゼロから始まるのだとしたら、今回のようにまったく別人みたいな行動を取るはずもない。
どっちにしろおかしいのだ。という謎に対してルールスさんは。
「そう、だからイレギュラーだと言うんだよ。おそらくぼくたち人類は……そして勇者である君らも、何かしらの転換点。歴史が新しいフェーズへ入るのを体験しようとしているのだと思う」
と大真面目な様子で言った。




